Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

佐藤鬼房の句

2022年08月26日 21時49分54秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 佐藤鬼房句集から
  半迦座(1989.6刊)より
★魔の六日九日死者ら怯え立つ
★砂に陽のしみ入る音ぞ曼殊沙華
★野葡萄や死ぬまで続くわが戦後

 佐藤鬼房の句が読みたくなる。残念ながら佐藤鬼房の句集は「芸林21世紀文庫」の薄い1冊しか持っていない。全句集は昨年14,300円で刊行されたらしいが、とても手の届くものではない。いつか他の句も読んでみたい。

 佐藤鬼房については、ネットで調べると、概略「1919年3月20日~2002年1月19日、俳人、岩手県釜石市出身。現塩釜市立第一小学校卒。1935年より新興俳句系の「句と評論」に投句、渡辺白泉の選句を受ける。1940年、徴兵、中国・南方に転戦。南京で鈴木六林男に出会う。戦後は西東三鬼に師事、1953年「風」同人。1954年、第3回現代俳句協会賞。1955年、「天狼」同人。1985年宮城県塩竈市で「小熊座」創刊、主宰。1989年『半跏坐』で第5回詩歌文学館賞、1993年『瀬頭』で第27回蛇笏賞。社会性俳句の代表的作家。陸奥に根ざした風土性・土俗性を特徴とし、戦争の記憶などもモチーフとした。門人に高野ムツオなど」とある。
  私が仙台にいた1970年代前半も東北、あるいは宮城県内で活躍していたのかもしれない。当時は、名前は知ってはいたが、俳句については何も知らなかった。

 引用の句は、いくどかこのブログでもすでに引用したかもしれない。戦争をひきづって、そして今も私をひきつける句である。


とおり雨

2022年08月26日 20時10分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評



 急遽、通院の付き添い。途中で雨が降り始めてしまったが、さいわい10分ほどで雨は上がってくれて、おおいに助かった。

 午前中に横浜市の敬老バス取得のための振込み、神奈川大学生協での本の注文、横浜駅で書店と家電量販店にて新刊・新商品の確認と把握、降圧剤を商法してもらうためのかかりつけ医受診、ドラッグストアで頼まれていた虫刺され用の塗り薬を購入して帰宅。
 あちこち回ってかなり疲労。途中で喫茶店で一服したが、コーヒーを飲んだだけ。読書する気持ちのゆとりはなくなっていた。


処暑

2022年08月25日 22時37分26秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 明日は血圧の薬等を処方してもらうためにいつものかかりつけの内科に行く予定。その前に神奈川大学の生協でいくつか本とCDを漁る予定。目的のものがあるか、取り寄せてもらえるのか、確かめに行く。購入はまだ先の予定。在庫がある場合はどうするか、悩みどころ。

 本日の最高気温は28.7℃であったが、明日はまた33℃と昨日のような気温になる予報。しかも朝のうちの湿度が90%というからかなり蒸し暑いようだ。ひょっとしたらパつくのだろうか。

 23日から9月7日までは二十四節気の処暑。「陽気とどまりて、初めて退きやまんとすれば也(暦便覧)」ということで、概略「暑さが止む」時節と理解できる。萩の花が咲き、朝夕は心地よい涼風が吹く頃でもあるらしいが、残念ながらまだまだとても蒸し暑い。ただし萩はボチボチと目に付くかもしれない。

★妻死後の空のふかさを処暑として    能村登四郎
★北上の渡頭(ととう)に立てば秋の声  山口青邨

 1句目、喪失感。解説は野暮と思ったので、略。
 2句目、北上川の渡しのことだと思う。小さな渡し舟のための木製の乗り場にでも立っているのであろうか。秋の雲が流れている光景がすぐに浮かぶ。風だけではなく、景そのものから「声」を感じとっている。この声は自己の将来から、あるいは自己の過去からのものか。空を行く雲とはちがって内なる声を聴いているように感じた。全国的にも川に渡しがあったのはもうだいぶ以前のことになっている。私も実は川の渡しを利用した経験がない。半分死語なのかもしれない。


