Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「犬の記憶」から その4

2022年08月07日 20時10分51秒 | 読書

   

 本日は「犬の記憶」から「城」と「海辺の日記」の2編を読み終えた。体長の回復と読書量あるいは読書時間は関係があると断言していいようだ。

「僕の記憶への旅は、ありうべき全体像の風化を前提としたところから始まっているような気がする。確かに過去と現在の照合などというヌエのような作業は、カフカの小説の主人公Kのようにいらだつばかりだ。目の前に映っているように見えて行きつくことが出来ない。」(城)

「人間とは、所詮無数の風景の組みあわせのなかをひたすら駆けぬけていく存在にすぎないのだろう。はかないといってしまえばそれまでにしても、あのときのあのころの、あの風景はいったい何処へいってしまったのかと考えるとき、それは僕にとって感傷などいうのではなくむしろいきどおりに似た感覚である。人間はみな風景をつぎつぎに喪失していく。それは時間への焦燥といいかえてもよい。時間とは、無限につづいていくものてはなく、むしろそれぞれに迫りくるものだと思う。失われていく風景への追想は、同時に木たるべき死への風景を予感することでのような気もする。」(海辺の日記)

「短い言葉の向こうに風景が見え、そのさらに向こうに過ぎた時間がある。‥無数の記憶の風景も、その時点で写し止めることは不可能であったが、それらはいったん僕の記憶のそこに沈み込み、僕の意識を通り抜けることによって、あらかじめ潜在していた日付は、新たなる日付との邂逅のなかでふたたび蘇生するのではないだろうか。‥記憶とはそんなものなのかもしれない。」(海辺の日記)


少し体調回復

2022年08月07日 18時38分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 久しぶりに陽射しの中を歩いた。15時過ぎでまだ陽は高かった。杖を突いて、のんびりプラプラと歩いた。プラプラ歩きはいつ頃したか、ほとんど記憶にない。いつもスタスタどころか何かにせかされるようにせわしく、わき目も降らずに歩くのが私の歩き方であった。
 膝を痛めてから、まわりを見渡しながら、景色を堪能しながら歩いている。空には、真夏の入道雲と秋の雲が混在していた。

 これまでならば10分のところを20分近くかけて歩いて、サイフォンで淹れるコーヒーを飲ませてくれる喫茶店で、一服ののち、30分ほどの読書タイム。
  17時の閉店までのんびりして、再び同じコースをやはりぶらぶらと歩いて帰宅。最高気温の31.4℃は16時少し前で、喫茶店にいるときであった。
 いくときも帰るときも、日陰の道を選んだつもりだが、カーブごとに西日を浴びてかなりの汗をかいた。

 どんなにゆっくりとした歩き方でも、家の外を歩いてかく汗はやはり格別である。汗と共に体の内部の毒が出ていくような気分になる。
 さいわいにも右膝の痛みは今のところ出ていない。眩暈もおこらなかった。

 


少し過ごしやすい

2022年08月07日 15時05分58秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中は団地の管理組合の諮問会議。帰り際、雨が少し落ちてきたが、路面が濡れるほどではなかった。しかし南区・磯子区・中区では狭いながらも強い雨の区域が短時間で通過していた。
 最高気温の予想が31℃。現在はまだ31℃に達していないと思われる。35℃超えの気温のときに比べるとホッとする。この気温でこれまでよりも過ごしやすく感じる、というのが恐ろしい。
 これより久しぶりに出かけてみたい。本日のところは、さいわいにも眩暈は起きていない。このまま治まってほしいものである。
 久しぶりに美味しいコーヒーで一服したくなった。

 退職者会ニュースの編集作業は本日は中止。明日から再開予定。