Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

データのバックアップ作業

2018年04月26日 12時30分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 湿度は20パーセント台と過ごしやすく暖かい陽気。本日は朝から家事に追われている。ベッドの木枠とマットを日光消毒。マットはだいぶ長い間日に当てていなかったので、十分に日に当て乾燥させる必要がある。木の枠もアルコールをふくんだ布で拭いて、分解できるものを日に当てている。

 午前中は久しぶりの力仕事で草臥れたが、午後は板の簀の子に張った布が破れたため張替え無くてはならない。それが済んでからすべてを部屋に戻して再度ベッドの設え。一日がかりである。疲れるが、しかし一日中パソコンと睨めっこよりは気分的にも精神的にもいい。

 夜には「仕事」を少々こなす必要があるが、これは早めに切り上げられそう。年度が切り替わったので、2017年度のパソコンの中のデータを外付けのハードディスク2台に記憶させ、新たに2018年度のフォルダをつくる作業である。今年度のフォルダといっても一つではない。
 退職者会関係、学生時代の仲間とのやり取り、写真データ、ブログの記事、美術館の訪問記録、各種講座、団地関係、読書録、気に入った美術作品のデータ、スケジュール帳などなどさまざま。それぞれにまたサブフォルダが付属する。

 1台のハードディスクは今年度分を記憶させるとほぼ75パーセンチ近く使用したことになるので、ほぼ満杯。残り一台はまだまだ十分余裕がある。2019年度以降はこの1台だけのバックアップとなる。来年度もう一台ハードディスクを購入するか、SSDが今よりももっと安くなっていれば、そちらを購入するか、値段の推移を注視していきたい。

 連休中にやればいいのだが、連休中は退職者会の私の属するブロックの会報新聞の編集作業と印刷を行わなくてはいけない。

ぬるいお風呂に長湯

2018年04月26日 07時46分14秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 お風呂が好きである。温泉などに行くと昔は3時間も入っていたことがある。皆に「長湯のおじさん」と揶揄されたりした。職場の宴会に間に合わずに顰蹙を買ったことがある。
 今はそんなに長時間は入らないが、それでも露天風呂ならば1時間半、内湯でも1時間くらいは入っている。それなりに熱い風呂も好きだけれど、長く浸かるには40℃未満、できれば38℃くらいの湯の温度がいい。そして何も1時間浸かりっ放しということはしない。10分浸かって10分は浴槽の縁に座ったり、椅子やベンチがあればそこに座ってボーっとしている。時には浸かっている時間よりも浴槽の外にいる時間のほうが長い場合もある。

 夏に山から降りて来た時に入る温泉は格別である。風呂に入る前にできるだけたくさんの水分を摂るために、お茶や水を500cc以上飲んでから入る。しかもこの場合は長くは浸からない。体がすでに疲れているので、2日、3日の汗と汚れをできるだけきれいに落とすために体を暖める程度に浸かる。洗い場の椅子に座っている時間のほうがずっと長い。30分ほどで出て、着替えてさらに水を飲んでから、ビールやチューハイなどのアルコール度が低めのお酒を飲んで一服する。帰りの列車の中で美味しいお酒やワインをチビチビ飲むのがいい。

 家ではまずは38℃くらいの風呂に10分ほど浸かる、浴槽が小さいのですぐに湯の温度が低くなる。体温より低くなったら追いだきにして40℃くらいまで暖かくする。また体温くらいまで冷えるまで20分位浸かる。こうしてから洗身である。
 妻からは長湯をするとお湯が汚れるので、やめて欲しいと懇願されるがやめられない。洗身後は浸かる時間は長くて2分程度で上がってしまう。

 こんなことを記載していると、温泉に行きたくなる。温泉に行って湯の温度が43℃を超えるような場合も、それなりに長湯である。湯につかっている時間は5分もないほどで、出たり入ったり、出来るだけ汗が噴き出てくるように入る。時には水を被って体を冷やしながら浸かる。これを繰り返すと1時間ほどで疲労困憊である。部屋でお茶を大量に飲んでから、食事に行くと、ビールないし酎ハイなどが実に美味しく感じられる。
 退職者会などで一泊の旅行などに行くと、みんなお風呂の時間は短い。年齢を重ねると長湯は体力を消耗するので避けるように言われるらしい。私は長湯がダメといわれるのが怖い。そのために体力をつけているといってもいいかもしれない。

