



本日の部屋の片づけ作業のお供はシベリウス「ヴァイオリン協奏曲」。
1.諏訪内晶子+バーミンガム市交響楽団+指揮サカリ・オラモの2002年盤、
2.五嶋みどり+イスラエル・フィルハーモニー交響楽団+指揮ズービン・メータの1993年盤、
3.レオニダス・ガヴァコス+ラハティ交響楽団+指揮オスモ・ヴァンカスの1991年盤
4.シルヴィア・マルコヴィッチ+エーテボリ交響楽団+指揮ネーメ・ヤルヴィの1986年盤
と、4枚のCDが私の手元にある。1、2、4をすでに取り上げているが、今回も4をかけてみた。
理由は特にないが、この4の演奏が何となく聴きやすい。私なりのシベリウス像に近いのだろうか。ただしどの録音がどのようにいいのか、惹かれることがないのか、分析したことはない。だいたいが4枚も所有しているというのが、私自身にも分からない。購入するときには以前に購入したことを忘れていたのだと思うしかない。
3.は1903・1904年のオリジナル版、1905年の現在演奏されるファイナル版とを同時に収録している。その違いはまだ分かっていない。
第1楽章の闇の静寂から最弱音で浮かび上がってくるヴァイオリンの旋律、それを受けて流れるクラリネットとファゴットの低音を聴いた途端に私はもうこの曲の世界に引き込まれる。第2主題のチェロはじっくり味わうまもなくカデンツァの醍醐味に移っていく。第1楽章の後半のヴァイオリンの低音から高音にわたって求められる粘っこい奏法がこの曲の正否を決めるような気がしている。第2楽章はクラリネットなど木管の美しい旋律から始まる。ソロヴァイオリンの出だしが私はとても好みである。第3楽章はリズミカルだが、オーケストレーションの厚みに圧倒される。そして軽快な旋律の中に不安定な要素、暗い情念のようなものを常に感じ取ってしまう。それがシベリウスの魅力だと思っている。
シベリウスはヴァイオリンの演奏についてはかなりのレヴェルであったこともあり、ヴァイオリンの美しさを十分意識している。特に重音の美しさに私は惹かれる。