Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

無事帰宅

2016年05月12日 23時41分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 23時を過ぎて家にたどり着いた。横浜駅で無事に下車出来た。家までいつもなら歩くのだが、本日は楽をして歩かずにバスで帰宅。
 昨日あつらえたスマホの動作は快適である。フリーメールのいくつかはまだ設定していないので、明日にはすべての再設定を終了した。新しい携帯電話・スマートフォンはこの設定が面倒である。
 本日はこれにて就寝。

意思薄弱

2016年05月12日 21時57分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
新宿で飲んでいたらいつの間にか22時近くになってしまった。21時には退散する予定だったが、やはり意思薄弱である。毎度お酒を飲む度に自己嫌悪という蟻地獄の底から自分の人生を呪ってみる。これを繰り返して45年。悲しいものがある。
というふうにしおらしく言っても真実味はまったくない。

これから湘南新宿ラインに乗るが、横浜で目が覚めて降りることが出来るであろうか。心許ない。



一服の美味しいコーヒー

2016年05月12日 18時08分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
横浜市内での打ち合わせがほぼ定刻に終わり、早目に新宿に到着した。
喫茶店のホットコーヒーで一服中。混雑していてガヤガヤだが、気分は落ち着いて、周囲の人物観察を楽しんでいる。
もう少し早目に横浜を出発できたら東京ステーションギャラリーのショップに立ち寄ることが可能だったが、断念。
本日は早目に退散する予定。明日明後日と、退職者会の私の属するブロックの会報を作る時間が必要である。幹事会は16日(月)。各種資料の発送作業日である。。

沖縄旅行の写真の整理

2016年05月11日 23時29分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 沖縄旅行の写真の整理をようやく始めた。本日はその内集合写真等を中心に16枚だけだが、退職者会ブログ用、新聞用に使う予定のものを編集した。かなりまだ未整理のものが残っている。あと10枚ほどは同じように画像サイズや色調・コントラストの調整をする予定。
 さらに30枚ほどは吾人用に編集して記録として残しておくく予定。まだ時間がかかりそうである。

〈恩納村からの夕日〉


 明日は天気は回復し、風もおさまるとの予報である。気温は24℃の予想である。本日が6月下旬並みの気温との報道であったが、明日は平年並みということだろうか。
 本日はいつものようにはCDを聴く気持ちのゆとりがなく、いつの間にかこんな時間となってしまった。

 明日は10時から講座、午後は打合せ、予定どおり終了すれば、夜は都内で友人と会うことになっている。


横浜市域では終日強風注意報

2016年05月11日 21時48分39秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 スマホの機種交換は無事終了。しかし個人的な設定・カスタマイズはこれから時間をかけて再度やり直さないといけない。随分と時間がかかりそうである。
 本日は先ほど波浪注意報は解除になったが、強風注意報は終日発令されていた。最大風速が9時過ぎに12.3mを超えたり、最高気温が10時過ぎに25.6℃という嵐のような天候であった。風が強かったため、半袖では少々二の腕が寒いような気がして長袖で出かけた。15時過ぎに家を出て、内科と整形外科に行き、さらに携帯電話の店により、書店と家電量販店に立ち寄った。結局喫茶店でコーヒータイムを取る時間は無くなり、帰宅。帰宅時には多少風は弱まっていた。



水戸偕楽園の印象

2016年05月11日 13時23分25秒 | 山行・旅行・散策
 水戸偕楽園には東門から入り、常盤神社前で集合写真を撮影。梅園と見晴広場を通り、好文亭を見学し再び東門に戻った。
 梅の実は見当たらなかった。ツツジはほとんどの木で花は枯れており、わずかな本数のツツジだけがかろうじて残っていた。好文亭の造作は落ち着いた雰囲気で好感が持てた。特に杮(こけら)葺き屋根と障子が気に入った。
 園内をくまなく見て回ったが、同行者の写真などを撮影している内に集合時間となり、慌てて東門の駐車場に停めてあるバスに戻った。

                                             

水戸偕楽園

2016年05月10日 20時05分37秒 | 山行・旅行・散策
 本日の日帰りバス旅行は順調にバスが運行し、予定よりもはやく現地に着き、さらに大幅に早めに横浜に帰着した。晴れなかったが、雨も降らず上々の旅行日和となった。
 魚をたくさん購入した人、ひたすらバスの中で飲んでいた人‥それぞれに満足してもらったようだ。
 写真の整理をまず明日こなしてから報告書作成、退職者会ホームページ掲載、人数分の集合写真印刷等をしなくてはいけない。集合写真印刷は月曜日の幹事会までにこなすと郵送ができるが、果たして間に合うか。



