Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の読書と夜のウォーキング

2019年09月01日 23時22分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 1時間ほど読書タイムで「図書9月号」を始めから8編(9編のうち)。いつものような覚書・抜き書きは明日の午前中に持ち越し。
 しかし「秋の蝉」(朽木祥・作家)の文章は美しかった。私もあのように美しい文章が書きたいものだと思う。『月白青船山』という小説を5月上梓したとのこと。今度手に取ってみたいと思った。
 残りは8編。明日の午前中には読み終えたい。

 夜のウォーキングは50分ほど。暑さが残っていた。しかし気持ちのいい汗をかいた。
 いつものようにウォーキングの後は、冷たいウーロン茶を300cc飲み、さらに熱いウーロン茶で気分を落ち着かせてから風呂へ。


ふと「人はどうして眠くなるのか?」

2019年09月01日 20時56分04秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 病院での面会中に強い睡魔に襲われ、病室の傍の面会コーナーのソファで私はうつらうつら。眠気というものにはどうしても勝てない。そして病院からの帰途、妻は病院の近くのターミナル駅で買い物。私は鉄道で横浜駅まで。

 横浜駅まで出かけたものの、特に予定や買い物があるわけではなく、「何のためにここまで来たのか」と自問自答しながら、書店と文房具売り場と家電量販店をブラブラ。喫茶店で座るとすぐにでも寝てしまいそうなので、取りやめた。

 夕食後は昨日届いていた「図書9月号」を読みながら、またしても眠気が襲ってきた。

 人は、動物はどうして眠くなるのだめう。Wikipediaによると睡眠とは「周期的に繰り返す、意識を喪失する生理的な状態」をいうらしい。この定義に従うとしても、疑問は出てくる。
 「周期的」とは、「意識を喪失する」とは、どういうことなのか。「生理的」という以上は、何かの体内での契機や信号が引き金になる。また「周期」をつかさどる引き金は何か、「喪失した意識」が戻るきっかけは何か。なぜ「周期的な意識喪失」が動物にとって必要なのか、睡眠の有無が動物と植物の境界なのか。
 疑問は次から次へと湧いてくる。

 睡眠という定義ひとつとってもよくわからないことばかりである。どうも人間というものは、応用と道具については貪欲だが、こと基本的な事項については、未だ解明されずにいることを忘れてしまったり、解明されているものと思い込んでしまうものらしい、という結論を出したくなってしまう。

 私は物事を深く追求することはどうも不得意で、自分では何も解明することはしない。そのくせに、疑問点を羅列することが好きな人間のようだ。
 人に文句ばかりいう人間に似ているのかと思うと、ぞっとする。自分自身に嫌気がさす。私のもっとも嫌いなタイプの人間であるから。

 ここまで記載していたら、とりあえず眠気は去ったようだ。


秋を実感する

2019年09月01日 13時09分29秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 午前中は団地の管理組合の諮問委員会の会議。いつものとおりお昼前に終了。外は暑いことは暑いが、湿度も低いようで体を刺すような熱気などは感じなかった。
 外では夜の秋の虫とは違って蝉の声がさかんである。それも秋の蝉の声である。8月の蝉の声は天から押し寄せるように降ってくるが、9月になった今は遠慮がちに聞こえる。
 夏とは違って私達を包む自然が少し柔らかく、人間に遠慮がちになったと思う。音だけでなく、光も柔らかくなった。心なしかアスファルトや土も熱気が少し去って足に馴染んできた。腕に当たる空気も落ち着いてきた。

 お昼と稲庭うどんを冷やして食べた。山芋と大葉と海苔、これに切り干し大根とキュウリのぬかづけ。素麺よりも歯ごたえのあるうどんの方が美味しく感じられるのも、8月の熱気が去った為であろうか。

 これより、親のリハ病院へ妻と出かける。


蚊の活動

2019年09月01日 09時53分02秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 昼はセミ、夜は秋の虫とすっかり時間と場所の棲み分けが完了した。夜にセミの声を聞くこともなくなってきた。秋の虫は昼間に聞こえることはない。鳴いていたとしても昼間の騒音に消されて聞こえることはない。
 しかし蚊が活動し始めた。35℃近くの気温では蚊は活動しなくなるとのこと。最近の気温の高さでは蚊は8月の関東の暑さでは活動をやめ、25℃~30℃の気温になると再度活動を始めるとのこと。現在の気温が蚊にとっては適温なのであろう。蚊の対策が必要になる。

 私は学生のころ、特に高校生まではよく蚊にくわれた。大学生から50代まではあまり蚊にくわれなくなった。しかし50代以降再び蚊にくわれるようになったと思う。あるいは蚊にくわれるのが、苦痛になった、という言い方の方があっているかもしれない。
 体質や、運動量、体温、皮膚からのCO2の排出の量など生活環境や年齢によって変化があるのだろうか。また蚊に注入される人間にとっての毒に対する反応に差が生じるのであろうか。蚊が媒介する病原菌に対する人間の体の抵抗力にも差は生じるのだろうか。いろいろ考えていると、蚊そのものがとても憎らしく思えてくる。蚊の飛ぶ音がとても気になるようになる。
 蚊にとっては大切な栄養であるのだろうが、この小さな刺し傷がとても気になるのである。

 昨晩も横浜駅から歩いて帰る途中、二度ほど腕に蚊が止っていた。さいわい刺される前に振り払ったので事なきを得た。玄関前では顔の周りで蚊の飛ぶ音が聞こえ、両手で頭の周りを振り払い、急いで家の中に入った。さいわい蚊は家の中に入ってこなかったと思われる。

 しばらくは蚊との攻防が続く。