夜になり風も強くなり、冷えてきた。空は厚い雲に覆われ、月も見えない。雲の流れは早い。本日は月齢12のほぼ丸い月と、マイナス2.8等級に近い木星が見かけ上接近して見える日。ランデブーという語は今では死語であるが、他に言葉が見つからない。
寒い中、団地の号棟の端っこまで出かけて空をしばらく仰ぎ見ていた。天頂付近で、かすかに月の光が確認できたので、5分ほど見つめていたら、雲の切れ間から月と木星が一瞬だけ顔を出してくれた。
木星は月の南側、月の直径で三つか四つくらいのところに明るく光っていた。わずか2~3秒ほどでまた厚い雲の中に隠れてしまった。さらに5分ほど粘ってみたが、月だけが2度ほど見えた。木星と月が同時に見えるだけの広さの雲の切れ間はなく、寒いので断念。家に戻った。
天文現象は見たからといってご利益があるわけではない。しかも点にしか見えない木星を見ても楽しいことは無い。たいていは寒くて震えて、もうしたくない、と思うのが天体観測である。それでも見たいと思う人は多い。
要は想像力である。木星のガリレオ衛星の動きを小さな望遠鏡で追った見ると日々動きがわかる。土星を一度望遠鏡で見ると輪が見えて感激する。次に肉眼で木星や土星を見ても点にしか見えない。それでもあそこには衛星がある、輪がある、と想像しながら見ると、楽しいのである。
惑星に限らず、変化のない恒星でも、その星の由来を知ってから見ると、あるいは星座の物語を聞いたり、読んだりして星座を見ると、それぞれに想像力を逞しくできる。
これに嵌ってしまった人間はなかなか抜け出せないものである。私は40年ほど抜け出したと思っていた。いつの間にか少しだけではあるが、星を見ることが再び楽しみになってきた。忘れてしまったことが99%以上で星座の名前も星の名も思い出せず、自信をなくしている。頓珍漢になっているがそれでも楽しい。