 水戸の偕楽園のツツジは残念ながらほとんどの花が枯れていた。花がついていたのは僅かばかり。しかし好文亭は凝っていて見どころ十分であった。好文亭は70歳以上は無料ということで大半の参加者はそのまま入場。私は200円徴収されてしまった。200円では安かった。
 梅の季節は見事だと思うが、人出はすごそう。

 バスが横浜駅に着いてから慰労会という名の二次会の誘いもあったが、本日はそのままおとなしく帰宅した。



自分の遊びは自分で、と思いつつ‥

2016年05月10日 05時17分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の横浜は明け方から夜までは曇り、夜遅くから雨、ただし昼前まで濃霧注意報という予報になっている。水戸付近の天気予報も同じようなものである。最高気温は横浜が20℃。水戸は21℃くらいとなっている。長袖と多少はの雨ははじく化繊のウィンドブレーカーを持参することにした。折畳傘も必要と思われる。
 私はバス旅行は好きではない。狭い座席に一日じっとしていなくてはいけないのは地獄である。ただしこのような組織である以上はやむを得ない。
 どちらかというと遊びと云うのは一人ないし夫婦でささやかに楽しむもの、という思いが強い。だから労働組合に限らずどこかの組織が人を集めて、すべてを取り仕切ってくれるレクリエーションというものが嫌いであった。
 それがいつの間にか、私自身が労働組合という組織の責任者となるとなかなかそうも言ってられなくなる。労働組合の役割のひとつがレクリエーションの企画・実行が挙げられるてきた。「遊び位自分で考えよう」「自分でもいろいろ企画してみよう」等と云ったことはあるが、なかなかそうはならない。長年の伝統は簡単には方向転換できない。
 そこでせめて若い人には「レクリエーションや遊びを自分で企画して人を集める」ということを幾度かさせることに方針転換した。自分で企画立案をさせられることで、少なくともその人は将来は自分の休養やレクリエーションは自分で企画できるようになるはずである。ひとりで楽しむことを身につけている人はどんどん自分一人でいろいろなところに飛び込んで、楽しんでいる。だが、そのようなことをしてこなかった人は職場で親睦会の幹事になってもすぐに立ち往生してしまう。一方で集団での遊びしか体験の無い人は、その集団を離れると途端に生き生きとした職場生活を送れなくなってしまう。職場に限らず、自分で家族を持ったときにイニシャティブを発揮して家族をリードしてほしいと若い人には言い続けた。
 労働組合のレクリエーションというのは、そのような位置づけと獲得目標を設定しないといけない、と思うようになった。
 自分の思いだけが先行しては、伝統は変えられない。少しずつ新しい支店を付け加えることが大切だと思うようにもなった。

 退職者会になっても、あるいは退職者会だからこそレクリエーションの企画・実行が必要なのだろうと思っている。歳をとると若い頃よりもさらに自分で企画立案することに億劫になって来るのだろう。若い時には自分で企画立案するということから遠かった人には余計億劫になるようである。
 そして私もそこに集まる会員と顔を合わすのが次第に楽しくなってきた。もしも顔を合わすのがつらくなる時は、退職者会の役員を下りる時であろうと思う。
 当面は自分の遊びの企画・立案と組織としての遊びの企画・立案とを別々に考え、別々に実行しなくてはいけないようだ。
 

スマホがさらに不安定‥

2016年05月09日 23時15分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 急に早寝が出来るわけでもなく、これから風呂に入って、布団の中で静かに寝たつもりで時間を過ごすだけかもしれない。
 朝5時に鳴るように設定した目覚まし時計で眼がさめないと遅刻=置いてきぼりとなる。会費は当日キャンセルの場合は徴収されてしまう。
 こんなことを考えているとますます眠れなくなりそうな気配がしてきた。

 先ほどスマホの電池の残量が50パーセントになった途端に電源が自動的にオフになってしまった。スマホの状態がどうも不安定であるようだ。明日は機内モードないし電源オフで過ごした方が無難かもしれない。
 慌ただしい時に限ってこのようなトラブルに遭遇する。
明後日夕方までちゃんと役にたってくれないと、再設定がさらに面倒になる。

