Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

火星最接近

2020年10月06日 23時19分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評



 本日は火星の最接近。マイナス2.6等。月と同様雲の間をすすむ橙色の火星は見ものである。
 ベランダの手摺りにカメラを乗せて撮影してモノクロにしてみた。一眼レフで撮ろうとしたら電池切れであった。迂闊であった。左下にかろうじて写った。
 左上に微かに写っているのは、アンドロメダ座のβ星ミラクだと思われる。本当は月も一緒に写したかったが離れ過ぎていた。

 明日からは天気が悪いのでしばらく見ることはできそうもない。

 ベランダにて撮影した時間よりも早い時間に道路で手持ちで撮影したものを忘れていた。
 こちらは強引に月も入れてみた。手持ちなのでぶれている。右上に火星が写っているが、ピントも甘い。記録として恥ずかしながら掲載してみた。


好きな絵「聖トマス」(ラ・トゥール)

2020年10月06日 18時37分26秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等



 先ほど帰宅。喫茶店で「国立西洋美術館の名作ガイド」をまず見て、そして読んでいた。昔から気になっている作品が掲載されていた。
 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593-1652)の「聖トマス」という作品である。ラ・トゥールはヨセフとキリストの父子象「聖ヨセフ」などの新約聖書に材を得た宗教画と、「いかさま師」などの風俗画で有名である。
 この作品は解説によると、「キリストの「復活」を疑い、直に復活したキリストの脇腹のやり傷に触れてからそれを信じた」といわれる十二使徒のひとり。ネットで調べるとインドにわたって布教したといわれている。絵画では槍や正方形がシンボルとして描かれるとのことである。
 この作品、幾度も常設展で見ている。そのたびに気になっていた。今回ようやくこの解説に接することが出来た。
 槍の傷に触れた、という伝承から槍がシンボルとして描かれでいる。構図として目につくのは暗緑色のマントのような衣装が四角い窓枠のように描かれ上半身が出ている。衣装でシンボルの正方形が描かれている。
 気になるのは、頭の頭頂部から鼻筋を通って槍と直交する線と、視線のズレである。ギョロっと鋭く見つめる視線は、槍と直交しないで槍の穂先を見ているように見える。
 両手の指は槍の重みをしっかりと支えるために力がこもって、キリストを慕う気持ちをあらわしていると推測され、印象的である。この力を込めて持っている槍と直交する頭から鼻筋の線は、力学的・身体構造的には不可欠な直交だと思う。
 しかし視線が槍の先に向いているということは、槍のもっとも重要な役割である穂先を見つめながらの思索にふけっているということである。
 顔の描き方もまた丹念で、思索に耽る様子が、皺の一本一本と引き締まった口元に存分に込められていると思う。
 この思索は実に普遍的ではないだろうか。聖書的な解釈は別として、私は人を殺す武器としての槍を見つめる思索、と解釈してしまう。画家の本来の意図とは違うかもしれないが、やはりキリストの死を契機として、人間の生と死、あるいは人間の性(が)ともいえる死をもたらす諍いといった人間の存在の根底への思索に誘導されてしまう。
 トマスという人は疑い深い人ということになっているらしいが、それはロシア正教などでは「思索の人」という方向に転化しているという。ラ・トゥールも「思索の人」としてこの作品を描いたのではないか。そしてそれは見る人を「生と死」という思索に誘導するという効果を与え続けている。
 見る人はさまざまな思いを持って観賞する。その思いを槍を契機に「生と死」「死をもたらす諍いとは何か」に誘導してくれる作品である。
 少なくとも私は、新約聖書の世界に捕らわれず、普遍的な思索に誘導してくれるものとしていつもこの作品の前で立ち止まる。


明日からは台風の影響

2020年10月06日 13時54分30秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 朝はどんよりと曇り、午後からは気持ちよく晴れた。昨日と同じような天気である。湿度は昨日よりも低く、体感的にはより快適。
 残念なことに、台風14号の影響が明日には出てくるという予報である。

★書を読むや颱風の夜の白き燈に     山口誓子
★颱風に吹かれ吹かれつ投函す      石田波郷
★台風や四肢いきいきと雨合羽      草間時彦

  第1句、平板な句に思えたが、「白き燈」で引っ掛かった。橙色の電球ではない。蛍光灯なのか。白い灯りは眩しくて、読書には疲れる。だが台風が外で暴れている夜には、頼もしい明るさであるということなのだろうか。不安で読書が進まなかったというよりも、「白き」という表現で緊張感のある読書が想像される。漫然とした読書よりは充実した読書だった可能性もある。山口誓子が亡くなったのは1994年だから蛍光灯はとっくに普及している。しかし颱風という表記は1950年代以降に変わっている。そのころは蛍光灯は普及していない。時代的にちょっと合わない。ただし颱風という表記にこだわったのかもしれない。
 第2句、大事な手紙なので、あえて台風で荒れている中を投函しに出かけたという設定。字が雨で滲んだり、封書が汚れていたり、差出人や集配の人の状態が察せられる郵便にはいろいろなドラマが感じられる。何事につけ、「モノ」には人の行為が匂ってくる。それを感じられる人間になりたいものである。今ではメールで済ませてしまうが、きっとそのメールにもさまざまなものが貼り付いている、と信じたい。
 第3句、災害時などにさまざまな防護をしてから対策にあたる人々がいる。私もその末端の一人であった。その装備を身に着けると体がしゃきっとする。体が生き生きとしてくる。緊張感が高まるのである。雨合羽と長靴とヘルメットとゴム手袋、これだけの装備でも身が引き締まる。漫然と着こなしたのでは事故のもとである。