Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

またしても癌検診の予約満杯

2020年10月21日 22時44分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日横浜市民病院の癌検診の申し込みの電話をした。先週ようやく3つの癌検診の予約をしたが、1月13日の予約を何とか入れてもらった。残りの2つの検診は20日以降に再度申し込みをしてほしい、とのことだったので、本日の電話となった。
 ところが1月20日まで埋まってしまったのだという。来週27日に再度電話をしないといけないとのこと。驚くとともに呆れた。こんなことを繰り返していたら、年度内の予約も難しくなってしまう。過去10数年市民病院で癌検診を続けているので、過去の履歴もあり、他の病院ではその履歴は引き継がれそうもないので、継続して検診を受けたい、と思っている。
 病院が新しくなって、予約が取れなくなる、というのもひどいものである。これまでも少し図づ受信日が後ろに推されてきた。当初は9月頃に一回ですべての検診が一カ月後に予約できたのだが、一昨年はとうとう2月にまでずれ込んだ。
 昨年は入院したので、検診は受けることが出来なかった。一年あいだが空いたので、今年はぜひ受診したいのだが、困ったものである。
 来週予約が取れないとすれば、他の医療機関に鞍替えしなくてはいけないのかもしれない。困ったものである。

 


東西の展望

2020年10月21日 21時15分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評



 本日も夕方に団地の西側を通ると傾きかけた太陽がが美しかった。ウォーキングを控えているので、最近は地下鉄を利用するので、団地の西側を行きも帰りも通るようになった。ウォーキングをしているときは、いつも横浜駅まで歩いていたので、往復とも団地の東側を通っていたので、富士山を見ることも夕日を見ることも、そして宵の明星をみることもなかった。西側の方が展望はとても良い。東側はみなとみらい地区やベイブリッジなどが良く見えるが、広々とした感じではない。

 現役の時は毎朝、そして帰宅時の深夜も西側を見ていた。現役時代と退職後で同じ場所に住みながら、東西まったく違う景色を見るようになっていた。不思議と云えば不思議である。


膝の治療とWiFi環境の改善策

2020年10月21日 17時58分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中はいつものとおり作業。午後からは整形外科。ならびに横浜駅まで出向いてWiFi環境の改善のために無線ルーター1台を3800円で購入、併せて柱につける電源タップも購入。

 整形外科では3回目となる右膝へのヒアルロン酸の注入と、左膝への痛み止め・炎症止めの注射を行なった。左膝への注射は四十肩・五十肩のときにしてもらった痛み止めと同じ治療方法と言われた。もっともその時は別の病院であったが‥。
 効き目はあるようだ。初めて処置をされたときよりも、両膝ともかくかく云わなくなった。また両膝を直角までは楽に曲げられるようになった。それ以上曲げるのはゆっくりとならばできないことはない。だが、立ちあがるのは床に手を付け、何かにすがるように捕まらないと無理である。外出先で和式便所はまだ到底無理である。
 風呂に入ったときも風呂用の椅子から立ち上がるのは、手摺りと湯船の縁に手をかけないと無理である。
 食卓の椅子、会議用・事務用の椅子から立ちあがるのは、ひじ掛けがなくともできるようになった。
 ただし右足の甲の痛みはまだある。2000歩続けて歩くと痛い。
 医師からは、もう少し続けてみた方がいい、ということと、無理にならない程度の歩数は歩いたほうがいいとも言われた。
 9月、10月は一日8000歩ほどの歩数である。残念ながら運動としてのウォーキングからは程遠いゆっくりとした歩行にしている。

 WiFiの状況は、いろいろと試してみたが、木の板の厚みが2cmある本箱がリビングルームと綿の部屋で背中合わせにあり、そこに本がいっぱいなのが、いけないようだ。
 電波が安定しているところに1台取りつけて要するを見ることにした。

 


旧市庁舎界隈&ストーブ

2020年10月20日 21時50分50秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日はほぼ出来上がった退職者会ニュースを他の役員の方に送信し、点検を依頼。明日もパソコンの前で、作業。昨日の会議のまとめなどをする予定。

 午後に関内駅まで出向いてニュースに掲載する写真を2枚撮影した。終了後、安い喫茶店で30分ほどの読書タイム。市役所が新市庁舎に移転したため、15時過ぎなのに店の中はガラガラ。読書タイムには静かでいいのだが、これから多くの店が経営的に難しくなるのではないだろうか。
 ベイスターズの試合を期待する居酒屋はいくつかできているが、昼間の客はかなり減ると思われる。旧市庁舎跡地にどのようなビルが出来、どのような組織が入居するのか、に多くの期待の眼が注がれているようだ。果たしてこれからどう変貌するか。
 旧市庁舎・跡地の売却などについてはキナ臭いニュースが流れている。ここでも利権がらみのさまざまな思惑と疑惑が持ち上がっている。嫌な世の中になってしまった。

