Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

風呂好き

2023年11月11日 22時33分42秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 明日は本日よりも寒くなる予報。そして午前中は雨の予報である。午後は団地内の集会。この団地も立地して半世紀を越えている。いろいろと問題が出てくる。
 本日もシャワーであるが、昨日よりはユックリと、そしてしっかりと温まりたい。昨晩はざっくりと洗っただけだが、それでも気持ちよかった。毎日入浴できることはとてもうれしいものである。入れなくなるとそのありがたさが身に沁みる。

 私は本来風呂好き、長湯好きである。温めの湯に長時間入るのがいい。温泉に行って温めの湯に3時間入ったままのことがある。一緒に旅行にいった仲間が呆れていた。
 家族旅行でも夕食前にひと風呂浴び、夕食後に1時間は入る。寝る前にも30分は入浴したい。むろん朝風呂にも30分以上は入りたい。
 熱めの湯の場合も、入る時間を半分ほどにしたり、浴槽の枠に座ってボーッとしている時間を長くしたり、それなりに長時間楽しむ。妻や子どもは呆れて、相手にはしてくれなかった。

 意外と慌ただしく入らなくてはならないのが、登山から麓に降りて来た時の温泉。とても幸せな時間であるが、数少ないバスの本数に合わせると、着替えも含めてわずか30分程度しかない場合もあった。替えの下着や上着をリュックから出し、汗まみれの服を防水の袋にしまい、素早く体を洗っても駆け足でバス停まで走ることも多かった。
 浴槽の中でのんびりビールや日本酒を飲むゆとりのある温泉に浸かるのは、そこに宿泊するときくらいであった。それでも下山したときの風呂の誘惑には勝てなかった。
 登山者を歓迎しない温泉宿では、共同浴場に行けといわれ、そちらに行くと「地元用」だと断られたこともある。下山地の温泉もいろいろであった。当時はムッとしたが、今では楽しい思い出になっている。


転んでもただでは起きない

2023年11月11日 20時55分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は退職者会の資料作りを一区切り付けてから、絆創膏を取り替えて外出。土曜日の混雑している横浜駅の近くの喫茶店でコーヒータイム&読書タイムとした。そして久しぶりに「バロック美術」(宮下規久朗)を紐解いた。
 既に読んだところをめくらないと忘れているので、10数ページ目を通したものの、あらたに読んだのは2ページほどにとどまった。しかも途中でうつらうつら。まだまだ読書のペースがつかめていない。
 左右両隣はどうやら予備校に通っている受験生のようで、両隣ともずいぶん必死に参考書を見ながら、ノートに丁寧に書き写していた。その間に座ったオジイサンがうつらうつらしていてはちょっと目だってしまったかもしれない。あとで考えると少々恥ずかしかった。

 50数年前の私も時には必死に勉強していたが、常にどこか醒めていた。彼らも10代最後のどう扱ってよいか自分ではわからない、鬱々とした黒い塊のような心の奥の闇に辟易としているのであろう。それをエネルギーにして必死に何かをしていると理解したいものである。彼らの努力がどのように報われるのか、挫折するのか、いづれにしろ何かを鷲掴みにして立ち上がってもらいたいものである。こればかりは自分で執拗に努力することでしか解決しない。

 そんな他愛もないことを考えながら席をそっと立った。

 


夏と冬の二季制に移行か

2023年11月11日 14時43分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中から今まで、は20日の退職者会に役員会に提出する資料作り。意外と時間がかかってしまった。これ以上はいくつか見積書を取り寄せないと出来ないので、本日はここまで。来週中に完成予定。

 朝食前に室温が20℃を下回っていたのでごく短時間ガスファンヒーターを点火してみた。すぐに室温が20℃にあがり、試験運転は終了。全国的にも夏から一気に冬に近づいている。それでも関東地方だけ気温は高めに出ている。それも来週からは下がるらしい。

 さて、「日本には四季があり、優れた気候風土」などという日本以外の地域を腐す思い上がりの風土論が未だに蔓延しているが、日本には北海道から沖縄まで多用な気候風土があることを忘れている。さらに近年のように「高温期」と「寒冷期」の二季に移行したかのような気候になっても、これまで通りの主張を繰り返して「日本人すごい」と言い続けるのだろうか。
 「四季があって、一年のメリハリが効いて、社会が進化する大きな要素が揃っている」だの「一年中変化のない土地は文化的に停滞しやすい」などと小学生の頃にずいぶん教科書で刷り込まれた記憶がある。当時はそれを信じていたものだが、次第に他の地域に住む人々に対してとても失礼な言い草だと感じるようになったのは高校生くらいの時だったか。

 四季の変化のあることは悪くはない。過ごしやすいと思うことも多い。何しろ生まれてからそれしか経験していないのだから。それはそれで致し方ない感想である。だからと言ってそれが他の地域よりも優れた気候風土だと断言してしまうこと、そして他の地域に住む人々を蔑む理由とすることとはまったく違う。多くの人は意外と無自覚にそういう感想を口にする。私はそれが最近とても気になる。