Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

木星と月のランデブー

2023年11月25日 21時20分11秒 | 思いつき・エッセイ・・・



 夜になり風も強くなり、冷えてきた。空は厚い雲に覆われ、月も見えない。雲の流れは早い。本日は月齢12のほぼ丸い月と、マイナス2.8等級に近い木星が見かけ上接近して見える日。ランデブーという語は今では死語であるが、他に言葉が見つからない。
 寒い中、団地の号棟の端っこまで出かけて空をしばらく仰ぎ見ていた。天頂付近で、かすかに月の光が確認できたので、5分ほど見つめていたら、雲の切れ間から月と木星が一瞬だけ顔を出してくれた。
 木星は月の南側、月の直径で三つか四つくらいのところに明るく光っていた。わずか2~3秒ほどでまた厚い雲の中に隠れてしまった。さらに5分ほど粘ってみたが、月だけが2度ほど見えた。木星と月が同時に見えるだけの広さの雲の切れ間はなく、寒いので断念。家に戻った。

 天文現象は見たからといってご利益があるわけではない。しかも点にしか見えない木星を見ても楽しいことは無い。たいていは寒くて震えて、もうしたくない、と思うのが天体観測である。それでも見たいと思う人は多い。
 要は想像力である。木星のガリレオ衛星の動きを小さな望遠鏡で追った見ると日々動きがわかる。土星を一度望遠鏡で見ると輪が見えて感激する。次に肉眼で木星や土星を見ても点にしか見えない。それでもあそこには衛星がある、輪がある、と想像しながら見ると、楽しいのである。
 惑星に限らず、変化のない恒星でも、その星の由来を知ってから見ると、あるいは星座の物語を聞いたり、読んだりして星座を見ると、それぞれに想像力を逞しくできる。
 これに嵌ってしまった人間はなかなか抜け出せないものである。私は40年ほど抜け出したと思っていた。いつの間にか少しだけではあるが、星を見ることが再び楽しみになってきた。忘れてしまったことが99%以上で星座の名前も星の名も思い出せず、自信をなくしている。頓珍漢になっているがそれでも楽しい。
 


寒気南下

2023年11月25日 20時15分03秒 | 天気と自然災害

 本日の横浜の最高気温は15時40分頃の12.8℃。ちょうど家に着いた頃であった。最高気温は12月中旬並みとのことである。外を歩いてみると風がないこともあり、それほど寒いとは感じなかった。気温が上がらないということで、手もとにある一番薄手のダウンのコートを着て外出した。
 バスに乗っている間も、ビルの中を歩いたときも、コートを着ていて暑いということもなかった。さすがに喫茶店ではコートは脱いだ。ちょうどいい室温であった。読書は思いのほか進んだ。
 明日日曜は本日よりも気温は上がらないらしい。月曜までは寒いという予報になっている。

 夏の間は関東地方だけ気温が高い日が続いたけれども、今度は関東地方だけ気温が低いような予報になっていた。不思議と言えば不思議である。


本日から「文学が裁く戦争」 その1

2023年11月25日 18時38分38秒 | 読書

   

 昨晩から本日にかけての読書は「バロック美術」の第4章「幻視と法悦 幻視絵画から総合芸術へ」。そして本日いつもの安価なチェーン店の安価なコーヒーを飲みながら「文学が裁く戦争」(金ヨンロン、岩波新書)を読み始めた。
 いつものとおり2冊の同時進行。同じ系統の本は頭の中が混乱するので、同時進行は無理。系統の違う本は飽きが来たり、頭の中が飽和仕掛けたときに有効である。気分転換にもなる。
 土曜日ということで、横浜駅から少し離れたオフィス街にある喫茶店。入店したときは空いた席は一人分だけだったが、ちょうどピークが過ぎたばかりのようで、15分もしないうちに店内はガラガラになった。
 「文学が裁く戦争」の第1章を読み終えて、少し早めだったがバスにて帰宅。

大佛(次郎)は「あの無表情なマスクの裏にどんな心が隠れていたかは今は知る由がないが、悪かつたと誰も云わなかつたのが不思議なような心持がする」と文章を閉じる。この素直な違和感こそ、東京裁判とその判決が残した課題であった‥。そこにかけ炊いたのは、被害者への想像力であり、戦争および戦争犯罪に対する加害意識であったのだ。

当時の文章に直接東京裁判を批判したり戦犯を陽子氏足りすことで、露骨な過去への賛美を表すものはあまりない。むしろ、溥儀への批判に明らかなように、裁判への不満は、旧植民地への憎悪といった形で、宛先を間違えて発露しているように見受けられる。そこに植民地支配への責任という意識は読み取れない。

戦地という特殊な場所で、戦闘員の特殊な精神状態において行われた暴力として残虐行為を理解し、軍隊を一般社会から切り離すメディアの捉え方に対して、中野重治は戦場の軍隊と国内の警察を結びつけ、暴力の連続性を可視化する。被告たちの行動を特殊な状況における異常な行動とのみみなして群や警察の組織の問題に触れようとしないことは、戦時中の国内的暴力を見過ごすことにつなから、さらに、いま占領かで行われている暴力をも容認しかねない‥

同時代において作家たちは、戦争裁判において被告席に立たされるような当事者ではなかったが、出来事の傍観者になることも許されていなかった。戦時中に書いた作品によって審判されていたこと、東京裁判とともに文学者としての戦争責任が考えられていたことは、忘れてはならない。林芙美子が苦悩の中で、物語の主人公であるゆき子に、物語内において下した死は、戦争裁判への一つの答えだった