Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

日常をとりもどすために・・

2020年10月27日 19時56分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩は風呂にゆっくり浸かることが出来た。1日入らないとやはり風呂が恋しい。何も考えず、何も耳に入らず、狭い湯船ながらボーっと30分ほど浸かっていた。40℃の温度設定にしているので、体力はあまり消耗しない。そしてよく眠ることができた。

 本日は午前中は、労働組合の退職者会ニュースの校正刷りが予定よりも早く送られてきたので目をとおした。自分では苦心してそれなりにいい割り付けをしたと思っていたが、やはりプロから見ると手直しが必要なようだった。校正刷りを見て、「なるほど」と感心。随分良くなった。
 お礼をするとともに、ちょっとした訂正をいくつかお願いするメールを返信。

 その後、「万葉集の起源」の第6章を読み終わった。さらに昼食後、妻と近くの神川大学の生協まで一緒に歩き、帰りにドラッグストアで買い物をして帰宅。往復6千歩余りをゆっくりと歩いてみた。
 帰宅後は、ベートーベンのピアノ協奏曲を2時間ほど。緊張感がある至福の時間であった。

 発熱のあとの体調と体力は戻ったように思われる。が外の散歩は本日はこれでおしまい。明日にはもう少しいつもの日常に戻してみたい。できれば、歩いて30分ほどのところにあるJRの駅まで行き、コーヒータイムに挑戦してみたいが、体調を見極めてからである。人混みの多い横浜駅まで出向く気はまだない。


ベートーベン「ピアノ協奏曲第4番、第5番」

2020年10月27日 17時54分53秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 昨日につづいてベートーベンのビアノ協奏曲を聴いた。

 まずは内田光子、スーピン・メータ、イスラエル交響楽団で、第4番。次にやはり内田光子で、指揮は小澤征爾、齋藤記念オーケストラで第5番「皇帝」。ともに2014年の録音。さらに内田光子とザンデルリンク、ローヤルコンセルトヘボウの組み合わせで第3番の第2楽章ラルゴを聴いた。

 昨日の第3番の第2楽章はフルートがとてもよく響いていたが、本日の演奏ではファゴットの音もよく聞こえた。どちらがいいかはビアノの音との関係もあり、何とも言えないが、私はフルートの音が少し目立った方が好みだと思った。

 しかしベートーベンのピアノ協奏曲は2日続けて聴くと、草臥れる。夜は交響曲第6番「田園」かヴァイオリン協奏曲をYouTubeで探してみたい。

 ベートーベン生誕250年も新型コロナウィルス感染症の影響をもろに受けて、各種のイベントがすっかり消えてしまった。みなとみらいホールでもいくつかの記念の演奏会が企画されていたと思う。残念である。
 ラファエロの没後500年と合わせて何とも残念なことである。

 


ベートーベン「ピアノ協奏曲第3番」外

2020年10月26日 21時47分09秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 ベートーベン生誕250年、本日は作業も読書も離れて、ベートーベンのピアノ協奏曲第1番と第3番、合唱幻想曲をYouTubeで聴いた。第3番の演奏は、Alice Sara Ott / Orchestre philharmonique de Radio Franceと表示をされていた。しかし第1番はピアノは同じだが、オーケストラは不明。日本のオケらしい。合唱幻想曲は、Alice Sara Ott in concert with the Insula orchestra, Laurence Equilbey conducting.と表示されていた。

 第3番、この第2楽章の緩徐楽章がわたしは好みである。中盤から後半のフルートとファゴットを従えたピアノの独奏は緊張感が要求される。聴く方もベートーベンの緩徐楽章はこの緊張感に身を浸すことが求められる。
 第3楽章に入っていくために長い緊張に弦が耐えられるまで耐えて引き絞られるような時間に、演奏者も聴く側も耐えていく。これが「こたえられない永遠のような一瞬という」と大げさだが、いい表現だと思っている。

 合唱幻想曲は私にはなじみの少ない曲。第5番のシンフォニーと同時期の曲で、第9番のシンフォニーの源流ともいわれるが、演奏される機会はあまりないという。

 作業の達成感も、読書の楽しみもなかったが、久しぶりにベートーベンを堪能した気分になった。


夜は長い

2020年10月26日 18時46分39秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩の一過性ともいえる発熱は、病院で尿検査と問診にもかかわらず、原因は特定できず。採血の上、抗生物質を4日分処方された。薬を飲み切ってから再度受診することになった。
 現在のところは体調は昨日にくらべたらとてもいい。ただ食欲があまりなかった。昼間に出た栗ご飯も好きなのだが、一口のみ。