スマホの具合が悪く取り換えを決断

2016年05月09日 20時28分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 電池の性能は80%以上と表示されるが、18時間経つとほぼ20%を切ってしまう。これまでは24時間使えていたが、この3週間ほどで随分と劣化したように感じた。本日携帯電話のショップに行って調べてもらったところ、スマホの裏蓋が反っていることが判明した。ひょっとすると接続不良を起こしている可能性がある、と云われた。
 本当かどうか確かめるすべはないが、確かに裏蓋は1ミリメートルは隙間が出来ている。いづれにしろこれでは水がかかればすぐにダメになりそうな具合である。この電話機にして1年7カ月、前回の機器は2年ちょっとで突然壊れて電源が入らなくなった。新しい機器に乗り換えたが、電子マネーの設定に大わらわな経験をした。しかもある電子マネーは手続きに500円を徴収されてしまった。
 やむなくというかついでにというか、毎月410円で契約している補償サービスを利用して機器を交換してもらうことにした。ただし電子マネーの設定など面倒な設定をしなくてはいけないようだ。これが憂鬱である。そして機器は明後日に入荷する。明後日まではだましだまし使わないといけない。
 しかしこの裏蓋の反り、早めに気がついてさいわいだったと思うべきか、扱いが悪かったのか、あるいは機器の不具合が早すぎることに怒るべきなのか、結論がつかないうちに取り換えサービスを頼んでしまったことが、悔やまれるのかどうか。何とも言えない。

明日は日帰りバス旅行で水戸・那珂湊

2016年05月09日 12時37分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日・明日と弱い雨で、気温が最高気温が20℃位との予報になっている。湿気がある。

 明日は退職者会の日帰りバス旅行である。訪れるところは水戸偕楽園、大洗、那珂湊。参加者は41名になった。
 水戸の偕楽園は5月8日までが「つつじまつり」ということになっている。例年連休中が見頃らしいので、見ごろを過ぎているかもしれない。連休中は避けることで計画を立てたのでやむを得ないが、期待が大きいと「残念」ということになるかもしれない。
 横浜駅に集合する時間が6時30分。いつものことであるが、役員はその30分ほど前に集合して飲み物、軽いツマミ、氷等々の買い出しをする事になっている。出席確認、参加費徴収担当と、買い出し担当とは分担はしたが、大体30分間は大忙し。
 旅行中はまたまたカメラマン役。撮影よりも写真の整理と事後の報告書の編集・印刷の方が面倒である。

 私はこの時間は電車やバスの便がうまく行かないのでいつも集合場所まで歩く。毎日横浜駅まで片道35分を往復しており、歩くのは苦にはならないはずだが、毎日2時ころに眠る習慣の身である。5時過ぎに起きるのがつらい。何しろ眠い。途中のコンビニでおにぎりやお茶を購入するのだが、このような朝早い時に限って腰痛が始まる。
 本日もすでに腰のあたりが何となく疼いている。心配なので先日行ったばかりの整形外科に再び行って、痛み止めを貰ってくることにした。沖縄旅行でも、連休中も特に無理はしないで過ごしたので、原因はわからない。

 本日退職者会ニュースの校正が完了した。先ほど1点だけ修正をお願いしたが、どうやら本日中に印刷に入ることが出来るらしい。今週中の納品に間に合ってホッとしている。隔月刊であっても毎回ドキドキする。しかも5月号は連休を挟むので、無理をお願いすることになる。

ブラームス「ヴァイオリン協奏曲」

2016年05月08日 22時18分06秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 ベートーベンのヴァイオリン協奏曲の幾度目かの聴き比べを昨日まで行った。さすがにちょっとお腹がいっぱいになった感じがする。



 ブラームスのヴァイオリン協奏曲を聴くことにした。しかしよく見たら昨日ベートーベンのヴァイオリン協奏曲のソリストであるシュロモ・ミンツのものしか私は持っていない。録音も1987年で同じ年である。指揮と演奏は違っていて、クラウディオ・アバド、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団となっている。
 私は何回も聴いているのはこのCDだけである。ただし幾度かはラジオやテレビで他のコンビの演奏を聞いてはいるが、比べて聴くほどの記憶はない。聴き比べというとCDなどを持ち合わせていないとできない。
 聴き比べをしないといけないのかと思うが、そういつもCDを購入することはできない。しかし好きなブラームスのヴァイオリン協奏曲だからもう一枚くらい購入することが許されるかな、と財布と相談してみるのもいいかもしれない。
 独奏者で選ぶとすると、私の好きなヨゼフ・スークか、アルテュール・グリュミオー、あるいはヘンリク・シェリンクだろうか。徳永二男の演奏もいいと思う。5月中にCD店で悩んでみることにしてみたい。
 このCDでもシュロモ・ミンツのヴァイオリンの音の美しさは十分に感じられる。オーケストラの演奏も好みである。特に第2楽章のヴァイオリンのすすり泣くような音色とそれを支え、対話するようなオーケストラとのやりとりは聴きどころであると思っている。この部分の演奏が他のコンビでどのように処理されているのか、楽しみである。

