Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

うれしい便り

2019年09月12日 23時30分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日はうれしい便りが二つあった。学生時代の友人から久しぶりのメールが来た。仙台で一緒に過ごした共通の友人が入院したのだが、お見舞いに行ったときの様子を知らせてくれた。横浜から仙台になかなか行くことができないので、嬉しい限りである。東京から仙台までお見舞いに行ったとのことであった。
 もう一人は俳句の結社で大変お世話になった方である。たくさんのことを教えてくれたことをよく覚えている。ツィッターやフェイスブックでのつながりは、難しいこともあるが、時々嬉しいこともある。

 いづれも嬉しいことは長続きしてほしい、と思う。年齢が重なれば重なるほど、この思いが勝ってくる。


野分

2019年09月12日 21時47分30秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 先ほどようやく帰宅。予定よりも遅くなってしまった。明日は昼から組合の会館で大切な会議である。本日までにできあがった資料は先ほどまでに印刷・製本して準備は終了。残念ながらそれまでにまだいくつかの準備が必要である。
 千葉県を中心にした台風15号の被害の深刻さがようやく報道され始めた。横浜市内でも金沢区内での工業団地で大きな被害がようやく報道された。伊豆七島での被害も報道されるようになった。被害は広範囲かつ深刻である。
 自治体情報を垂れ流すばかりであったNHKもようやく事態の深刻さに気がついたのだろうか。自治体情報を垂れ流すだけならば、NHKは国営放送で終わる。

★釣鐘のうなるばかりに野分かな     夏目漱石
★鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉      与謝蕪村
★今生はつぐなひの生遠野分       能村登四郎

 第3句、野分が通り過ぎる間、ひたすら耐えている時間の長さは人を内省的にさせる。自然の猛威の前に人は自分の無力を実感する。そんなときふと来し方行く末を思うものである。過去の自分の在り様にも目が向くものである。そんな過去を引きづる自分のこれまでの歩みを「つぐなひの生」と思い込んでしまうほど、自然の猛威は人を圧倒する。
 私はとても切実な思いの存在を汲み取った。どんな思いかは人それぞれが噛みしめることが必要。その内容まで言ってしまっては俳句にはならない。


遠い稲びかり

2019年09月12日 00時03分25秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 22時50分に横浜市域の大雨・雷注意報は解除になった。しかしウォーキング中に北から北東の方向を見ると雲の中でさかんに放電しており、雷鳴は聞こえなかったが、稲光が絶え間なく見えた。雲は全天の9割を覆っていた。
 北から北東の方向へ稲びかりが移動していったということは、川崎市の中部から湾岸部にかけての方向であったと思う。あるいはもっと近くの鶴見区の湾岸部あたりであったかもしれない。
 レインアイよこはまを見るとその付近に雨の区域はなかった。雨の区域は東京都と千葉県の境から千葉県北部にかけて猛烈な雨の区域が移動していった。

 ひょっとしたら停電被害の地域は、今晩も強い雨にさらされている可能性がある。復旧作業にも影響は出ていないのであろうか。なかなか報道がされていない。また自治体の取組みの周知は報道されるが、何か必要か、何がなされていないのか、といった現地の状況を掘り下げた報道が今ひとつ伝わってこない。私の情報が不足しているのか、報道自体に問題があるのか、残念ながら判断ができない。
 確かに情報は待っていてももたらされるものではない。自分から主体的に情報は取寄せないと得ることはできないのは充分承知をしている。しかし報道でしか知ることのできないこともたくさんある。是非そのことを果たしてほしいと思う。

★いなびかり人と逢ひきし四肢てらす   桂 信子
★稲妻の緑釉を浴ぶ野の果てに      黒田杏子

 第1句、とても艶めかしい句。どきっとする。
 第2句、稲妻を見ながら「緑釉」を連想するほどゆとりある心は持ち合わせはない。しかし「緑釉」と「野の果て」の取り合わせは魅力的である。むろん遠い稲妻であったかもしれない。仮想の現実を引き寄せる力を感じる。好きな句である。そして緑釉の美しい織部焼を想像ている。