Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

浅間山が噴火の情報

2019年08月07日 23時04分15秒 | 天気と自然災害

 明日は親の家のエアコンの新規購入で、妻と家電量販店へ。その後親の入院しているリハぞり病院へ見舞い。できれば寝ていたい気もしたが、明後日が市民病院での眼科の診察、白内障の検査で、多分一日潰される。

 ここまで書いていたら、浅間山での噴火情報がもたらされた。22時45分現在の情報では、「噴煙は河口の上空1800メートルを超え、22時37分に気象庁は降灰予想を発表した」旨の情報が表示されている。

 07日22時08分に浅間山で噴火が発生し、噴煙は火口縁上1800mを超えています。噴煙の高さが火口縁上2000mに達すると仮定した場合には、火口から北東方向に火山灰が流され、08日04時までに中之条町、長野原町、嬬恋村、草津町、東吾妻町、みなかみ町、湯沢町、軽井沢町、御代田町、栄村では少量の降灰があり、降灰は新潟県湯沢町まで予想されます。
 08日04時までに予想される降灰量は各市町村の多いところで次のとおりです。
少量   群馬県 :中之条町、長野原町、嬬恋村、草津町、東吾妻町、みなかみ町
     新潟県 :湯沢町       長野県 :軽井沢町、御代田町、栄村
 予想される各市町村の降灰開始時刻は次のとおりです。
 23時まで 群馬県 :長野原町、嬬恋村    長野県 :軽井沢町、御代田町
 01時まで 群馬県 :中之条町、草津町
 02時まで 群馬県 :東吾妻町    新潟県 :湯沢町    長野県 :栄村
 03時まで 群馬県 :みなかみ町

 「少量」とは「火山灰が降っているのがようやくわかり、地面にうっすら積もる程度」ということらしい。車の運転やマスク等の対策の必要性はないらしい。だが、農作物への被害などはどうなのだろうか。

 警戒事項として次の文章が気象庁のホームページに掲載されている。
 火口から概ね4kmの範囲では、弾道を描いて飛散する大きな噴石や火砕流に警戒してください。地元自治体等の指示に従って危険な地域には立ち入らないでください。
 噴火時には、風下側では火山灰だけでなく小さな噴石が流されて降るため注意してください。
 また、降雨時には土石流にも注意してください。
        (噴火に伴う大きな空振によって窓ガラスが割れるなどのおそれがあるため注意してください。)


久しぶりに朝の通勤電車

2019年08月07日 22時08分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は思ったよりも疲れた。まず朝8時半に家を出るというのが何年ぶりだろうか。登山や旅行に行くとき以外は8時に起床しており、月に一度の退職者会の幹事会のある日でも9時に家を出ている。
 そして9時前の東海道線で上野駅まで通勤客でいっぱいの電車に乗車。まずは数人離れたイヤホンの大きな音と、隣の若い女性の手持ちの扇風機の雑音、そしてその風に乗ってくる汗と複数の化粧の混ざり合った異臭にうんざり。私は嗅覚に問題があり、普段は香りがほとんど感じられないのだが、本日は参った。身動きが取れないのでその場から離れようにも離れられない。

 もっとも自分の汗のにおいや「加齢臭」は気にならないので、お互いさまといえばお互いさまなのだが、久しぶりに通勤のストレスを思い出した。

 そして暑さとクーラーの効き過ぎた西洋美術館の中は体にも大きなストレスを感じた。

 展覧会自体は興味満載、解説も大変勉強になった。やはり、一人だけでは頓珍漢な思い込みをしてしまいがちなのだが、複数で見て回るというのもなかなかいいものである。解説の方の知識や、何気ない同行の方のひとことがとてもいい刺激になるし、頓珍漢から救ってくれる。

 会場ではとくに疲れたとは感じなかったが、上野から電車に乗って気がついたら横浜駅のホームが目に入ってビックリ。すっかり寝込んでいた。帰りも家までの4000歩を歩く元気がなく、バスで帰宅。すぐにシャワーを浴びてベッドに直行。つくづく体力がなくなったと、情けなかった。


国立西洋美術館

2019年08月07日 21時01分24秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 本日は上野の国立西洋美術館に10時から15時過ぎまで滞在した。夏休みということもあり、中学・高校の学生の集団や家族連れでかなりの混雑であった。特に松方コレクション展は大勢の人でにぎわっていた。

 午前中は松方コレクション展、松方コレクションの成り立つなどを、 プロローグ、ロンドンでの収集、第一次世界大戦と松方コレクション、海と船、ベネディットとロダン、パリでの収集、ハンセン・コレクション、北方での収集、第二次世界大戦と松方コレクション、エピローグと10のコーナーに分けて155点を見ることができた。
 常設展で普段目にすることのできる作品以外の作品も多く見ることができた。今回の展示は、松方コレクションとして購入されながらも昭和金融恐慌等で売却された作品、フランスに残された作品も展示されている。



