Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

桜紅葉

2020年10月16日 22時56分16秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 病院から横浜駅までは歩かずに私鉄を使った。足が痛くなければ紅葉の始まった樹でも探そうと思っていたが、それも叶わなかった。薄の穂も見ることがかなわなかった。桜紅葉なども病院までの道すがら探したものの眼につかなかった。
 探そうとする意欲が足りなかったのか、毎年桜を見ているとおりの桜もまだ色が変わっていなかった。

★桜紅葉これが最後のパスポート          山口紹子

 私も昨年パスポートを更新した。間違いなく最後の更新になると思った。5年でもいいが一応従来通り10年の更新である。作者は5年の申請にするか、10年にするか、ちょっとした葛藤があったのではないか。あるいはどこかで「もう一回あるかな」と思っているのだろう。
 それは都会の中では一番早く色がかわり、早めに葉を落す桜紅葉を冒頭に持ってきたところに表れていないか。私と違ってもう少し若い時の更新だと思う。年齢に対するちょっとした抵抗感・こだわりがなんとも言えず羨ましいと思った。その若さならば、もう一回の更新が必要になるかもしれない。
 ちょとした苦笑も感じられる。それは「これが」という話し言葉の存在である。この3音の語がいいアクセントだと思った。


「自省録」(マルクス・アウレリウス)

2020年10月16日 20時42分09秒 | 読書



 病院の帰りには横浜駅の地下街の書店に立ち寄ってみた。手にとってみたのが「自省録」(マルクス・アウレリウス、神谷美恵子訳、岩波文庫)。1956年初版で2007年に改版したもの。今年の7月に第23刷なので、売れているのであろう。
 この本、昔から幾度も書店で手にとって見たことがある。中学・高校の世界史の教科書や講義で著者のローマ皇帝マルクス・アウレリウスの名と著書の「自省録」のことは聞いていた。高校生・学生のころ、そして就職したころも書店で立ち読みはした。しかしいつも第1章の「祖父ウェールスからは、清廉と温和(を教えられた)。」「父に関しては‥」で購入するの辞めていた。
 本日訳が神谷美恵子であることをはじめて知り、そしてやはり一気読みとはならないものの購入してみることにした。

 立ち読みした時点で目についたのは第2章の、
「八、他人の魂の中に何が起っているいるか気をつけていないからといって、そのために不幸になる人はそうたやすく見られるものではない。しかし自分自身の魂のうごきを注意深く見守っていない人は必ず不幸になる。」
「九、‥宇宙の自然とはなんであるか。私の内なる自然とはなんであるか。後者は前者といかなる関係にあるか。それはいかなる全体のいかなる部分であるか。また君がつねに自然にかなうことをおこなったりいったりするのを妨げる者は一人もいないということ。」

 このようなアフォリズム的な文章というものは、あまりに一般化しすぎた言い方になると、自分の対立者にも言えるものであることが多い。しかもその時々の心境によって心に響いてくるものと響いてこないものがある。昨日は響かなくとも、本日共鳴できるものがあり、明日には「なんでこんなことに感激したんだろう」という思いが浮かぶこともしょっちゅうある。

 また当時のギリシャの人々がどのような思考をしていたか、わかる。多分われわれの思考と大差なく、いな、少なくとも私よりはずっと優れた思考力と洞察力を備えていたとおもっている。それを追体験することになる。むろん今の私にはとても理解できないこともあるはずだ。

 ときどきはめくってみるのもいいと思った。


毎月の宿題

2020年10月16日 13時37分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 

 午前中は、内科の医師に提出するこの一カ月の血圧の測定値をパソコンに打ち込んだ。手書き用にの紙の質の極めて良い立派なノートを渡されたが、私の殴り書きのような悪筆を見せるのもためらわれたので、エクセルで渡されたノートと同じようなものを作成して毎回渡している。
 本当は毎週1回はきちんと入力していれば、こんなに時間を使う必要はないのだが、つい後回しにしてしまう。小学生のころの夏休みの宿題と同じである。わかってはいても毎日、毎週というのは難しい。

 昨日は雨が降って寒かったが、本日は時どき陽が射していたものの空気が冷たく感じる。正午の気温が17.7℃となっていた。昨日よりも気温が低いようだ。
 長袖のポロシャツだけでは寒い。上着は何がいいか、戸惑っている。妻も出かけるにあたって何を着ていくか、悩んでいた。

 これより医者へ。