 さて、6月になって一段落したら、どこか温泉に行きたいものである。

沈丁花

2018年04月25日 23時39分07秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 そういえば沈丁花が咲いていた。私の団地にも、近くの公園でも。匂いをほとんど感じない私の鼻でも、キンモクセイとバラとジンチョウゲは匂う。そして花の姿よりも匂いで花を感じる。何処にあったかを思い出すのが、匂いである。
 むかし父親が「チンチョウゲ」といっていた。中学生のとき教師がジンチョウゲと発音していることに気がついて、調べてみた。ジンチョウゲという和名は「「沈香(ジンコウ)」と「丁子(チョウジ)」の香りを併せ持つこと」らしい。沈香も丁子も知らなかったが、これから類推するとジンチョウゲと発音するのが正しいことになりそうだとわかった。しかしどちらの発音も許されるらしい、ということはわかった。父親はそのようなことは念頭になかったと思われるので、関西地方ではチンチョウゲというのかな、という程度にしてそのまま時が経ってしまった。さてこの私の推理が正しいのか、今もって不明である。

★沈丁花夜の果てより這い寄りて     酒居誠三
★沈丁花媼のはなし長き午後       菅原 涼
★沈丁や風まだかたき浦の町       甲斐ミヤ子



蒸し熱かった午後

2018年04月25日 20時33分14秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午後からは雨も上がり、警報・注意報もすべて解除された。いっとき陽射しもあったものの蒸し暑く、とても不快に感じた。まるで梅雨時のような蒸し暑さだったと思う。今は、スッキリとは晴れていないものの、風もなく、雲の切れ目からところどころ空が見える。
 本日は少しゆとりができて、横浜駅で1時間ほどコーヒータイム、そして行き帰りのウォーキング。気持ちのいい汗をだいぶかいた。しかし帰宅後すぐにまた新聞の編集作業。記事と写真が届いたところを補充してつい先ほど送信。
 あとは28日のメーデーの写真と記事を送信すれば、ニュース作成の荷はおりる。


横浜市域に大雨警報(浸水害)

2018年04月25日 10時34分04秒 | 天気と自然災害
 横浜市域には大雨(浸水害)警報と洪水・強風・雷・波浪注意報が出ている。時間雨量換算で30ミリの雨の区域が次々に南西方向から北東方向、伊豆半島から都内23区の方角に抜けている。風も強い。深夜に記録した瞬間最大風速16メートルほどではないが、まだ新緑のケヤキの枝が音を立てて大きく揺れている。遠くの雷の音も先ほど長く続いた。
 ただしレーダーの画像を見る限り強い雨のピークは過ぎたようにも見える。伊豆半島の西には雨の区域が見えない。このまま雨と風はおさまってほしい。

 首都圏の鉄道は、JRも私鉄もほとんどが混雑の影響で遅れが出ているらしい。

紋白蝶

2018年04月24日 23時17分54秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 夜のウォーキングに出かけたら、昨日のような細かい雨とも霧とも判然としないようなものでメガネに水滴がついた。一応小さな折り畳み傘をポケットに入れて出かけたのでそれをさして歩いたが、途中でたたんだ。メガネを噴きながら歩いたほうが楽であった。
 みなとみらい地区の明かりも昨日のようにかすんでいた。そして人通りはほとんどなかった。昼過ぎに出かけたとき、本年2回目の紋白蝶を目撃した。

★囀れり我が胸深きところにて     立松珠惠
★源平の武者に黄の蝶切通し      藤森順弥
★紋白蝶怨霊出でし木の洞(うろ)へ  酒井昭男

春深し

2018年04月24日 20時18分12秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 午前中にほぼ出来上がった退職者会のニュースの原稿、20か所ほど訂正したのち、再度点検したところ、さらに10か所ほどの訂正箇所を見つけた。訂正したところにも間違いがあり、結局は40か所近くも手直しを済ませて、三役や印刷会社に送信したのが、14時過ぎていた。情けないものがある。
 買い物に付き合い、妻は先に帰り、私がさらに土曜日のメーデー時の総菜の予約を済ませてから戻ったのが18時過ぎ。これから先日購入したノートパソコンの設定を少々。フォントを少しインストールしなくてはいけないようだ。ようやく少しだけ気持ちにゆとりが出てきた。

★まぶた重き仏を見たり深き春    細見綾子
★春深き音をみちのくの土鈴かな   菅原鬨也

 第1句、好きな句である。仏も眠気を催す春の陽気。仏の瞼がそれほど重いとは考えもしなかった。
 第2句、土鈴のどこか湿気を帯びたくぐもった響きを、盛りも過ぎた春の物憂さとつなげたところが面白い。



