Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

茸の季節

2020年10月17日 23時13分50秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 夕食後は引き続き「絵画について」(ディドロ)の第3章「わたしが生まれてこのかた明暗法について理解したことのすべて」を読み終わり、第4章「表情に関して誰もが知っていること、、誰もが知っているわけではないこと」に進んだ。
 引用しておくべきと思った個所が見当たらなかった。ということは同意・不同意いづれにしても私の読みかたがはなはだいい加減なのかもしれない、とは思う。
 久しぶりの我が家での「晴耕雨読」である。

 さてXRAINによれば、雨の区域はまもなく本州から抜けていきそうである。すくなくとも明日の朝には雨はあがると思われる。明日の日中の予報は曇り、降水確率は20%となっている。最高気温の予報も18℃と寒さはやわらぐ。

 先日、そば店で「きのこ蕎麦」があった。別のものを注文してから気がついたので、メニューを見ただけ。食べたかったものの、メニューの記載の仕方だと通年で供しているようだ。加工し、味付けのしてあるものを加えただけなのだろうと、負け惜しみが湧いてきた。しかし、いつの間にかきのこの季節になっていたのである。
 学生時代にきのこを食べたくなり、親からの仕送りが銀行に振り込まれたときに、何種類ものきのこを購入して、味噌汁の中に放り込んだ。しめじ、しいたけ、なめこ、えのき、くりたけ、ひらたけ、まいたけ‥と揃えてみたと思う。一人ではとても食べきれないほどのきのこの味噌汁であった。当時は小さいとはいえザルに入って売っていた。
 きのこだけでも小さな鍋からあふれ出るので、中華鍋で味噌汁をつくった。それでもまだ三分の二は残ったので、友人からフライパンを借りてきて何回かに分けてバターで炒めた。
 丸2日、朝昼晩とその2品ばかりをおかずにした。さすがにしばらくはきのこの顔を見たくなくなった。
 今でも、こんな無茶なことをしてみたいが、妻の反応が怖い。今ならもう少しきのこの種類が増えると思う。そしてパック入りなのでそれほどの量にはならないと思うのだが、許してもらえそうもない。

★爛々と昼の星見え菌(きのこ)生え   高浜虚子
★月光に毒を貯え毒きのこ        遠藤若狭男

 第1句、とても幻想的な句である。まさか高浜虚子の句とは思わなかった。敗戦から2年目の句とのこと。まず昼間見える星があったのか。爛々と、まで言い切れる星はその頃にはなかった天文現象である。暗い湿気の多いところに生えるキノコと、幻想のぎらつく昼間の星と考えなければならない。そうするとシュールレアリズムを彷彿とする絵画を見るような句である。もしも昼間といっても宵の明星や明けの明星のように夕刻、早朝の星だと言ってしまっては「菌生え」が浮いてしまう。
 敗戦2年目、飢えと混乱で希望の見えない時代をジメジメしたようなものととらえ、キノコが生えるとたとえたならば「爛々と昼の星見え」は、なにか希望のようなものを自ら見つけたと理解するのだろうか。そんな安っぽい解釈では虚子に失礼と私は思う。
 さて、どんな心象風景を描いたらいいのだろうか。想像がたのしくなる句である。

 第2句、月光に毒を蓄えるのが月夜茸ならばつまらない。月が重なるし、毒も重なり過ぎる。稚拙な句だ。しかしこの句では毒キノコ一般だと思った。ジメジメしたところに生えるキノコが人知れず、人に死をもたらす毒を身中につくって貯えていく。人類はそれに対応できるのか。ひょっとしたら毒キノコだけでなくすべてのキノコが人に照準を定めているのかもしれない、という思いに頭の中を占領されてしまった。
 この月光に毒を蓄えているキノコは、作者自身の社会に対する身構えだったのかもしれない。都会の疎外された孤立無援の匂いがしてくる。社会に対する牙が、個別の内向きの怨念に押しとどめられて、時々新聞の社会面に個々の領域の問題として周囲の人を傷つけることで噴出する。社会からの孤立・疎外をすべて個人の怨念の世界に閉じ込めてしまう病理が進行している。


「絵画について」(ディドロ)