医療の地域連携といいながら‥

2022年08月25日 19時48分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日はけいゆう病院にてヒアルロン酸注射の5回目。1セット終了かと思っていたら、そのような考えはないとのこと。引き続き2週間間隔で続けてみよう、といわれた。経過は良好なので、もう数回注射して様子をみながら、間隔を広げてみたいともいわれた。
 これまで近所の整形外科では、4~5回を単位として2セットくらいでリハビリに回されていたけれども、そういうことはしないようだ。私としては経過が良好なので、続けたい、と返答をした。
 またこれまでかかっていた整形外科で、5か月を経過した場合継続の治療は出来ない、という判断については、そんなことはないはず、と否定していた。これもまたびっくり。
 なお、病院でも注射後は翌日の朝まで入浴・シャワー禁止。しかし本日は帰宅後すっかりそのことを忘れて、シャワーを浴びてしまった。慌てて、注射の跡の絆創膏をはがし、消毒薬を塗布した。これで何事もなければよいのだが‥。

 いろいろとこの9か月あまり、膝の痛みで悩んだが、医師の判断や処置の仕方が微妙にちがう。国民健康保険の取扱いでもちがっていた。
 多くの人が、近くのかかりつけ医よりも大きな病院、ことに公立の病院に頼りがちなのがわかるような気がする。
 優れたかかりつけ医も多いはずであるし、総合病院との連携に意欲的な医師もいるが、僧ではない医師もまた散見、というよりもたくさんいる。悲しいかな、優れたかかりつけ医を見つける能力が患者に問われている。
 しかし、「地域の医師会や医療機関と連携し地域医療ネットワークを整備し、できるだけ当院とかかりつけ医療機関との業務分担を行い、地域の患者さんが安心して継続的医療を受けられるようサービスの向上を図る」とはいいながら、なかなか理想には近づかないものである。
 私から言わせると、かかりつけ医には「私の病院の検査設備、判断ではわからないところがある。総合病院を紹介する」と早めに行ってもらえれば、ありがたいのである。無理に判断を先延ばししたり、他の医院を紹介することが「沽券にかかわる」と思ってほしくない。
 検査機器が充実した総合病院でも、もう少し踏み込んだ具体的な治療や処置方法をかかりつけ医に示してもらいたい、と思うこともある。
 素人判断は危険であることは承知をしているつもりであるが、患者の立場からすると、もう少し何とかならないものであろうか。
 一国一城の主としてプライドもあると思われるが、かえってそのようなかかりつけ医に対する啓発が私には必要に思われる。


感染の高止まり

2022年08月25日 11時58分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 感染の高止まりが止まらない。第7波の収束が見えない状況が続く。ワクチンの接種状況は、少しずつではあるが進んでいる。
 首相官邸の発表では、接種完了者は8月23日時点で
第1回目が、1億400万人余で、対象者の82.2%、8月中は1日当たり  6,839人。
第2回目が、1億260万人余で、対象者の81.0%、8月中は1日当たり  5,561人。
第3回目が、 8130万人余で、対象者の64.1%、8月中は1日当たり 59,461人。
第4回目が、 2290万人余で、割合は未発表、   8月中は1日当たり488,310人。
となっている。
 第1回目、第2回目も少しずつではあるが毎日6000名ほどが接種している。3回目もこのままの増加が続けば、年度内には80%を超え、第1回目、第2回目の水準に到達すると思われる。
 4回目は対象者が基礎疾患のある方や、60歳以上限定なので、一概に比較は出来ない。しかし年内には対象者のほとんどが接種完了の伸びである。

