Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は早起き・・

2019年12月20日 23時09分07秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 明日は土曜日、退職者会の仲間と東京の浅草付近の散策と聞いている。9時に横浜駅集合。昨日まで参加するか、しないか、悩んでいた。妻は私が出かけるものだとさっさとその気になっている。私が不在なりの予定を立てている。私が不在の方がうれしいのだろうか、と少々いじけている。
 問題は8時15分頃には家を出なくてはいけないこと。いつも私が起き出す時間である。そこまで強い決意を自分でできるか、心配している。

 本日は牡蠣を食べた。バターで炒めた。生のときには同じ大きさだったものが、炒め終って皿に乗せると、ごく小さいものからそれなりの大きさのものまで、不揃いに並んだ。小さくなったものは硬め、大きいものは口に入れると旨味が口に拡がる。小さいものは味が感じられなくなってしまう。
 それでも好きな牡蠣である。できれば酢牡蠣も食べたかった。

★牡蠣食べてわが世の残り時間かな    草間時彦


冬至

2019年12月20日 20時14分26秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 やはり日がかげると寒い。家を出たときは暖かいので、薄い木綿の上着だけで出かけたが、喫茶店を出るとこの格好では寒かった。それでも家まで30分ほど歩くうちに少しだけ汗をかいた。

 二十四節気では明日21日までが「大雪」、22日からが冬至である。22日は一年で一番昼が短い日、ということになる。

★山国の虚空日わたる冬至かな      飯田蛇笏
★老いの手を見せ合うてゐる冬至空    飯田龍太

 親子の俳人の句。各1句だけで優れたそれぞれの俳人の特徴を論ずるのはとても無理な話である。しかし前句は風景が広く、私の眼前に迫ってくる。景色を私の前に引き寄せる言葉の力にいつも私は脱帽してしまう。「空」ではなく「虚空」。虚無の空、というよりも私は虚空蔵菩薩の虚空として読んでいる。何か救いとして存在しているような「空」なのである。
 後者の句は、風景としての自然はない。老いた人々の柔らかい会話や寄り合いの中の自然な仕種が伝わってくる。自然な、作り事とは程遠い人事の句である。多分農作業での荒れた手を見ながら、むろん冷えなどの歎きもあるかもしれないが、お互いにいたわり合っている情景に感じる。その場の雰囲気に温みがある。
 前者が救いや癒しのある風景ならば、後者は人間の集団に救いや癒しを見つけている。いづれもそこに馴致したい自然であり、人の営みである。特に後者は私には手の届かない難しい境地である。


本日は休養・休肝日

2019年12月20日 10時15分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 よく晴れた日、明るい太陽は気持ちを柔らかく開放的にする。

 ここ数日高めであった血圧、今朝はこれまでの数値に戻ったようだ。お酒を飲んだ翌日は高い、というわけではない。高めの日が数日続いた後は元に戻る。何が原因で高めの日が続くのか、わたしにはよくわからない。降圧剤でのコントロールが効かなくなるというのは、不安になる。なるようにしかならない、という気持ちもある。

 本日の午前中はテレビの屋内配線の更新工事。自分の家と親の家の工事の立ち合い。その後の予定は立てていない。

 そろそろ年賀状の図案でも考えるのもいいかもしれない。