ほとんど雨が降り続いた本日の最高気温は10月下旬並みの20.3℃だったが、昨晩の日付が変わった頃の気温である。日中はもっと気温は低かったということになる。15時過ぎた頃から寒く感じるようになり、夜はひざ掛けを出してきた。
オンライン講座の終了後にようやくチューハイを飲んでひと息。
本日は結局外出することなく一日を過ごしてしまった。右足の甲のはそのためか、痛みはない。フットマッサージャーも左足だけにしている。
明日は特に予定はないので、いつもの内科に降圧剤などの薬を処方してもらいに行くことにした。土曜日からの薬が無くなる。
月曜日に今年初めて秋刀魚を口にした。2尾で500円という値であったらしい。少し小さめであった。私はまずは塩焼きで食べたいのだが、妻は塩焼きよりもショウガと醤油で煮付けるのが昔からの食べ方だったという。しかもグリルの掃除が大変、ということで私のリクエストは却下される。塩焼きは年に1度か2度程度である。とても悲しい。
★さんま焼くや煙突の影のびる頃 寺山修司
★七輪を出せこの秋刀魚俺が焼く 吉田汀史
★食べ方のきれいな男焼秋刀魚 二瓶洋子
第1句、これは1960年代後半の東京ではあまり見かけなくなった光景ではないか。風呂屋の煙突も、大きな工場でも町工場でも煙突が希少、路地で七輪を使って秋刀魚を焼くこともほぼ見かけなくなった。秋刀魚は広い土地が無いともう焼けなくなっていた。アパートや公団の団地の台所で秋刀魚を焼けば消防車が出動しかねなかった。この句の背景には高校卒業の1954年までいた寺山の故郷青森での状況がベースと思われる。秋刀魚を焼く、ことと、煙突の影が伸びる、とがそれざれ単独では私も実際の体験としては持っている。だが、両方ともにというのは、既視感のあるようでいて、実際は映画やコミックで追体験しているようなどこかで作り上げた合成写真にも私には思えるのだが、いかがなものであろうか。
第2句、私はこのようにして大胆にグリルで焼いてみたい。現在のグリルは煙もあまり出ないような造りなので、消防車がやってくることはまずない。しかし焼き方は人には任せられない、という自負はある。妻からは、その汚れたグリルの掃除もちゃんとしてよね、という怒りを含んだ声が聞こえてきそうである。
第3句、私は秋刀魚全体に火が通ると、頭の部分を火の強いところに持って行って少し焦げるまで焼く。そうすると小さな秋刀魚は頭まで丸ごと食べることが出来る。
結婚したころ、私が秋刀魚を焼いて頭と骨だけを綺麗に残して食べて、妻が驚いていた。きれいに食べる男の評価は、両極端に分かれるらしい。器用で食べ物を大切にするという評価と、その几帳面さに引いてしまうという評価と。
それならば、と次の機会には、頭も少し余計に焼いて、頭からしっぽの先まですべて食べ尽くしてしまったら、呆れられた。そして「恐ろしい」という評価になってしまった。でもその食べ方を私はとても気に入っている。秋刀魚はすべてを食べ尽くすのが、「美味い」のである。