 さて、リビングルームにいつもの少し大きめのガスストーブを妻が出してきた。使っていた小さなガスストーブは私の部屋にやってきた。
 さっそく使ってみたが、本日は昨日よりも暖かめなのですぐに消した。リビングルームも30分ほどの試運転後は使っていない。
 こんど使う日はいつになるのだろうか。一昔前に比べて、寒さを感じるようになったと思う。やはり歳のせいなのだろう。
 


きのこ飯

2020年10月20日 20時29分42秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 夕食にはきのこの炊き込みご飯をつくってくれた。きのこの炊き込みご飯は毎年舞茸としめじが中心であるが、今年初めて豚バラ肉を一緒に炊いたものをつくった。私がたまたまネットで見つけてリクエストをしてみた。
 妻ははじめは驚いていたけれども、思い切って作ってくれた。しつこく、くどい味になるかと思ったが、なかなか美味しくできた。贅沢をいうとこれにゴボウが入るともっと良かったが、贅沢を言うわけにはいかない。
 いつもはご飯は1膳だけなのだが、本日は2膳も食べてしまった。おかずはサラダとタクワンと残り物の南瓜煮という具合に控えめだった。それでも2膳食べるとさすがにお腹が苦しい。

★平凡な日々のある日のきのこ飯     日野草城
★茸飯匂へり次が厨歌          加藤秋邨

 人はきのこの炊き込みご飯を食べるとほっこりとすることになっているらしい。きのこ飯を食べただけでその日が特別な意味を持つ日になるらしい。私も同じである。
 洋の東西を問わず、きのこは珍重されている。さまざまな食べ方がある。しかもあの小さなものが主菜にもなる。嗅覚がダメになった私でも、食べていると匂いがしてくる気になる。
 秋晴れの日のきのこ飯はなおさらうれしい。


秋晴れ

2020年10月20日 13時31分20秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 退職者会ニュースの原稿、99%完成。あとは明日に二行分の追加、ならびに写真一枚が足りない。写真はこれから関内に出掛けて撮影してくる予定。寄稿してもらった方に見本を先ほど送信。
 まずはホッとした。肩の荷が下りた。

 本日は秋晴れ。

★秋晴の何処かに杖を忘れけり      松本たかし
★こころざし高きに置けば秋晴るる    山田弘子

 第1句、ふだん杖を使っているのであろう。しかし気持ちのいい秋晴れの日、ふと気が附くと杖を突かずに歩いていた。そんなことは私も幾度もある。退院時、膝の痛みが強い時、私も登山用のストックを持ち歩く。しかし気が附くとスタスタと杖を突かずに歩いている。杖をどこに忘れたか、という驚きと戸惑い。同時に「あれ?足が痛くないぞ」という嬉しい思い。この二つが同時に湧いてくる。秋の陽射しが痛みを解消してくれたようだ。秋晴れの日ならではの体験である。
 第2句、この気分もよく分かる。気分が少し高まって、ちょっとしたことでも少し高めの目標を掲げてみる。すると少しだけ背が伸びたようで、視界が広がる。周囲を見る目がゆとりをもってくる。周りが良く見えるようになると気分も爽快になる。

 


寝る前の作業

2020年10月19日 22時35分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 しばらく睡眠をとってから、のこのこと起き出して、本日送信してもらった記事の内ひとつを原稿に張り付けて編集。
 お願いしていた字数ピッタリにおさまっていたので、見出しを附けたり、数か所の変更で編集を終えることが出来た。
 いつもこのような原稿をもらえとるとてもありがたいのだが‥。

 帰宅時に降っていた雨はどうやら上がった。つい先ほど神奈川県内に残っていた雨の区域はすべて東に去った。

 読書とも美術とも俳句とも縁のない一日であったのはさびしいものである。

 さて、本日の最高気温は16.6℃と11月中旬並みとのことだが、明日は22℃の予報である。天気は回復して太陽が顔を出す晴れ間もあるようだ。
 だが残念なことに、明日は一日パソコンと向きあう日である。

 


雨の中の帰宅

2020年10月19日 21時13分12秒 | 読書

 今しがた帰宅。雨がとても強く降っていた。いつもの運動靴ではなく、防水仕様のハイキングシューズででかけたのは良い選択であったと自画自賛。いつものリュックに防水カバーもしていた。

