Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

秋刀魚焼く

2020年10月15日 23時24分25秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 ほとんど雨が降り続いた本日の最高気温は10月下旬並みの20.3℃だったが、昨晩の日付が変わった頃の気温である。日中はもっと気温は低かったということになる。15時過ぎた頃から寒く感じるようになり、夜はひざ掛けを出してきた。
 オンライン講座の終了後にようやくチューハイを飲んでひと息。

 本日は結局外出することなく一日を過ごしてしまった。右足の甲のはそのためか、痛みはない。フットマッサージャーも左足だけにしている。

 明日は特に予定はないので、いつもの内科に降圧剤などの薬を処方してもらいに行くことにした。土曜日からの薬が無くなる。

 月曜日に今年初めて秋刀魚を口にした。2尾で500円という値であったらしい。少し小さめであった。私はまずは塩焼きで食べたいのだが、妻は塩焼きよりもショウガと醤油で煮付けるのが昔からの食べ方だったという。しかもグリルの掃除が大変、ということで私のリクエストは却下される。塩焼きは年に1度か2度程度である。とても悲しい。

★さんま焼くや煙突の影のびる頃          寺山修司
★七輪を出せこの秋刀魚俺が焼く          吉田汀史
★食べ方のきれいな男焼秋刀魚           二瓶洋子

 第1句、これは1960年代後半の東京ではあまり見かけなくなった光景ではないか。風呂屋の煙突も、大きな工場でも町工場でも煙突が希少、路地で七輪を使って秋刀魚を焼くこともほぼ見かけなくなった。秋刀魚は広い土地が無いともう焼けなくなっていた。アパートや公団の団地の台所で秋刀魚を焼けば消防車が出動しかねなかった。この句の背景には高校卒業の1954年までいた寺山の故郷青森での状況がベースと思われる。秋刀魚を焼く、ことと、煙突の影が伸びる、とがそれざれ単独では私も実際の体験としては持っている。だが、両方ともにというのは、既視感のあるようでいて、実際は映画やコミックで追体験しているようなどこかで作り上げた合成写真にも私には思えるのだが、いかがなものであろうか。
 第2句、私はこのようにして大胆にグリルで焼いてみたい。現在のグリルは煙もあまり出ないような造りなので、消防車がやってくることはまずない。しかし焼き方は人には任せられない、という自負はある。妻からは、その汚れたグリルの掃除もちゃんとしてよね、という怒りを含んだ声が聞こえてきそうである。
 第3句、私は秋刀魚全体に火が通ると、頭の部分を火の強いところに持って行って少し焦げるまで焼く。そうすると小さな秋刀魚は頭まで丸ごと食べることが出来る。
 結婚したころ、私が秋刀魚を焼いて頭と骨だけを綺麗に残して食べて、妻が驚いていた。きれいに食べる男の評価は、両極端に分かれるらしい。器用で食べ物を大切にするという評価と、その几帳面さに引いてしまうという評価と。
 それならば、と次の機会には、頭も少し余計に焼いて、頭からしっぽの先まですべて食べ尽くしてしまったら、呆れられた。そして「恐ろしい」という評価になってしまった。でもその食べ方を私はとても気に入っている。秋刀魚はすべてを食べ尽くすのが、「美味い」のである。


「美術の物語」第9章

2020年10月15日 18時59分00秒 | 読書

 夕方は、20時からの「美術の物語」の講読のオンライン講座に向けて、「美術の物語」(ゴンブリッチ)の第9章を読み、送信された資料を読んだ。
 第9章は「戦う教会 12世紀」という表題がついている。ノルマン人のイングランド上陸によってもたらされたロマネスク(ノルマン)様式の建築と壁のレリーフを中心に、儀式に使われる器物、装飾写本、ステンドグラスなどが取り上げられている。
 最後の段落が気になる。
「形について言えることは色についても言える。もはや画家たちは、実際に自然界に生じる色調のグラデーションを、研究し模倣しなければならないとは思わなかった。だから、彼らは絵に合わせてどんな色でも好きに選ぶとができた。金細工のあざやかな金と光沢のある青、そして、写本彩飾の強烈な色彩、さらには、ステンド・グラスの窓の燃えるような赤と深い緑。自然から独立した当時の名工たちが、その自由をみごとに生かしているのがわかる。自然界を模倣する義務から解き放たれたことによって、彼らは超自然の世界を表現できるようになったのである。」

 私は現代絵画論なのかとふと思ったが、果たして時間軸をどのように取ってこの段落を解釈したらいいのか、戸惑っている。


目の酷使

2020年10月15日 14時07分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 依頼されていた600字余りの文章をひとつ、ようやく作り上げた。当初は800字位を考えていたが、ゆとりのある割り付けでA4のおもて面で収めるために200字を削った。
 退職者会という組織を代表しての文章なので、語句ひとつひとつに気を配って書いた。このような文章というのは、書きづらい。
 午前中2時間もかけてしまったのは想定外。重複する、くどく、そして堅い言葉遣いを直しながらなんとか片付けたという印象である。
 内部向けの文章というのは、もうすでに思考回路が出来上がって身についている。しかし対外的な文章というのは、内部向けの思考だけでは通じないところもある。

 一応の形になったときは、すでに目がショボショボ。目の酷使である。これから30分ほどは目薬をして、目をつぶってタオルで温めることにした。