 病院での待合室では15分ほど待っていたが、ボーっとしていて持って行った本はめくることはしなかった。活字を追う気力がまで出てこない。

 昨晩電話やメールで妻や私の相談にのってくれた娘からは、「おとなしく寝ているように」という「お達し」もあり、薬を服用して、早々に寝ることにしている。
 とはいえ、まだ19時前。テレビはあまり面白いとは思えないし、読書にはまだ気力が湧いていない。悩みどころである。
 夜がながい、という感想は何十年前のことだったろうか。入院したときもなかった。小学校のときに微かにそんなことを思った記憶があるが‥。


体調回復

2020年10月26日 11時57分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日は夕方から体調が悪く、発熱してダウン。たった1時間のうちに体温が39度を超え、3度以上もあがった。ぐったりして、何もする気もおきず、夕食も取らずに寝てしまった。冷蔵庫にスポーツドリンクの開封した粉末が残っていたので、規定の3倍ほどに薄めて、ペットボトル2本を飲んだ。
 熱は日付が変わる頃には37度台にもどり、朝起きたら平熱に回復していた。食欲はなく、マグカップの紅茶にジャム入れて飲んだ。普段は砂糖など入れないのだが、栄養補給のつもりで。熱い紅茶と柚子ジャムのわずかな酸味が体に沁み込んでいくように感じた。
 いつものかかりつけの病院に電話をしたら、発熱以外の症状はないので、マスクは着用の上来院可能と言ってくれた。電話での会話では、何を疑ったいるかは推測できなかった。午後に診察をしてもらうことになった。予約制の病院ではないが、午前中よりも午後の方が空いている可能性が高いとのこと。

 午前中に妻が追加の癌検診を一緒に予約してくれた。電話は2回目で繋がり、私が先週に電話をした時よりもスムーズに話が進んだようだ。

 昼前になり食欲が出てきた。昨晩の残り物を暖めて食べたい。何しろ栗ご飯である。


本日から「ラファエロ」(深田麻里亜)

2020年10月25日 13時07分02秒 | 読書

 本日から読み始めた本は「ラファエロ――ルネサンスの天才芸術家」(深田麻里亜、中公新書)。
 ラファエロ(1483-1520)の名前もよく知っており、作品はいくつも見ている。各作品の解説や、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ等との関係、当時の時代についても断片的な知識はある。しかし考えてみれば、ラファエロの生涯や作品を網羅的に、またその背景についてまとまった知識はない。
 あとがきによれば、今年はラファエロ没後500年ということであった。これにあわせて欧米各国での展覧会などのイベントが新型コロナウィルスの感染症の拡大で延期・中止になったとのことである。

 おなじ中公新書の「万葉集の起源」と並行して読み進めることにしている。


燈火親しむの候

2020年10月24日 22時42分04秒 | 読書

 高麗山ハイキングを決行した仲間はかなり厳しいコースとのこと。参加した仲間は特にくたびれてはいなかったものの、本番で歩けない人が出る可能性があるとのことであった。
 数年前に私は妻と湘南平から高麗山を経由して高来神社に降りたときは特にきついとは思わなかったが、70代半ば過ぎの仲間には厳しいコースかも知れない。
 私は足の具合が本調子ではないので、茅ヶ崎市内の飲み屋で合流。歩いてきた仲間と楽しい2時間を過ごした。

 12月初旬の本番では、一緒に歩くだけでなく、地質学的な「蘊蓄」を披露できるよう、平塚市博物館を訪れて、充分な予習をしたいと思う。

 さて、明日からはどの本を読もうか、悩んでいる。「燈火親しむ候」、すでに読み始めた「万葉集の起源」はとても勉強になる。これももう少しで読み終わってしまう。
 「ラファエロ」(中公新書)、「ビザンツ帝国」(中公新書)、「万葉集講義」(中公新書)、「藤原定家 『明月記』の世界」(岩波新書)の4冊の中で選択したい。新書ばかりが続くのも考えものではある。
 ということを考えているうちに、ほとんど寝始めた。これより就寝。


