病院での面会中に強い睡魔に襲われ、病室の傍の面会コーナーのソファで私はうつらうつら。眠気というものにはどうしても勝てない。そして病院からの帰途、妻は病院の近くのターミナル駅で買い物。私は鉄道で横浜駅まで。
横浜駅まで出かけたものの、特に予定や買い物があるわけではなく、「何のためにここまで来たのか」と自問自答しながら、書店と文房具売り場と家電量販店をブラブラ。喫茶店で座るとすぐにでも寝てしまいそうなので、取りやめた。
夕食後は昨日届いていた「図書9月号」を読みながら、またしても眠気が襲ってきた。
人は、動物はどうして眠くなるのだめう。Wikipediaによると睡眠とは「周期的に繰り返す、意識を喪失する生理的な状態」をいうらしい。この定義に従うとしても、疑問は出てくる。
「周期的」とは、「意識を喪失する」とは、どういうことなのか。「生理的」という以上は、何かの体内での契機や信号が引き金になる。また「周期」をつかさどる引き金は何か、「喪失した意識」が戻るきっかけは何か。なぜ「周期的な意識喪失」が動物にとって必要なのか、睡眠の有無が動物と植物の境界なのか。
疑問は次から次へと湧いてくる。
睡眠という定義ひとつとってもよくわからないことばかりである。どうも人間というものは、応用と道具については貪欲だが、こと基本的な事項については、未だ解明されずにいることを忘れてしまったり、解明されているものと思い込んでしまうものらしい、という結論を出したくなってしまう。
私は物事を深く追求することはどうも不得意で、自分では何も解明することはしない。そのくせに、疑問点を羅列することが好きな人間のようだ。
人に文句ばかりいう人間に似ているのかと思うと、ぞっとする。自分自身に嫌気がさす。私のもっとも嫌いなタイプの人間であるから。
ここまで記載していたら、とりあえず眠気は去ったようだ。