 明後日は入稿日。明日は一日閉じこもって仕上げに精を出さないといけない。

 原稿は揃った。どのように読みやすく仕上げられるか。腕の見せどころ。満足の行く仕上げは未だ無い。


雨の中の帰宅

2020年10月19日 20時58分00秒 | 天気と自然災害

 今しがた帰宅。雨がとても強く降っていた。いつもの運動靴ではなく、防水仕様のハイキングシューズででかけたのは良い選択であったと自画自賛。いつものリュックに防水カバーもしていた。

 明後日は入稿日。明日は一日閉じこもって仕上げに精を出さないといけない。

 原稿は揃った。どのように読みやすく仕上げられるか。腕の見せどころ。満足の行く仕上げは未だ無い。


明日は慌ただしい

2020年10月18日 23時04分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 ようやく明日の退職者会の幹事会や役員会などの事前会議の資料の打ち出しが終了し、出かける準備が出来た。
 明日は9時半集合ということなので、資料の人数分のコピーを考えると9時には組合の会館到着が必要。ということは7時に起床ということになる。いつもより1時間半近く早く起きなくてはならない。
 こういう時にいつも2時就寝-8時半起床というパターンの私はつらいことになる。わかってはいても、その日のうちに眠れないし、7時代に起床することも難しい。定年退職したんだから、自分の体内のリズムに合わせたい、と頭の中でいつもささやく声が聞える。

 明日のタイムスケジュールを今書き出してみて、ため息が出た。書き出さずにいつものとおり出たとこ勝負で9時から20時まで一気に駆け抜けた方が気分的には楽だったかもしれない。お昼はいつも15分ほどかけてコンビニのパンかおにぎりを廊下で立ち食いしておしまいである。月に一度とはいえ、現役時代よりも過酷である。
 もっとも16時半から20時まではワンコインの飲み会と片付け、そして夕食という名の二次会である。この3時間半近くを2500円で済すことが出来るというのはなかなか有難いことと思う。

 明日は午後は雨の予報で12時以降の降水確率が70%となっている。予想最高気温も17℃と気温が上がらない。どんな服装にするか、悩みどころである。

 

 


三日月と富士山とすすき

2020年10月18日 21時10分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 夕方から娘が出張先で購入した日本酒を持ってきてくれた。福島の会津地方に行ってきたとのこと。濁り酒で晩酌、とても美味しくいただいた。
 タブレットの追加の設定に時間を費やしてもらった。

 帰り際には西の空に三日月と富士山と丹沢山塊がすすきの穂の向う側に美しい夕焼けに映えていた。
 


購入したい本

2020年10月18日 18時35分58秒 | 読書

 団地の管理組合の関連の会議がお昼まで。午後は妻のオンライン講座を受講している間、操作が分からなくなった時のために待機。
 先ほど横浜駅まで出向いて家電量販店と書店に出向いた。日曜日なので混雑している、ということを失念していた。
 パソコンや通信設定などの部品などのコーナーは空いていたものの、パソコン本体の売り場は混雑。結局調べたいこと、店員に聞こうとしていたことも断念。
 書店は割と空いてはいた。しかし読みかけの本もたくさんあるので、本日はあくまでも立ち読みと、どんな本があるかの探検である。横浜に行くたびに見て回ることにしている。

 購入したいとおもった本は、「ラファエロ」(深田麻里亜、中公新書)と「古代メソポタミア全史」(小林登志子、中公新書)の2冊。単行本のコーナーは見ることはない。値段が高くて対応できない。しかし藤原書店で4年前に出た「苦海浄土(全三部)」(石牟礼道子)は手に入れたい。第一部しか読んでいない。

 


茸の季節

2020年10月17日 23時13分50秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 夕食後は引き続き「絵画について」(ディドロ)の第3章「わたしが生まれてこのかた明暗法について理解したことのすべて」を読み終わり、第4章「表情に関して誰もが知っていること、、誰もが知っているわけではないこと」に進んだ。
 引用しておくべきと思った個所が見当たらなかった。ということは同意・不同意いづれにしても私の読みかたがはなはだいい加減なのかもしれない、とは思う。
 久しぶりの我が家での「晴耕雨読」である。

 さてXRAINによれば、雨の区域はまもなく本州から抜けていきそうである。すくなくとも明日の朝には雨はあがると思われる。明日の日中の予報は曇り、降水確率は20%となっている。最高気温の予報も18℃と寒さはやわらぐ。

