「音楽の理論」(門間直美)は5ページほど読んで、いつものとおり本棚にめでたくしまい込んでしまった。「ツンドク・タテトク」を半世紀続けて、いつも最初の〇〇ページで終わってしまう。
その後は「ゴヤⅢ」を読見進めた。こちらは興味深く読み進めている。
秋の蝉の声も微かに、そしてときどきしか聞こえなくなった。
★遠き樹に眩しさ残る秋の蝉 林 翔
★秋蝉のこゑ澄み透り幾山河 加藤楸邨
★蜉蝣やわが身辺に来て死せり 和田悟朗
「音楽の理論」(門間直美)は5ページほど読んで、いつものとおり本棚にめでたくしまい込んでしまった。「ツンドク・タテトク」を半世紀続けて、いつも最初の〇〇ページで終わってしまう。
その後は「ゴヤⅢ」を読見進めた。こちらは興味深く読み進めている。
秋の蝉の声も微かに、そしてときどきしか聞こえなくなった。
★遠き樹に眩しさ残る秋の蝉 林 翔
★秋蝉のこゑ澄み透り幾山河 加藤楸邨
★蜉蝣やわが身辺に来て死せり 和田悟朗
リハ病院からの帰途は歩いてみた。少しだけ遠回りをして神奈川大学の六角橋キャンパスの生協に寄って家まで歩いた。約8000歩ほどであった。寄り道をしなければ6500歩程であったろうか。行くときは陽が当たり暑かったが、帰りは陽射しも大きく傾き、ウォーキングとしては楽であった。ただし洗濯物の入った紙袋を持ち歩いたので、腕は草臥れた。
昨晩の宴会の影響は体から消えたと思うが、本日は休肝日。
昨日の昼間に続き、夕食が住んで読書タイム。ふと思いついて、「音楽の理論」(門間直美、音楽之友社)をひっぱり出してみた。音楽の理論というか、楽典というのはいつも数ページで、高い塀のようなものに跳ね返されてしまう。だいたいは和声の理論、それもほぼ最初の「和音の進行」で挫折する。
今回はそこまで行く前に放り出しそうである。もともと完読を期待してページをめくっているのではなく、楽譜をながめるのが楽しいのでめくっている。
それなら有名な曲のスコアで十分、といわれる。それもそのとおりでスコアを見るだけで十分に楽しい。しかしやはり「理論」というものに惹かれるのも事実である。
どういうわけか、私の頭の中は「理論」と聞くと活性化されるようだ。理解できても理解できなくても、「理論」という語感に弱いのだと思うことにしている。いつか読もう、と思っているうちに50年近く経ってしまった。
むろん、「酒井抱一」と「ゴヤⅢ」は手放さずに読んでいる。ユックリではあるが。
たっぷりと7時間は寝た。しかしまだ眠い。朝起こしに来た妻に、にんにくの匂いがきつい、といわれた。そういえば昨日はだいぶにんにくの効いたネギをたっぷりと食べた。寝る前の入浴に加えて、朝のシャワーでもう一度全身をくまなく洗身。だいぶさっぱりとした。
と油断をしたら、キーボードの横に肘をついたまま寝ていた。自分の寝息で目が覚めた。
昨日飲みながら退職者会の会員と話をしていたら、「50年前は『知性の叛乱』、現在は『知の敗北』」と誰かが言っていた。別の仲間は「いやいや『常識の敗退』」、「あこがれるような『知性』のかけらも見えない」、「『粗暴の横行』がキーワード」とも言っていた。言葉遊びはわれわれ酔っ払いのたわごとではあるが、われわれを取り巻く社会が、何とも情けない社会になってしまったものである。
同時に話題となったのは「介護」。こちらは言葉遊びや笑いはなく、それぞれの体験を頷きながら聞いていた。
そして「カジノ」へ舵を切った市政への怒り。
と昨晩を回想しつつ、うつらうつらとしている。本日の気分は「後退局面」。