Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日から11月

2020年10月31日 21時46分53秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日から11月、いよいよ年末が近くなってきた。天候は夏から年末に一挙に進んだ。秋の木の葉の色合いの変化を楽しむこともなく、過ぎたと思う。
 気分の上では異様に長い8月から一気に10月に進んで、ようやく1年の内の10ヶ月、304日の進行の度合いが例年のようになってきたような気がする。このまま2ヶ月が平年のような天候で進んでくれれば、帳尻があう、ということなのだろうか。

 先ほど満月と火星をベランダからのぞいた。本日のつめたい北風が身に染みた。養生している身にはよくない風と思われたので、そうそうに室内に戻った。とても残念。
 満月と火星に照らされながら、少しほろ酔いで、秋の夜の大気の中を散歩したいものである。いつもしていることが出来ない、もどかしさを味わっている。


火星と満月

2020年10月31日 18時19分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は十五夜&満月。旧暦で十五夜と満月がいつも重なるということではなかった。今回は重なった。東京の月の出は16時50分だったのでもうすでに上っている。その時間、眠っていた。14時過ぎに、発熱が無いように念じながら布団の中で岩波書店の「図書11月号」を読んでいた。そのうちに寝てしまった。

 夜になって月を見に団地の中を歩いてみる気もなく、ベランダからは今のところ赤い火星がよく見える。昨日は月と火星が並んでいたはずであるが、とても空を見上げられる状態ではなかった。残念であった。

 過去三回の発熱はいづれも14時過ぎからの軽い悪寒の始まりがその前兆であった。本日は今のところその兆候はない。ありがたい。

 


読了「万葉集の起源」

2020年10月31日 14時49分40秒 | 読書

   

 「万葉集の起源-東アジアに息づく抒情の系譜」(遠藤耕太郎、中公新書)を読み終えた。
 第7章では、天智天皇の死の前後の倭太后や額田大王などの歌を、そして第8章では、後の草壁皇子への挽歌を取り上げている。後者では柿本人麻呂の登場など興味深かった。
 終章にまとめ的な記述があるので、覚書として引用したい。

「東アジアの喪葬儀礼は、全体として死者の魂を呼び戻そうとする招魂から、それを恐れ、死者の世界に送る送魂へと移行する大きな流れを持っている。‥古代日本において、送魂を担当したのは野中古市の遊部に属するネギとヨヒと呼ばれる呪的職能者であった。‥送魂ストーリーに抗するところで、哭き歌は歌われた。ヤマトタケルの后や御子たちが、白鳥となって翔りゆくタケルの魂を追いかけながら、何度もその送魂ストーリーに抗して歌う大御葬歌、天智天皇の魂が徐々にあの世に行くというストーリーに抗しながら、倭太后らの歌う挽歌には、送魂ストーリーに則りつつも、それに抗するところに生ずる心の機微や抒情を表現するという声の歌の技術が継承されている。‥漢詩文的発想を取り込むことによって、夫婦間の悲しみを歌い上げるという新たな死に関わる抒情表現へと飛躍していた。(「大化薄葬令」で)仏教の浸透や火葬の開始などによって人々の死生観は大きく変化する。死は合理化され、死者は恐怖するものではなくなっていく。‥柿本人麻呂は、中国の誄(るい)の形式を受容しつつ、残された遺族や儀礼の取り仕切る呪的職能者の立場に降り立って死者に語りかける技術を継承し、さらに哭き歌を基層にもつ女の挽歌の表現をと見込んで、新たな殯宮挽歌や物語的な挽歌を創作した。そこに、喪葬儀礼から離れて死の悲しみそのものを追求する抒情表現が創りだされる。招魂から送魂へという喪葬儀礼の大きなストーリーを逆転させ、合理化された死から死の狂気に引き込まれていくというような、死をめぐる新たな抒情表現の創出でもあった。」

「この列島に国家が誕生し、貴族文化が確立する中で、歌垣歌は貴族の恋歌へと飛躍し、また死生観の変化に応じて、それまでの喪葬歌は時代に見合った新たな宮廷挽歌へと飛躍した。飛躍したれども、しかし変わらない部分がある。それは、貴族の恋歌も新たな宮廷挽歌も、声に出して歌われるという点である。それは和歌がずっと持ち続けてきた歌の本日である。」

 音数律についての言及、日本語の5・7・5等についての言及も興味深いものがある。しかしこれは是非とも次の著作を期待したいと思った。最後に「おわりに」から引用しておく。

「1877年の西南戦争後、新政府は天皇に恋歌を詠むことを禁じた(丸谷才一)。丸谷はそのわけを、天皇は軍隊の大元帥であるから、軟弱な帝であっては困るからで、恋心を詠むなどとんでもないと考えたからだという。‥その流れは大正、昭和天皇が恋歌を詠まなかったことにも連続している。‥同記事で丸谷は、「日本文学の中心にあるのは和歌で、そのまた中心に位置を占めるのは天皇の恋歌である」といい、その伝統を断ち切った新政府の方針を「わが近代最初の(そして最大かもしれない)文学的弾圧」であったという。」


今朝は爽快だが…

2020年10月31日 13時33分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 熱が下がれば気分は爽快なのだが、少なくとも連休中は自重。昨夕からの熱で奪われた体力の回復のために、本日も11時までは寝ていた。
 11時頃からは「万葉集の起源」の終章以降を読み、読了。気分だけは良いので、集中して読めた。

 しかし今日一日はうろうろしないよう、また急に発熱の兆候が出ても対応できるよう、寝間着のまま過ごすことにした。繰り返しになるが忘れないよう記しておく。
 悪寒が始まると着替えもままならないくらいに震える。それほど発熱が急なのである。
 昨日も微かな悪寒が始まっても体温はなかなか上がらない。震えが激しくなると急に体温があがり、わずか1時間くらいで3℃も上がる。そして6時間くらいで37℃台前半に戻る。

 体の奥からガッ、ガッと足を踏み鳴らして何者かが出てくるような気分が始まりの合図である。次第に手足が重苦しくなり、体を動かすのがしんどくなる。立ったまま、そんな自分の体調にじっと耐えている。それが30分位つづく。
 そしていよいよ全身の激しい震えを伴う悪寒が始まる。これが約1時間かかる。この間に体温が急激に上昇する。これは思い出したくもない状態である。この状態がまた起きるかという恐怖感がある。