Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ときどき雨模様

2019年09月15日 23時10分40秒 | 天気と自然災害

 18時過ぎに歩いて帰宅途中ポツンと顔に雨らしきものがあたった。40分ほど歩いているうちに5回ほど。現在は横浜市域に雨の区域はない。しかし千葉県の方から神奈川県に向かって弱い雨の区域が迫ってきている。
 ということでいつもより30分早くウォーキングに出かけた。しかし折り返し点付近で10分ほど弱い雨の中を歩く羽目になった。雨はその時だけで済んだ。

 明日16日・明後日17日は敬老の日にちなんでの労働組合の高齢者集会。二日続けての退職者の集まりである。明日は日本教育会館、明後日は文京シビックセンターが会場になっている。いづれの日も午前中に横浜駅に集合して、ニ十数名で会場に向かう予定。
 雨は降らないで欲しいのだが‥。連続して8年、この集会に出ているが、雨になった記憶はない。


災害対策は人を鍛える

2019年09月15日 20時15分32秒 | 天気と自然災害

 千葉県を中心とした停電被害や台風による家屋被害、早い回復と復興を祈りたい。しかし行政の対応がこれほど後手に回るというのに驚いている。
 インフラの復旧に手間取っている間に、家屋侵入よや泥棒被害、そしてデマの情報、憎悪を煽る風評などが横行しているようだ。しかし現在の政権与党の災害対応はひどすぎるのではないか、と思う。

 ツィッターでは次のような指摘も。 「News23で、台風被害で安倍政権は「大きな被害は出ない」として関係閣僚会議を見送った。(8日)、「2、3日で復旧するだろう」との見方を共有(9日)、本日13日、菅「(災害対応を)迅速かつ適切に行った」まさに安倍政権人災」。
 さらに「大災害の度に、必ずやらかす安倍政権。山梨県の豪雪の時は天ぷら食ってたし、広島の土砂崩れの時はゴルフ、大阪大地震のしゃぶしゃぶ、西日本豪雨の夜は赤坂自民亭でドンチャン騒ぎ、そして今回の内閣改造祭りで千葉県放置。こんな連中に緊急事態条項なんか認めたら、間違いなく日本は崩壊しますよ。」

 災害復旧の第一線に立つ人々に対して、災害時の的確な判断をする能力、ならびにその陣頭指揮に立つ気概の無い政治家が政権を担うことの怖ろしさを私は噛みしめている。長い間災害対策の第一線に立ったという自負のある私にはとても情けない。災害対応は人を成長させてもくれる。政治家は災害対応で、その活動の幅と行動力の真価を問われるのである。

 「災害対策は行政マンとしての能力を高めてくれる」とは、既に亡くなってしまったが、職場の先輩の大切な指摘であった。


「坂本繁二郎展」 その4

2019年09月15日 11時16分37秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 今回の「没後50年 坂本繁二郎展」でもっとも私が見たかった作品がこの「壁」(1954、三菱一号館美術館)である。1970年の追悼展で初めて見た。そのご複製画を仙台にあった書店の丸善に無造作に掲げられているのを毎日のように学校の帰りに見に行った。しかし夏休み前に片付けられてしまった。夏休みに追悼展の図録を見たが、モノクロの図版しかなくてがっかりした。
 紫の諧調がこの作品の眼目である。夕陽のような光が柔らかく左から指している。まずはこの赤紫の色に私は惹きつけられたのである。しかしあれから40数年、記憶も薄まり、今回あらためのこの作品に見入った。実は2006年の展示ではこの作品がなかった。会場で探して歩き回った記憶がある。とても残念であった。

 1970年当時は気にならなかったが箱は少し遠近法を無視したところがある。下にある箱の蓋は遠近法に従っているようだが、手前の箱の本体は箱の上面が長方形で向こう側に狭くなっておらず、本体は遠近法に従っていない。
 さらに箱は上から見下ろして描かれている。しかし能面は画面の真ん中よりやや下側から見上げるように描かれている。能面を見上げる視点から下面を見ると、初めは箱などの静物が目に近くに迫って見える。しばらく見ていると箱の中を見るように、上から見おろす視線に変化して、次第に箱が下に遠ざかっていく。これを繰り返すと箱が手前に浮き上がってきたり、舌に遠のいたりを繰り返す。当時はこの視線の変化に無意識だったが、これがこの作品をとても奥行きのある画面に見せているのではないかと思うようになった。

 箱から再度能面に視線を移して行こうとすると箱の置いてある面と壁の接点である水平線には青い色が塗られている。これは波打ち際にも見える。そのすぐ左上にはうすく青紫に塗られて雲のようにも見える。とても奥行きのある風景かと錯覚する。そして能面を見上げるのである。
 この視線の移動は目の錯覚を促し、能面は壁に掛けかけられているというよりも、空中に浮かんでいるように見える。ひょっとしたら沈む太陽かとすら錯覚する。その割にはギラギラしていない。

 静物画というよりも人間の幻想を誘導するような作品である。