2020年10月17日 17時49分47秒 | 読書

 最大で10ミリ程度の雨が明け方から絶え間なく続いている。雨の区域は南西から北東方向に移動し続けている。ただし風は北の風。最高気温は日付が変わった0時40分ころの16.4℃のまま。日中の予想最高気温は13℃と寒いくらいである。

 午後からは「絵画について」(ディドロ、佐々木健一訳、岩波文庫)の第2章と解説に目をとおした。第1章は8日に読んだので10日ぶり。
 ディドロ(1713-84)はフランス啓蒙主義を代表するといわれる思想家。ディドロ-ダランベールの「百科全書」(1751-72)と高校生の頃に教わったけれども、それ以上の知識はない。
 解説によると、彼らの基本的な理念では「人間の知的な能力(=理解力)を機送り理性と想像力に分け、記憶を歴史に、理性を哲学に、想像力を芸術に対応させている。この「知の系統樹」は17世紀のイギリスの哲学者フランシス・ベーコンの立てた学問の分類に準拠している」とのこと。
 画家のシャルダン(1699-1779、「食前の祈り」や静物画で有名)との交友が本書にも表れてるいるとのこと。
 しかしこの解説はなかなか理解が難しい。本文を読んでから再度この解説に目をとおすことにした。


「自省録」(マルクス・アウレリウス) 2

2020年10月17日 11時06分48秒 | 読書

 昨晩は「自省録」の第1巻の末尾と第2巻の後半を読んでみた。第2巻は興味深い記述がいくつかある。その中で古代ローマの人々の人生観がうかがい知れるものがあった。

「十三、なによりもみじめな人間は、‥隣人の心の中まで推量せんとしておきながら、しかも自分としては自己の内なるダイモーン(訳者神山美恵子は注で「理性、人間の内なる神的部分を表す」)の前に出てこれに真実に仕えさえすればよいのだということを自覚せぬ者である。」

「十四、たとえ君が三千年生きるとしても、いや三万年生きるとしても、記憶すべきはなんびとも現在生きている生涯以外の何ものをも失うことはないということ、またなんびとも今失おうとしている生涯以外の何ものもをも生きることはない、ということである。したがってもっとも長い一生ももっとも短い一生と同じことになる。なぜなら現在は万人にとって同じものであり、失われる時は瞬時にすぎぬように見える。なんぴとも過去や未来を失うことはできない。自分の持っていないものを、どうして奪われることがありえようか。‥第一に、万物は永遠の昔から同じ形をなし、同じ周期を反復している。‥百年みていようと、‥無限にわたって見ていようと、なんのちがいもないということ。第二にもっとも長命の者も、もっとも早死する者も、失うものは同じであるということ。なぜならば人が失いうるものは現在だけなのである。」

 後段の引用で興味をひくのは「万物は永遠の昔から同じ形をなし、同じ周期を反復している。」という個所。現代の私たちの認識とは違うと同時に、輪廻思想との親和性を私は感じた。

 マルクス・アウレリウスについても訳者による詳しい解説が巻末にある。西暦121年生まれで、前皇帝ピウスのあとを受けてローマ皇帝になったのは161年。死の180年に遠征先(現在のウィーン?)で伝染病のため58歳で没する。ストア派の哲学者でり、哲人皇帝といわれた。いわゆる五賢帝の最後。
 解説では、「在位中、仁政によって万人の敬愛を一身に集めていたので、死後一世紀の間多くの家では彼を家の守護神の一人として祀っていたという」と記されている。
 ローマ帝国でキリスト教が公認されたのは313年、当時はキリスト教は非公認で迫害されていた。マルクス・アウレリウスのキリスト教理解も皮相で本質は知るところがなかったようである。

 第12巻まであるうち第2巻まで読んだ限りでは、マルクス・アウレリウスという人、生涯にわたって極めて禁欲的・内省的で正義感の強い人格であったように感じる。普通はこのような人は人心を掌握してまとめ上げていくには、近寄りがたい存在になるものである。にもかかわらず、20年近く校庭の座を維持し抜いたということは、人心の掌握や組織運営、政治的な駆け引きにもたけていたことは間違いはないと思われる。「堅い」反面、魅力に富んだ人格だったと思われる。