高麗山の下調べ

2020年10月24日 12時25分36秒 | 山行・旅行・散策

 本日下見する高麗山についての地質学的な特徴と広重の東海道五十三次で高麗山が特徴的に描かれている「平塚」をネットで検索して、5枚ほどの資料を作った。
 これをもとに本日は少し地質学的「蘊蓄」の予行演習。友人に電話をして、平塚市博物館が勉強になるということも教わった。本番までにそこを訪れて、資料を手に入れて勉強してみたくなった。

 予定の電車の1本前に乗車できた。 が快速のため、平塚で後続に乗ることに。結局予定と同じ電車に乗ることになった。


読了「絵画について」(ディドロ)

2020年10月24日 10時39分36秒 | 読書

   

 昨晩中に「絵画について」(ディドロ)は読み終わった。わたしにはよく理解できないまま、いつの間にか読み終わった、という感じで、どうも達成感がない。何かを得たという感覚もなく読み終わったのが残念。理解できる能力が私にはなかったということなのだと思うしかない。
 印象に残ったのは、著者がとてもラファエロやミケランジェロを評価し、ルーベンスはけなさなくてはいけないほど嫌いであったということ。好き嫌いがまず出発点で「理論化」が始まる。それはそれでいいのだが、ルーベンスの独特のふくよかな人物造形などを地域の特性や伝統に帰せてしまうのはなんとも・・。

 当時の時代の風潮の象徴と解しても良いのだろうか?


本日の読書

2020年10月23日 22時31分04秒 | 読書

 夜になって雨はすっかり上がった。予報どおりであった。神奈川県内でも現在雨の降っているところは北部山沿いのごく狭い範囲である。

 夕食後に若干時間があったので、年金に関する提出書類の記載、団地の管理組合についての書類に目をとおしているうちに1時間も費やしてしまった。



 それが済んでからようやく、「絵画について」(ディドロ)の第6章「建築に関するわたしの意見」、第6章「全体に関する小さな補諭」に目をとおした。私が読んだ限りでは後半に入るにしたがい、分析的ではなくなり、「論」からは遠くなるようだ。
 もう一つの章のうしろに、「1765年のサロン 序文」という短い文章がある。個別の作品批評でと思う。これまで読んだ文章からすると著者は、「論」よりも個別の作品批評がより説得力があるような感じもするので、これに期待したい。

 就寝まで引き続きこの本を読むことにした。本日中に読み終わり、明日の大磯駅までの車中の御伴は「万葉集の起源」(遠藤耕太郎)あるいは「自省録」(マルクス・アウレリウス)としたい。

 


奇遇というか‥

2020年10月23日 19時59分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 朝の内はいつものとおり退職者会関連の作業を少し。午後からは昔の職場で幾人かの後輩と短時間だが語らう時間を持つことが出来た。
 職場の近くの駅の傍の喫茶店で13年ぶりに読書タイムを楽しもうとしたら、本を家に忘れていた。しかたなくスマホでネットサーフィン。

 虫の知らせはなかったので奇遇というのだろうか。帰り際、横浜駅からバスに乗ろうとしたら、私とは別に買い物に出ていた妻がすでにバスに乗って座っていた。めずらしいこともあるものである。バスに乗っている間は時どき雨が落ちて来て、空も厚い雲が覆っていた。
 しかし15分後、降りるときには雲が切れて大空が見えていた。急に雲があがり、晴れた。天候の回復が早いのは、台風一過の後の特徴だあるが、今年は台風後の天候の回復は遅かった。天候の回復が早いと気分もよくなる。

 明日は大磯の高麗山で退職者会のハイキングの下見がある。私は足の調子が悪いので、下で待つことにする。下見といっても要するに終了後の飲み会の会場探し、という方が正しい。集合した後は、ゆっくりと解散地点に先回りし、店探しという「役割」に徹しようかと思う。
 むろん本番の12月初めまでには足を直して、実際に歩きたいものである。
 


終日雨の予報

2020年10月23日 13時01分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 

 昨日、予定より1日早く退職者会のニュースの原稿を送信出来たので、気分的にとても楽な一日となっている。
 朝から雨。さきほどまで1時間半ほど上がっていたが、ふたたび降り出した。強くて時間雨量で10ミリ程度、今は5ミリ程度の雨である。