 予防効果は次第に薄れるということも言われており、新たなワクチンの接種も予定されているという。
 しかし空気感染・飛沫感染と言われる感染症である以上、行動制限のない予防は果たして効果があるのか。ワクチン接種とマスクだけが対策というのは特効薬がない中で、あまりにお粗末ではないのだろうか。
 お盆休みで旅行先の罹患して現地の医療機関のひっ迫におおいに寄与してしまったり、逆のパターンの旅行者も多数いる。ここで止められなかったうえに、夏休みの終わる学校にも対策が示されていない。
 以前のように新学期を少し遅らせたり、その分の家庭への支援策などいくらでもやるべきことはあると思うのだが、政府からの問題提起、政策の模索は何も示されない。あまりに無策であると思う。

 特効薬がない状況で、感染を押しとどめる策に完全な施策はない。完全な対応策がないからと言って無策であっては困る。現時点で出来る努力や試行、努力はしてもらいたいものである。それが多少の抵抗や軋みが生じても「国民の生命」を守る役割ではないのか。


雨と蝉の声

2022年08月24日 12時34分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 朝、テレビをつけると天気予報が少し変更になっていた。雨の降り始めが正午だったものが、18時以降に変わった。湿度も70%台に下がった。最高気温の予報も33℃に上がった。朝から陽射しがまぶしい。
 正午以降気温は下り気味で、15時に30℃を下回る予報である。これは歓迎したい。

 団地では昼間は蝉の声に占領されている。ツクツクホウシが聞こえない。いつものようにミンミンゼミの声の占有率が圧倒的に高い。
 ところが正午になると同時に、雨がパラついた。すぐに止んだものの道路が濡れた。不思議なことに雨が降り始めると同時にミンミンゼミが鳴きやみ、ツクツクホウシの声が聞こえ始めた。雨が止んでからは、ヒグラシが多く聞こえる。雨や湿度の変化と蝉の声の相関関係があるのか、私にはわからない。

 昼食後に出かけるための準備は完了。


マウスパッド

2022年08月23日 23時51分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先日マウスパッドを交換した。以前のものが、手首の当たるところの表面がボロボロになり剥げてしまった。下の素材がむき出しになっただけでなく、表面の素材が擦り切れ、黒い滓状になって周囲が汚れてしまう。床に散ったものはへばりついて、掃除機でも吸いこまない。

 新しく購入したのは従来のものよりも少し大きめにした。ところがこれまでのものよりも表面が滑りやすいことに気がついた。マウスの移動速度を遅く設定したり、マウスを握る圧力を弱くしたり、といろいろ工夫をしてようやく手になじんできた。手になじむまで1週間ほどもかかった。

 かくの如く、パソコンの周辺というのは、かなりアナログなものである。人が使いやすく周囲を整えるには、アナログなところがないと、人には馴染まないものである。


高湿度の不快

2022年08月23日 23時21分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日はこれにて就寝準備。通院の付き添いから帰宅してから、シャワーを浴びた。しかし夕食前の酎ハイと夕食ののち、汗をかいて体がべとべとしている。湿度が高い。
 ブラームスの交響曲第4番を3度ほど聴いて、かなり満足、というか充実した時間を過ごした気分である。

 すでにパソコンルームのクーラーは限界で、冷たい風が出てこなくなった。パソコンの電源を落とす時間になったということなのであろう。

 明日の午前中は読書の再開としたい。

 


秋の虫の音

2022年08月23日 22時36分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 無為の日といいながら、ブラームスの4番をじっくりと聴いている。
 しかし明日の天気予報を見ると少々がっかり。15時以降に雨となるようだ。午後は会議。17時には終了すると思われるが、雨のマークは日付が代わるころまで続いている。傘はどうしても必要と思われる。杖を突いて、傘をさして、滑りやすくなっているタイル舗装の箇所を歩きたくはないのが、本音である。まあ致し方ない。
 救いは降水量が1ミリ程度の雨であること。ポツリポツリということであれば助かる。

