Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

横浜市で冠水

2019年09月03日 23時52分25秒 | 天気と自然災害

 横浜市港南区と金沢区で道路の冠水と土砂崩れが報道されていた。

 港南区はずいぶん長く仕事に携わった。冠水した個所と思われる日野インター付近では台風時に冠水を経験したことがある。その時は、夜中の暗い中、十数人の職員で手分けして泥水の中にある路面の排水の枡をようやく探し出した。枯葉で詰まっている蓋の清掃をしただけで、半径50メートル、深さ60センチ近かった冠水個所があっという間に解消できた。地元の方も交通整理などで手伝ってくれた。当時所長と一緒にお礼に何軒かの家や商店をまわったことを鮮明に覚えている。
 それが今回の冠水の原因が同じとは限らない。特に今回は日野川の溢水が原因のような報道もあるので、私の古い経験した場所とは少し違う可能性のほうがおおきい。

 災害というのはその都度原因が違ってくる。前回の問題の個所の改善をしても、別の原因で同じような問題が生ずることは残念ながらたびたびあった。また広範囲の影響の障害でも原因は小さな場合もある。一つの枡の泥やビニールのつまり、蓋の上の枯葉、1本の管の折損やひびや継ぎ目のズレ、土留めの小さな穴などちょっとしたことで広範囲の影響が出るのが水に絡む災害である。

 どちらの区も、道路管理者・下水道管理者を兼ねる部所は苦労したと思う。やはり大雨警報、洪水警報などと報道されると、自分の体験が何十年前であっても思い出されてくる。災害対策というのは いつも100%できるかというと、それがなかなか難しい。経験を積んだり、長い期間そこで業務をしていても、同じような災害であっても、災害ごとに違うところに障害が発生して後追いになってしまうことが多かった。予想というのは本当に難しい。

 23時現在、洪水注意報は解除となったものの、大雨警報・雷注意報は継続している。わたしの住んでいるところはさいわい雨も雷もおさまった。

 


横浜市南部に土砂災害警戒情報

2019年09月03日 21時43分41秒 | 天気と自然災害

■土砂災害警戒情報         3日21時10分発表
【警戒対象地域(新規)】 横浜市南部

※横浜市北部:鶴見,神奈川,旭,港北,緑,青葉,都筑,泉,瀬谷の各区
 横浜市南部:西,中,南,港南,保土ケ谷,磯子,金沢,栄,戸塚の各区

 土砂災害警戒情報発表中はがけ崩れの危険が高まっています。がけ地から離れるなど、万一に備えて自主的な避難行動をとってください。土砂災害警戒情報の詳細については、下のリンクからご確認ください。
【詳細情報】 http://www.bousai-mail.jp/yokohama/rireki/saigai/6-39870.html
▼横浜市防災情報 http://www.bousai-mail.jp/yokohama/
▼横浜市携帯サイト http://m.city.yokohama.lg.jp/

 


大雨・洪水警報&雷注意報

2019年09月03日 20時46分56秒 | 天気と自然災害

 18時ころから我が家の家の周囲は雷が鳴り始め、ポツポツと降り始めた。あっという間に雷が近づき、今は光ると3秒ほどで雷鳴が響き渡るようになった。いったんパソコンの電源を落としてコンセントを抜く予定なので、暫時中断。
 横浜球場では雷で試合中断⇒試合中止となったらしい。
 昼間、病院から昼間部屋の状況確認のために、親も一時帰宅したものの、強い雨に降られた。雷が鳴らなかったので助かった。

 夕食時はパソコンの電源を抜いていたが、ようやく雷が少し遠くなったので、パソコンを立ち上げた。しかし雷光がひっきりなしに光っている。
 19時半過ぎのレインアイよこはまを見ると、港南区・南区のほぼ全域と、戸塚区・磯子区・保土ヶ谷区の半分は80ミリの雨の区域に入っている。こんなに広い赤い表示は久しぶりに見た。
 そして河川水位情報で、「氾濫危険水位を超えた」というお知らせメールもひっきりなしに届いている。さいわいまだ実際に溢水の情報は入っていない。溢水したら大事である。

 昼間出ていた大雨・洪水警報はいったん注意報に変わったものの、ふたたび大雨・洪水警報、雷注意報に戻った。


「図書9月号」 その2

2019年09月03日 09時51分15秒 | 読書

 その1の続き。

 以下の抜き書きは、文章の書き方の手本として、写してみた。このように過不足なく、情感を込めた濃密な文章を書いてみたいものである。書き写すことで少しでもその文章の秘密に近づいてみたいと思う。
 「自分でいい文章と思うものは書き写してみるのが一番、そうするとその秘密に近づく」というようなことを中学生の時に国語の教師に教わった。パソコンのキーボードでは「写す」ことにはならないが、それでも多少は勉強になるのではないかと思っている。
 「図書9月号」16編のうち、12編を読了して今月は終了。

12.秋の蝉                朽木 祥

「かはたれどき、裏山から蜩の声が響き渡る。カナカナカナと一匹が鳴き始めると、たちまち何重もの声が唱和する。/鎌倉の山に移り住むまで、蜩は日暮れの客だとばかり思い込んでいた。‥‥。/横になったまま耳を傾けていると、くりかえしくりかえし唱和される蜩の声がしだいに心を澄ませて、この世のものならぬ声を聴いているような心地になる。まるで、地の深いところから解き放たれた小さな精霊たちが天に向かって駈け上がっていく足音のように聞こえるのだ。/初めて細い切通しに足を踏み入れたときに、聴こえてきたのも蜩の声だった。ああ、明け方のあの精霊たちだと、足を止めて耳をすませた。/澄んだ声が切り通しに反響し、天はたそがれて、日の名残りが断面に影を落とす。ふと蜩の声が止むと、あたりはしんと静まりかえる。」

「鎌倉は過去も現在も一緒くたになって、死者も生者もともに暮らしているような土地なのだ。住宅地にぽつんと重要な史跡が残っていたり、目には見えなくとも心をざわつかせる気配が漂っていたりするのである。」

「ジョイスの作品に『死者たち』という中編がある。ラストでは一編の雪から遥か西の台地へ、さらには天空にまで広がり、やがてまた一点に集中していく視点が描かれる。かつて英語で書かれた文章の中でも抜きんでて美しい。美しいだけではない。読むたび、どうしてこんなにも心を揺さぶられるのか、若い日には分からなかった。/「死」というものがずっと身近になり、自分の立つ場所の意味がいくらかはっきりし、長い時間の流れに連なる自分の生を意識するようになって、ようやく、少しだけ理解できるようになった。/この地点、この時間に生きることの意味と無意味が。この地点、この時間に連綿と存在するものの重みが。/遠い国のことを思い出したり、そんなことを考えるようになったのも、鎌倉の地、その光景からだった。/苔むした塚や切通しの地層は、今立っている場所と地続きの過去を思い起こさせる。永遠の前のほんの一瞬を私たちは生きているが、その一瞬一瞬が歴史の連なりを作っていることに改めて気づかされるのだ。」