   

冨田勲氏が亡くなった

2016年05月08日 19時25分26秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 朝日新聞に以下の記事が掲載された。

 シンセサイザーを使った電子音楽の第一人者で、音響作家としても世界的に知られた作曲家の冨田勲さんが5日、慢性心不全のため東京都内の病院で亡くなった。84歳だった。葬儀は近親者で営んだ。喪主は長男勝さん。後日、お別れの会を開く予定。連絡先は日本コロムビア。
 32年東京生まれ。慶応大在学中、朝日新聞社主催の合唱コンクール課題曲に応募し、1位となったことがきっかけで作曲の道へ。NHK大河ドラマの第1回「花の生涯」のほか、「新日本紀行」「きょうの料理」のテーマ曲などを作曲。漫画家の手塚治虫からの信頼が厚く、「ジャングル大帝」「リボンの騎士」などのアニメ主題歌も担当した。山田洋次監督「武士の一分」「母べえ」などの映画音楽にも貢献した。
 71年に渡米。米国で開発されたばかりのモーグ・シンセサイザーを日本に紹介し、本格的な電子音楽の文化を広めた。74年、全パートの演奏と録音を一人で手がけたアルバム「月の光」を発表し、米音楽チャート誌のクラシック部門で1位に。その後も「展覧会の絵」「火の鳥」「惑星」といったクラシックの名曲を現代的な響きで「再創造」した。日本人では初めて米グラミー賞にノミネート。その後もたびたび候補になり、世界的な電子音楽制作者の地位を確立した。12年には宮沢賢治に想を得た「イーハトーヴ交響曲」を発表、ボーカロイドの初音ミクとオーケストラを共演させ、話題を集めた。
 03年に映画「たそがれ清兵衛」で日本アカデミー賞最優秀音楽賞。07年には電子音楽への長年の功績を評価され、第1回エレクトロニクス・アーツ浜松賞が贈られた。11年度朝日賞、15年度の国際交流基金賞受賞。


 私もいくつかを聴いたが、最初に聞いたのは、「月の光」。この曲以外あまり縁がなかった。
⇒【https://www.youtube.com/watch?v=8ajSyyzIC_8

私の友人のツイッター上にこの曲が張られていた。耳に残っているのだが、冨田勲とは知らなかった。NHKの「新日本紀行」である。
⇒【https://twitter.com/cafeavant/status/729169052229197827

ついでに検索したら「今日の料理」も冨田勲の曲であった。いろいろな場面で氏の曲を耳にしていたことをあらためて実感した。
⇒【https://www.youtube.com/watch?v=iJXiuT2d45M

西洋美術館小企画展「描かれた夢解釈」

2016年05月08日 12時28分31秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 昨日訪れた国立西洋美術館では小企画展「描かれた夢解釈-醒めて見るゆめ/眠ってみるうつつ」展をしていた。
 今回の展示のコンセプトについて、以下のように解説されている。

「目醒めているときには見られないような、偉大な理論と優品を、夢のなかでいかにしばしば見ることであろうか。だが、目醒めれば、その記憶は失われるのだ」(下村耕史訳)――ドイツ・ルネサンスを代表する画家、アルブレヒト・デューラーは、未完に終わった『絵画論』の草稿に、そう書き残しています。
「優れた画家の心は形象で充ちている」と記し、晩年には終末的な洪水の夢を見たことでも知られるデューラーは、人間の心内に蓄積された無数のイメージ記憶が、目醒めているときよりも眠っているときにこそ活発に動きだし、豊かな変容を遂げていくことを、20世紀におけるシュルレアリスムの台頭などより遥か以前、16世紀初頭の時点で、どうやら敏感に悟っていました。
こうしたデューラーの思考が物語るように、西欧の芸術家たちはルネサンス期以来、しばしば「夢」に対する関心を露わにしています。しかも、彼らはそれをただ言葉で論じるだけでなく、絵画や版画によって描きだしてもいました。それらは1900年にジークムント・フロイトが『夢解釈』を書くのに先立ってなされた、「描かれた夢解釈」とでも呼べる試みではなかったでしょうか。
当館の所蔵作品によって構成されるこの小企画展では、デューラーやジョルジョ・ギージ以降、フランシスコ・デ・ゴヤやマックス・クリンガー、フェリックス・ブラックモンやオディロン・ルドンといった近代画家たちまでの「夢」の表象を集め、さらには「メフィストフェレス」や「聖アントニウスの誘惑」といったテーマに光をあてることで、西欧における「眠り」や「夜」、無意識の「欲望」や「誘惑」のイメージに迫りたいと思います。」


