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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「絵画について」(ディドロ) 2

2020年10月22日 22時22分35秒 | 読書

 私の無能を晒すようなものであるが‥。

   

 読書時間は長くは取れなかったが、本日は「絵画について」(ディドロ、岩波文庫)を手にとった。既に第4章のはじめまでは読み進めていたので、本日は第4章の途中から読みはじめ第5章「構成に関する章、構成について話そうと思っている章」の終りまで目をとおした。
  わたしにはピンとこない。わたしなりの期待とズレが大きかったようである。きちんと批判的に論じるのも必要かもしれないと思いながらも、とても撮ろうに思える。そして「構成」というものをどのように「定義」しているのかよく理解できなかった。

「自然は存在するものに多様性を与え、冷たく、動かず、生きていず、感じもしなければ考えもしないものと、生きていて、感じかつ考えるものとに分けた。この線は永遠の昔から引かれている。だから、手の加えられていない死んだ自然を模倣する者をジャンル画家と呼び、感じて生きている自然を模倣する者を歴史画家と呼ぶべきであった。」(第5章)

 この著者は、常に世界を所与の型に嵌めて、それによって世界を分類し、その分類によって世界を定義しようとする。あてはめた型の定義も厳密ではない。あてはめた型によって画家と絵画を裁断し評価しようとする。この型と、型そのものの定義に著者は振り回されているようだ。絵画をジャンル分けして分類することが「絵画論」ということになってしまっている。
 これがひょっとして「百科全書」派の本質なのかもしれない。あるいは今から見ればその時代の要請だったのだろう。
  論を追っていくのが少々苦痛に感じてきてしまった。しかし読み進めるうちに何か得るものを少しでも探したいとも思う。

 


癌検診予約の電話応対の不思議

2020年10月22日 20時22分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 朝の9時ちょうどに今度は妻が癌検診の予約の電話をした。私は肝胆膵の癌検診について、昨日は「毎週水曜日が検診の日になるので、27日に再度電話をして1月27日以降の予約をしてほしい」と言われた。ところが本日妻は同じ肝胆膵の検診について「月・火・水が検診日なので来週26日以降に再度電話をしてほしい」と言われたという。

 まさか肝胆膵の癌検診は州の内、男が水曜日1日で、女が月曜から水曜日の3日間もある、とは信じられず、妻と二人で首を傾げた。
 どうも不思議な電話での窓口対応である。昨日と本日、誰かが正しくないことを言っていると思うのだが‥。念を押して確認したのだから、昨日の私の聞き違いではないと思う。

 ということで、私は来週は27日ではなく、26日に妻の電話の直後に電話をしてみることにした。


静かな一日

2020年10月22日 18時31分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昼過ぎまでに退職者会ニュースの原稿の最終チェックを自分なりにして、印刷会社に原稿を送信した。校正刷りが出来るのは多分来週の前半。
 今回はこれまでの中では記事の内容も、割り付けも、構成も割といい仕上げになったと自画自賛。しかし会員からの評価はまた別問題。感想がやはり怖い。ワープロソフトの一太郎をずいぶん使いこなしているということも自画自賛。しかし印刷会社でプロの方に校正刷りをつくってもらうと「やはりプロは違うな」と、毎度感心する

 午後は歩いて35分ほどのJRの駅まで妻と買い物。たいしたものを購入したわけではなく、食材と携帯電話の取り扱いについて相談、百円ショップとその他。途中で喫茶店でコーヒータイム。
 その後、私鉄の別の駅まで一緒もどり、妻はバスで帰宅。私は横浜駅の書店と家電量販店をのぞいてからバスにて帰宅。それでも久しぶりにほぼ1万歩歩いた。ゆっくりと歩き、しかも長い時間の歩行はしなかった。両膝も右足の甲も痛みはでなかった。痛みが出たらすぐにやめようと少しビクビクしながら歩いた。
 これ以上歩くと、痛みが出るかもしれないと思い、横浜からは地下鉄利用ではなくいちばん歩く歩数の少ないバスを利用した。