 今回は特に修復されたモネの「睡蓮、柳の反映」は是非とも見ておきたかった。上半分が失われてしまったままでの復元と、ネガや後期のモネの筆致から全体を復元したものとが並んでいる。
 さらにゴッホの「アルルの寝室」(1889、オルセー美術館)、マティスの「長椅子に座る女」(1920-21、バーゼル美術館)、ゴーガン「扇のある静物」(1889、オルセー美術館)を直に見ることができた。

 西洋美術館内の「カフェすいれん」にてオムライスを食べるという、私にとっては驚くべき体験をしたのち、13時からは日本・フィンランド外交関係樹立100周年記念「モダン・ウーマン -フィンランド美術を彩った女性芸術家たち」展を鑑賞。こちらは空いており、ゆったりと鑑賞できた。

 ヘレン・シャルフベックほか8名の画家・彫刻家・版画家の作品を見て回った。シャルフベックは2015年に東京芸術大学美術館で大規模な展示がなされていた。チラシのの「黄色いドレスの女性」(1926、フィンランド国立アテネウム美術館)はその時も展示されておりなつかしく思い出した。



 エルガ・セーセマンという画家のが気になった。特に両目がわざと黒っぽく塗りつぶされたような「自画像」(1946、同美術館)が印象に残った。

 いつもみなとみらい地区の神奈川大学のエクステンション講座でお世話になっている中村宏美氏に、10時から15時過ぎまでの長時間の解説をしてもらい、大変勉強になった。
 詳細は後日また記載したい。


広島平和記念式典における県知事挨拶

2019年08月07日 01時36分12秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 8月6日に実施された式典における広島県知事の「あいさつ」は次のとおり。
 核抑止力批判を正面に据えて批判していると感じる。思い切った発言だと感じた。

【あいさつ】
 原爆犠牲者の御霊(みたま)に,広島県民を代表して,謹んで哀悼の誠を捧げますとともに,今なお,後遺症で苦しんでおられる被爆者や,ご遺族の方々に,心からお見舞い申し上げます。
 74年前,この地は原爆によりあらゆるものも人も破壊され尽くしました。
 しかし,絶望的な廃墟の中,広島市民は直後から立ち上がりました。水道や電車をすぐに復旧し,焼け残りでバラックを建てて街の再建を始めたのです。市民の懸命の努力と内外の支援により,街は不死鳥のごとく甦ります。今,繁栄する広島には,国内外の多くのお客様で賑い,街の姿は,紛争後の廃墟から立ち上がろうとしている国々から訪れる若者に,復興への希望を与えています。
 しかしながら,私たちは,このような復興の光の陰にあるものを見失わないようにしなければなりません。緑豊かなこの平和公園の下に,あるいはその川の中に,一瞬にして焼き尽くされた多くの無辜の人々の骨が,無念の魂が埋まっています。かろうじて生き残っても,父母兄弟を奪われた孤児となり,あるいは街の再生のため家を追われ,傷に塩を塗るような差別にあい,放射線被ばくによる病気を抱え今なおその影におびえる,原爆のためにせずともよかった,筆舌に尽くし難い苦難を抱えてきた人が数多くいらっしゃいます。被爆者にとって,74年経とうとも,原爆による被害は過去のものではないのです。
 そのように思いを巡らせるとき,とても単純な疑問が心に浮かびます。
 なぜ,74年経っても癒えることのない傷を残す核兵器を特別に保有し,かつ事あらば使用するぞと他を脅すことが許される国があるのか。
 それは,広島と長崎で起きた,赤子も女性も若者も,区別なくすべて命を奪うような惨劇を繰り返しても良い,ということですが,それは本当に許されることなのでしょうか。
 核兵器の取扱いを巡る間違いは現実として数多くあり,保有自体危険だというのが,米国国防長官経験者の証言です。近年では核システムへのサイバー攻撃も脅威です。持ったもの勝ち,というのであれば,持ちたい人を押しとどめるのは難しいのではないでしょうか。
 明らかな危険を目の前にして,「これが国際社会の現実だ」というのは,「現実」という言葉の持つ賢そうな響きに隠れ,実のところは「現実逃避」しているだけなのではないでしょうか。
 核兵器不使用を絶対的に保証するのは,廃絶以外にありません。しかし変化を生むにはエネルギーが必要です。ましてや,大国による核兵器保有の現実を変えるため,具体的に責任ある行動を起こすことは,大いなる勇気が必要です。
 唯一,戦争被爆の惨劇をくぐり抜けた我々日本人にこそ,そのエネルギーと勇気があると信じています。それは無念にも犠牲になった人々に対する責任でもあります。核兵器を廃絶し,将来世代の誰もが幸せで心豊かに暮らせるよう,我々責任ある現世代が行動していこうではありませんか。広島県としても,被爆75年に向けて,具体的行動を進めたいと思います。
 結びに,今なお苦しみが続き,高齢化も進む国内外の被爆者への援護が更に充実するよう全力を尽くすことを改めてここに誓い,平和へのメッセージといたします。

   令和元年8月6日                 広島県知事 湯崎 英彦