目の酷使

2018年04月24日 11時03分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 新聞は本日までに入力できるところまでは完了。全体の95%が出来上がったことになる。丁寧に作ったつもりだが、それでも打ち出してみたら、20か所ほどの変換間違いや訂正箇所があり、凹んでいる。
 これを訂正して、三役に送り、同時に印刷会社にも送信すれば、取りあえず編集作業は終了。あとは明日の夜に送信される記事と写真、28日のメーデーの写真を貼り付ければすべて完了予定。
 昨日は目がしょぼついてつらかった。今朝起きたら回復。一晩で疲れ目が回復するうちはいいのだが、これが一晩で回復しなくなったら大変なことである。これまでひたすら睡眠時間を減らして、目を酷使してきた反動が怖い。

霞(かすみ)ということ

2018年04月23日 21時56分27秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 先ほどウォーキング中に霧のような雨が降ってきた。傘をさす必要はなかったものの、路面は若干濡れた。30分ほどで上がったのだが、いつ降り出してもおかしくないような湿度である。薄い霧に覆われたような雰囲気であった。
 いつもは目に痛いようなみなとみらい地区の高層ビルの明かりが、少しだけ弱くにじんで遠くに見えたような気がする。

 俳句では霧は秋の季語。春の霧を霞ということになっている。しかし一般的には霧という語で一年中の現象をさす。霞というと靄との区別が難しそうだが、ここでは靄は季語ではないということだけ記しておく。関東地方では霧・霞という現象は見ることが少ない。
 明日は夜には本降りになるらしい。

★高麗船の寄らで過ぎ行く霞かな   与謝蕪村
★夕がすみ燈台ともること早し    高浜年尾
★戦陣の記憶は遠く霞たり      仲田武夫


 残念ながら本日の天候と重なり合うようなイメージの句は見つからなかった。


目がもう限界

2018年04月23日 17時37分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝からかかってようやくニュースの80%近くを作り上げた。もう目が限界。1時間おきくらいに休んだものの、やはりこれ以上は無理である。明日で一応出来上がりそう。
 本日の最高気温は昨晩の0時過ぎの18℃、最低気温が16時前の16℃となっている。昨日の暖かさ故、寒く感じる。
 体も動かさずにパソコンと睨めっこが朝から続いたので、これから1時間ほどのウォーキングに出かけてみることにした。
 肩も、首も凝っている。気分転換と運動を兼ねて少し早めのウォーキングがよさそうである。

日々の大気の変動

2018年04月23日 09時52分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日と較べるとずいぶん気温が低い。昨日は最高気温が27.6℃、本日の予報は19℃。8度以上も低い。空全体が雲で覆われ、東寄りの弱い風に湿り気がある。

 毎日の気温や風や湿気の違いを自覚的に肌で感じるようにしている。そして外気にあたるのが気持ちいい。あまりに日程が詰まり過ぎて、美術館通いができないのが、極めて残念である。そのためによけい大気の日々の変化が気になる。

明日も一日パソコンと睨めっこ

2018年04月22日 23時41分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の作業は終了。明日また一日パソコンと睨めっことなる。むかしとは違って1時間も続けると一服したくなる。熱いウーロン茶を飲みながら、ボーっとしている時間もだんだん長くなる。生活を支える仕事として職場で人との関係などに緊張しながらこなすのとは大いに違う。
 私の場合は会員や他の幹事の顔を思い浮かべながら新聞づくりをしている。それがなくなったら実に味気ない「仕事」になってしまう。版下をつくり、印刷してもらっている印刷会社のかたには申し訳ないとは思いつつ。

 水曜日までに9割がたは作り終えたいもの。明日は少しネジを巻いて先にすすめたい。

桜の実・実桜

2018年04月22日 20時25分01秒 | 俳句・短歌・詩等関連
   

★葉の影に揺れはそれぞれ桜の実     庄司たけし
★越してきて静かな隣さくらの実     片山由美子
★露草の降伏せし日の空の色       佐々木 茂


 今年は暖かい春の陽気が続いたため、花の時期がいつもより早い。花を駄目にしてしまう虫が早くもお出ましである。夕方になる前に近くの公園で散歩がてら、写真を撮ってみた。

 例年は梅雨前の6月ごろに目につく桜の実であるが、早くもヨコハマヒザクラの木に赤くなった実を見つけた。小鳥が赤くなった実を啄んでいた。季語としては夏に分類されるが、この実を見たときが表現のときである。

