Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

セミの亡骸

2019年08月13日 23時33分44秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 11時頃に家を出ると、昨晩さかんに鳴いていた蝉が扉の横、階段室の踊り場で死んでいた。コンクリートの上では何となくかわいそうなので、ツツジの根もとに移動した。たぶん蟻や小動物の餌食になるであろうが、あるいは分解されて土に戻るかもしれないが、いづれにしろコンクリートの上では見るのもしのびない。
 1階の踊り場なのでこのままでも蟻などの餌食になる。たぶん3階以上の踊り場では干からびてしまう場合もある。蟻が我が家に迷い込んできても困る。

 我が家の玄関前の階段室にはコガネムシもよく飛び込んでくる。朝にやはり動かなくなっている。早い場合はアリが朝の内からたかっている。
 コガネムシは美しいが、あの勢いでときどき私の顔にぶつかってくる。といも痛い。1階にはこのように虫が頻繁に姿を見せてくれる。

 本日はさらにごく小さなトカゲがツツジの傍の道路上にいた。私の足音に気がついたか、あっという間にツツジの根もとに隠れて行った。尻尾が錦にひかり、とても美しい。トカゲは久しぶりに見かけた。


明日も雨の予報

2019年08月13日 20時41分51秒 | 天気と自然災害

 横浜市内では断続的に強い雨が降ったらしい。昼から寿町にある組合の会館の4階に15時過ぎまで籠っていたので、雨には合わなかった。会議は特に問題なく無事終了る。
 会議が終わった15時過ぎから中華街まで歩き、はじめての店に飛び込み、餃子と生ビール・ハイボールで暑気払い。中華街はお盆の時期ということもあり、横浜を訪れたと思われる多くの旅行客で混雑していた。ずいぶん安く済ませることができた。餃子も美味しく食べたのだが、冷房が少々強すぎて、寒かった。

 空は夕方からはすっかり晴れあがり、雨が降ったとは思えないほど強い日光にびっくり。最高気温は33℃の予報だったが、34.3℃とかなり上昇した。
 明日もまた日中の降水確率は50%と雨模様らしい。気温も32℃と少々低めの予報。

 


階段室のセミの声

2019年08月13日 10時26分27秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 お盆で団地の中も人の気配が少ないように感じる。夜も静かで、タクシーで遅くに帰宅してくる住人もいない。夜コツコツと歩く人の靴の音も聞こえない。ベランダの明かりも少ない。

 昨晩、セミが玄関扉の外側、階段室の天井近くの壁にとまってさかんに鳴いていた。ミンミンゼミだった。生の最期の時なのだろう、方向感覚を失ってときどき天井や壁や扉にぶつかりながら飛び回る。そうしてまた壁にとまって鳴く。その声が金属的な音でとても喧しい。布団に入っても気になる。
 気になるのは、その声が断末魔に発する生体の音として聞いているからだろうか。それもあるかもしれない。だが、本当はそうではないのではないか、とも思った。
 セミの声は、やはり樹木の幹にとまっているときの声がいい。樹木の幹に少し音を吸い取られ、葉をとおして鋭さをけずられ丸くなって私たちの耳に届くと気にならなくなるのだと思った。
 コンクリートの壁に共鳴し、金属的な音が減衰することなく、鋭い尖った音のまま私たちの耳に達するととても気になるのだ。そしてそれを断末魔の声として聞くと、私達は苦しそうなもがき苦しむ音として聞いてしまうので、より一層気になるのである。
 きっと秋の虫の声も同じだと思う。あるいは小鳥の声も同じかもしれない。あの独特のウグイスの声も、階段室で鳴かれたら、風流な声には聞こえないと思う。樹木も枝にとまって、葉の間をとおって響いているから、人の耳にも心地よく聞こえるに違いない。

 樹木というものは、大きな働きをしているのだろう。いや逆である。樹木が周囲にある世界で生きているから、私達はそれを介した音を心地よく聞くのである。
 そのうちにコンクリートの壁をとおした音のセミや虫や小鳥の声が喧しい、と排除しようとする世論が多くなるかもしれない。あるいはもうなっているようだ。セミの声が「うるさい」と聞こえて駆除の依頼が自治体に寄せられているという報道も聞いたことがある。
 ひょっとたら、逆になる可能性もある。樹木に響くこれらの生命の声よりも、コンクリートや金属の構造物から発せられた方が心地よいと思う人々も出てくるのかもしれない。
 しかしそうなったら私はもう生きているのが嫌になりそうである。