Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の業務はこれにて終了

2019年12月26日 23時43分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 つい今しがた歩いて帰宅。横浜駅から少しばかり遠回りをして歩いてきた。酔いもだいぶ醒めてきた。リュックは少々重かったけれど、歩いているうちに重さは気にならなくなった。横浜駅ではタクシーも長蛇の列、地下街も出入口が閉ざされる真際の為、駆け足で通り抜ける人が大勢いた。
 昔は横浜駅は、12月26日を過ぎても大勢の現役の勤め人が忘年会帰りでごった返していた。最近は21時を過ぎると人はずいぶん少なくなったような気がする。友人によると人の数は変らないが、大勢で大騒ぎする人が減り、静かにクリスマスや年末を少数の人で個室の居酒屋などで過ごす人が多くなったので少なく感じるのではないか、という。それも否定できない。

 大勢で騒ぐ忘年会は確かに減ったし、12月の上・中旬までに終わっているのではないか。さらに忘年会の単位がより少数の、ごく身近な職場の範囲に限定されてきている、という指摘もある。
 それ自体は良い変化だと私は思う。70人、80人単位の大勢の忘年会というのは、なかなか難しい。むろん、いろいろと職場毎の事情はあると思うが、せいぜい50人までが限度ではなかろうか。
 大勢の場合は軽く乾杯程度で一年のねぎらいをして、あとは小さいグループに分かれて楽しむという風に変わってきたと聞いている。クリスマスと同様に、家族で静かに年末・年始を迎えるというのは私は歓迎したい。あくまでも個人の好みの問題ではあるが、これを否定はしたくない。

 そんなことを考えながら、横浜駅から歩いて帰宅した。

 


書類整理に一区切り

2019年12月26日 13時48分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 各種講座の資料を廃棄した。残したのは美術関係の講座の資料と沖縄関連の資料、ならびに学生時代の友人との交流の資料。現代を読み解くための講座、戦後史の講座、古代史や芭蕉の読解、平家物語などの読解その他もろもろの講座の資料を捨てるのは忍びなかったが、これ以上ため込むわけにはいかなかった。
 退職者会の資料も2015年以前のものは廃棄をすることも考えたが、取りあえず今回は残した。それでも本棚から分厚い昨年までの6冊のファイルが机の横に鎮座している。2015年前のファイルを廃棄すると3冊は無くなる。ファイルから書類を一つずつ取り出したうえで早めに廃棄したい。
 さらにこのほかに個人情報が満載のファイルが3冊ある。現役のときの組合の資料の一部である。組合の会館に元本があるので廃棄すること自体は問題はない。我が家のシュレッダーでは時間がかかるので組合の会館の大型シュレッダーのお世話になった方が良さそうである。これも来年に処理することにした。
 机の上と、机の前の本棚の一角はこれから一年の資料を置くために開けることは出来た。

 昼食後は風呂の大掃除。一応終了。これから出かける用意。

 日が照ってきた。日蝕は見ることが出来るであろうか。