 先日、そば店で「きのこ蕎麦」があった。別のものを注文してから気がついたので、メニューを見ただけ。食べたかったものの、メニューの記載の仕方だと通年で供しているようだ。加工し、味付けのしてあるものを加えただけなのだろうと、負け惜しみが湧いてきた。しかし、いつの間にかきのこの季節になっていたのである。
 学生時代にきのこを食べたくなり、親からの仕送りが銀行に振り込まれたときに、何種類ものきのこを購入して、味噌汁の中に放り込んだ。しめじ、しいたけ、なめこ、えのき、くりたけ、ひらたけ、まいたけ‥と揃えてみたと思う。一人ではとても食べきれないほどのきのこの味噌汁であった。当時は小さいとはいえザルに入って売っていた。
 きのこだけでも小さな鍋からあふれ出るので、中華鍋で味噌汁をつくった。それでもまだ三分の二は残ったので、友人からフライパンを借りてきて何回かに分けてバターで炒めた。
 丸2日、朝昼晩とその2品ばかりをおかずにした。さすがにしばらくはきのこの顔を見たくなくなった。
 今でも、こんな無茶なことをしてみたいが、妻の反応が怖い。今ならもう少しきのこの種類が増えると思う。そしてパック入りなのでそれほどの量にはならないと思うのだが、許してもらえそうもない。

★爛々と昼の星見え菌(きのこ)生え   高浜虚子
★月光に毒を貯え毒きのこ        遠藤若狭男

 第1句、とても幻想的な句である。まさか高浜虚子の句とは思わなかった。敗戦から2年目の句とのこと。まず昼間見える星があったのか。爛々と、まで言い切れる星はその頃にはなかった天文現象である。暗い湿気の多いところに生えるキノコと、幻想のぎらつく昼間の星と考えなければならない。そうするとシュールレアリズムを彷彿とする絵画を見るような句である。もしも昼間といっても宵の明星や明けの明星のように夕刻、早朝の星だと言ってしまっては「菌生え」が浮いてしまう。
 敗戦2年目、飢えと混乱で希望の見えない時代をジメジメしたようなものととらえ、キノコが生えるとたとえたならば「爛々と昼の星見え」は、なにか希望のようなものを自ら見つけたと理解するのだろうか。そんな安っぽい解釈では虚子に失礼と私は思う。
 さて、どんな心象風景を描いたらいいのだろうか。想像がたのしくなる句である。

 第2句、月光に毒を蓄えるのが月夜茸ならばつまらない。月が重なるし、毒も重なり過ぎる。稚拙な句だ。しかしこの句では毒キノコ一般だと思った。ジメジメしたところに生えるキノコが人知れず、人に死をもたらす毒を身中につくって貯えていく。人類はそれに対応できるのか。ひょっとしたら毒キノコだけでなくすべてのキノコが人に照準を定めているのかもしれない、という思いに頭の中を占領されてしまった。
 この月光に毒を蓄えているキノコは、作者自身の社会に対する身構えだったのかもしれない。都会の疎外された孤立無援の匂いがしてくる。社会に対する牙が、個別の内向きの怨念に押しとどめられて、時々新聞の社会面に個々の領域の問題として周囲の人を傷つけることで噴出する。社会からの孤立・疎外をすべて個人の怨念の世界に閉じ込めてしまう病理が進行している。


「絵画について」(ディドロ)

2020年10月17日 17時49分47秒 | 読書

 最大で10ミリ程度の雨が明け方から絶え間なく続いている。雨の区域は南西から北東方向に移動し続けている。ただし風は北の風。最高気温は日付が変わった0時40分ころの16.4℃のまま。日中の予想最高気温は13℃と寒いくらいである。

 午後からは「絵画について」(ディドロ、佐々木健一訳、岩波文庫)の第2章と解説に目をとおした。第1章は8日に読んだので10日ぶり。
 ディドロ(1713-84)はフランス啓蒙主義を代表するといわれる思想家。ディドロ-ダランベールの「百科全書」(1751-72)と高校生の頃に教わったけれども、それ以上の知識はない。
 解説によると、彼らの基本的な理念では「人間の知的な能力(=理解力)を機送り理性と想像力に分け、記憶を歴史に、理性を哲学に、想像力を芸術に対応させている。この「知の系統樹」は17世紀のイギリスの哲学者フランシス・ベーコンの立てた学問の分類に準拠している」とのこと。
 画家のシャルダン(1699-1779、「食前の祈り」や静物画で有名)との交友が本書にも表れてるいるとのこと。
 しかしこの解説はなかなか理解が難しい。本文を読んでから再度この解説に目をとおすことにした。