 桜の実は小さなもので、さくらんぼとは違う。熟すと黒く変色するが、赤い実が私の好みである。コーヒーのみやさくらの実くらいの大きさであると、たくさんの身ではあるが、それぞれに個性があるのがわかる。特にコーヒーの実もさくらの実も色づき方がひとつずつぢがぅ、そして風という環境への反応も個性があるように見える。人の個性と二重写しに見える。しかも控えめながら個性が滲み出ている。好ましい隣人のようでもある。
 これよりも小さい実であると個々の違いは分かりにくい。これよりも大きいと個々の違いがあるのが当然のように思えて、「個性」がパッと見には気にならなくなる。例えばミカンやリンゴ、ナスなど違いがあって当然と見過ごしてしまう。不思議である。

 露草というのは花期が長く、初夏から秋にかけて咲くようだ。濃い紫の色が私の好みである。こちらは秋の季語であるが、やはり花を見つけたときが、その季節である。露草の濃い藍が私の好みである。この句では淡い青として見ている。ひとそれぞれにその色合いの好みや、連想するものに違いがある。8月15日についての感慨はそれぞれのおかれた場所や社会環境でちがうが、深い思いであることには変わりはない。その深みを薄っぺらなものにしてはならない。ましてや悪意に満ちた改竄や捨象や曲解や、嘘を承知の歪曲は許されない。

春の夜の感覚

2018年04月22日 11時02分22秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 予報最高気温が27℃という横浜、雲も風もなく、明るさが目に染みる。今のところベランダに出ると暖かさと明るさのセットが心地よい。花粉もピークを越したようで、妻の花粉症もおさまった。窓を開けて外気を部屋の中に取り込むことにした。
 今朝から半袖のポロシャツを着ているものの、部屋の中では二の腕が寒く感じた。ベランダの硝子戸を開け放つと暖かい光を含んだ空気がじんわりと侵入してきて、二の腕の寒さを感じなくなった。
 仕事の合間の一服に歳時記を開いてみた。

★春の夜の指にしたがふ陶土かな     坂本譲二

 昨晩はヴァイオリン、今回は陶土で春の、それも多分初夏に近い今ごろの季節の夜を感じている。春の宵から春の夜に変わった。昨晩のヴァイオリンは幾人かの人を対象にした室内楽か、あるいは一人でヴァイオリンを鳴らしている演奏者に思い至ったが、今回は孤独な作業を春の夜の空気と対話をしながら、陶器制作のある工程に従事しているのであろう。陶土をこねているのか、轆轤を回しているのか、絵付けをしているのか。いづれにしろ孤独な作業である。人の気配を拒否して、没入している。人のもっとも充実したひとときかもしれない。
 私は陶器制作はまったく体験したことはないが、当然にも、指先の微妙な感覚が求められることを想像している。

ヴァイオリンと春の宵

2018年04月21日 22時03分57秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日の会議が先程終了。こんな句にであった。

★ビオロンの指の辿りし春の宵    神谷敦子

 ヴァイオリンの竿の黒い部分は弦を左指で押さえる大切な部分。この左指と黒い部分の感触はヴァイオリニストにとっては実に大切な感覚である。大気の気温や湿度、室内灯が当たっているかどうか、といった微妙な差で指の滑り具合や押え方、指と指の重なり方でも微妙に変わる。これはヴァイオリンを長く経験すればするほど繊細に感じてくるものである。
 1ミリの十分の一の差ですら音程に狂いが生ずる。角度が違っても音程は違うし、音色が変わる。指の腹で抑えるか、爪に近い部分で押さえてしまうかでも差が出る。
 作者は指の竿の部分の滑り具合や、弦を抑えたときの感覚で春の宵を感じたのだろう。私には感覚としてピンとくるものがある。それは多分ヴァイオリンの音が良く鳴る感覚、演奏しやすい感覚、つまりは肯定的な感覚であるはずだ。

 冬とは違って適度な湿り気があり、ヴァイオリンの共鳴板もしっとりとした音を増幅してくれているのではないか。弓も弦に適度に吸いつき、そして弾んでくれる。それは弓を持つ右手にも伝わる。
 左右10本の指、左右の手首の動き、肘の動きにも連動する。左肩とあごの圧力を通して上半身から全身に伝わる感覚でもある。すべての弦楽器に共通だが、弦の振動は耳だけでなく、体全体でその振動を感じるものである。

  私はこの作者、かなりの弾き手だと直観した。ひょっとしたら私が未だ知らないヴァイオリニストなのか。そうであったらゴメンナサイ。私の無知である。作者は体全体で楽器の音を感じている。