 雲は低くどんよりしているが、それほど暗くは感じない。雨だが、外出する気分になってきた。
 午後に現役時代に長年勤めた職場に顔を出すことにした。先日友人との飲み会でそこの職場の方が参加されており、とても懐かしく話が弾んだ。来年半ばくらいには別の新しい庁舎に移転する、ということなので今週中に訪れると約束していた。
 カメラを持って行く予定だ。許されるなら庁舎内を撮影しておきたいと思っている。


「絵画について」(ディドロ) 2

2020年10月22日 22時22分35秒 | 読書

 私の無能を晒すようなものであるが‥。

   

 読書時間は長くは取れなかったが、本日は「絵画について」(ディドロ、岩波文庫)を手にとった。既に第4章のはじめまでは読み進めていたので、本日は第4章の途中から読みはじめ第5章「構成に関する章、構成について話そうと思っている章」の終りまで目をとおした。
  わたしにはピンとこない。わたしなりの期待とズレが大きかったようである。きちんと批判的に論じるのも必要かもしれないと思いながらも、とても撮ろうに思える。そして「構成」というものをどのように「定義」しているのかよく理解できなかった。

「自然は存在するものに多様性を与え、冷たく、動かず、生きていず、感じもしなければ考えもしないものと、生きていて、感じかつ考えるものとに分けた。この線は永遠の昔から引かれている。だから、手の加えられていない死んだ自然を模倣する者をジャンル画家と呼び、感じて生きている自然を模倣する者を歴史画家と呼ぶべきであった。」(第5章)

 この著者は、常に世界を所与の型に嵌めて、それによって世界を分類し、その分類によって世界を定義しようとする。あてはめた型の定義も厳密ではない。あてはめた型によって画家と絵画を裁断し評価しようとする。この型と、型そのものの定義に著者は振り回されているようだ。絵画をジャンル分けして分類することが「絵画論」ということになってしまっている。
 これがひょっとして「百科全書」派の本質なのかもしれない。あるいは今から見ればその時代の要請だったのだろう。
  論を追っていくのが少々苦痛に感じてきてしまった。しかし読み進めるうちに何か得るものを少しでも探したいとも思う。

 


癌検診予約の電話応対の不思議

2020年10月22日 20時22分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 朝の9時ちょうどに今度は妻が癌検診の予約の電話をした。私は肝胆膵の癌検診について、昨日は「毎週水曜日が検診の日になるので、27日に再度電話をして1月27日以降の予約をしてほしい」と言われた。ところが本日妻は同じ肝胆膵の検診について「月・火・水が検診日なので来週26日以降に再度電話をしてほしい」と言われたという。

 まさか肝胆膵の癌検診は州の内、男が水曜日1日で、女が月曜から水曜日の3日間もある、とは信じられず、妻と二人で首を傾げた。
 どうも不思議な電話での窓口対応である。昨日と本日、誰かが正しくないことを言っていると思うのだが‥。念を押して確認したのだから、昨日の私の聞き違いではないと思う。

 ということで、私は来週は27日ではなく、26日に妻の電話の直後に電話をしてみることにした。


静かな一日

2020年10月22日 18時31分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昼過ぎまでに退職者会ニュースの原稿の最終チェックを自分なりにして、印刷会社に原稿を送信した。校正刷りが出来るのは多分来週の前半。
 今回はこれまでの中では記事の内容も、割り付けも、構成も割といい仕上げになったと自画自賛。しかし会員からの評価はまた別問題。感想がやはり怖い。ワープロソフトの一太郎をずいぶん使いこなしているということも自画自賛。しかし印刷会社でプロの方に校正刷りをつくってもらうと「やはりプロは違うな」と、毎度感心する

 午後は歩いて35分ほどのJRの駅まで妻と買い物。たいしたものを購入したわけではなく、食材と携帯電話の取り扱いについて相談、百円ショップとその他。途中で喫茶店でコーヒータイム。
 その後、私鉄の別の駅まで一緒もどり、妻はバスで帰宅。私は横浜駅の書店と家電量販店をのぞいてからバスにて帰宅。それでも久しぶりにほぼ1万歩歩いた。ゆっくりと歩き、しかも長い時間の歩行はしなかった。両膝も右足の甲も痛みはでなかった。痛みが出たらすぐにやめようと少しビクビクしながら歩いた。
 これ以上歩くと、痛みが出るかもしれないと思い、横浜からは地下鉄利用ではなくいちばん歩く歩数の少ないバスを利用した。