 ルネサンス期やそれ以前の寓意画・風刺画などはよくわからないものばかりである。何が描かれているのか、描かれているものが何を象徴しているのか、背景の物語や教訓は何なのか、わからない。ときたま解説があるが、それもよく理解できないものばかりである。
 西洋の中世の世俗を引きづっていたルネサンス期や近代、しかしそこににいたる道筋の中で、次第に忘れ去れた中世的世界や世界観というものは、なかなか理解が至らないようだ。高校の教科書的な歴史把握ではとても手の届かない、光と闇が複雑に交錯している。
 同時にそれを外から取り巻いていたイスラム教的世界はさらに私などには手が届かないというのが正直なところである。
 国立西洋美術館を訪れるたびに、版画素描展示室で西洋の銅版画の世界を特集した展示が行われている。いつも足を踏み入れるのだが、よくわからないままに部屋を出てしまう。
 私は感覚的に絵画を見て「理解」するということがなかなかできない。邪道と云われようが、書き言葉での解説が無いと次の一歩が出てこない。つい書き言葉に頼ってしまう。
 時代も歴史もよく理解していないと「ふーん」で終わってしまう。細部までくまなく見つめたとしても、感動が伴わないからすぐに忘れてしまう。

〈オディロン・ルドン 《そして、あらゆる種類の恐ろしい動物達が現れる》 『聖アントワーヌの誘惑』第1集(1888)〉


 ただし今回はオディロン・ルドンの作品が多数展示されていて、少し嬉しかった。ルドンという画家、不思議な造形に多くの人が惹きつけられる。私もあのグロテスクな造形に親近感すら抱くことがある。

 このような作品世界の解釈などに足を踏み入れてしまうと、自分が収拾がつかないようになるのではないかという「怖れ」と「誘惑」が背後から迫って来る。特にルドンなどの魅力に触れるとその感を強くする。現在の私にはこの世界を語る資格はまるでない。しかしどこかで惹かれる自分がある。

藝大コレクション展・上野動物園・西洋美術館etc

2016年05月07日 22時34分12秒 | 読書
 本日は、正月に購入したパスポート(UENO WELCOME PASSPORT)が妻の机の上にあった。まだ使えるということがわかり、二人で藝大コレンション展、上野動物園、国立西洋美術館常設展に行ってきた。
 先ほど藝大コレクション展の感想はアップした。ここは空いていてゆっくりと見て回ることが出来た。
 昼食は藝大から歩いて20分ほどかけて東大農学部内にあるアブルボアというレストランでを食べた。奮発して980円のランチだった。新聞で情報を得たようだ。

   

 上野動物園は家族連れや若いカップルでいっぱいであったが、中には我々のような中年・熟年、はたまた後期高齢者のカップルも混在していた。妻の目的はハシビロコウ。この「動かない」大型の鳥は、それでもじっと見ていると時々片目だけつぶったり、首を90度動かす。そして5分も見ていると足で首を掻いたりする。こちらもじっと動かずに見ているので、人間とハシビロコウの我慢比べのようになる。ハシピロコウを見ているのも面白いが、それを見ている人間を観察しているのもまた楽しい。動くたびに発せられる歓声も面白い。
 国立西洋美術館の常設展を一周してきた。特にルネサンス期の作品を中心に1時間ほどかけた。
 行き帰りに東京都美術館前を通ったが、若冲展でチケットを持っている人の列は最後尾で90分待ち、その前にチケットを購入するためにさらに多くの人が並んでいた。チケットは事前に手に入れる方法もあるが、それでも90分待ちというのは見て出てくるまでに少なくとも3時間近くはかかるということになる。私には気が遠くなる時間である。

 三つの施設をまわるという欲張った1日であった。ただしパスポート券のおかげで3施設いづれも無料で入場できた。

 自宅に着いて歩数計を見たら2万2千歩。ゆっくり歩くというのも疲れる。