 昨日の夜も秋の虫の声が聞こえた。夕方秋の虫の声を検索してみたが、どの虫にも当てはまらないようで、判別できなかった。
 鳥の声もあまりわからないが、秋の虫はさらにわからない。子どもが小さいころスズムシを飼ったことがあり、その声はわかるのだが‥。そういえば、自分が子どもときも夏休みの宿題で、秋の虫の声を聞き分ける、というのがあったのを思い出したが、個別の鳴き声についてはまったく記憶がない。小学校の5年、6年から中学の3年までは虫の音がよく聞こえる郊外に住んでいたのだが、まったく関心がなかった。

 


無為の日

2022年08月23日 20時33分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 13時過ぎにバスで横浜駅まで出向いて、銀行で通帳記入、有隣堂の文房具売り場、百円ショップを一巡して再びバスにて帰宅。その後に16時に親の通院の付き添い。
 本日の横浜の最高気温は32.2℃。ところがこの最高気温を記録した時刻が16時。ちょうど親の通院時間であった。少しでも涼しい時間に通院したほうがいいだろうと夕方に予約をしたのだが、その時間に最高気温になるとは思いもしなかった。

 パソコンルームのクーラーは外気温が32℃を超えると、あまり役に立たなくなる。

 本日はほとんど何もせず。好きなブラームスの交響曲第4番を聞きながら休養日としゃれてみた。無為の日も悪くない。


明日は再び30℃超え

2022年08月22日 23時29分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日は気温が30℃を再び超える予報。湿度も高いらしい。明日は親の通院の付き添いである。昼間の暑い時間帯を避けて夕方に予約をした。
 今晩の日付の変わるころから明日の明け方にかけて、湿度が90を超えるらしい。確かに現在、室内が蒸し暑くなっている。

 明日もまた頼まれ仕事の続き。明後日は退職者会の役員会、雨が降る予報である。翌日はけいゆう病院。土曜日は講演会。いづれも午後。

 先週退職者会ニュースの原稿が確定したばかり。在宅ワークと外に出て体を動かす仕事が一週間ごとにやってくる。重なってしまうよりは助かる。


秋の気配と共にいつもの喫茶店へ

2022年08月22日 21時42分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 横浜駅そばのオフィス街にある喫茶店に出向いた。33℃を超えるような気温の高い時や雨の降っているときは、バスを降りたところから杖突き歩行では7分ほどもかかるので、この夏の間はバス停からもっと近い別の喫茶店にしていた。
 この喫茶店まで来ると、昼時と15時過ぎを外すと人は少ない。夏の間利用していた喫茶店は、駅から近いこともあり、いつも混雑している。
 秋を感じるようになったので、この喫茶店にまた厄介になることにした。安いことが売りの喫茶店ではあるが、ガラス戸で囲まれていてとても明るく、意外と落ち着ける。
 いつものように、「犬の記憶 終章」(森山大道)の「青山」を読み終え、「武川村」を少々。その後はメールチェックなどをしてから、家電量販店でノートパソコン、プリンターやカメラ売り場で最新奇襲の情報を眺めていた。購入はしないが、情報は頭にインプットしておきたい。

 杖を突いていると歩行はずいぶん楽にはなっている。急な坂、階段はまだ難しい。バスの条項も手摺りを握る。長い階段は避けている。

 帰宅後は頼まれ仕事をこなしている。一応切りの良いところまではこなしたい。
 


秋の気配

2022年08月22日 12時51分14秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨日の最高気温はようやく30℃を下回り、29.6℃。本日も30℃に届かないという予報。少しホッとした。それでも蒸し暑いことには変わりない。
 昼間の蝉の合唱の中に、ツクツクホウシの声が混じり始めた。昨晩は深夜に、か細い秋の虫の音が聞こえてきた。何という虫なのかわからずじまいであったが、湯船の中で聞いていた。

 ようやく秋の気配を感じた。

★法師蝉啼く日となりて妻は亡し     臼田亞浪
★法師蝉煮炊といふも二人きり      富安風生
★なきやみてなほ天を占む法師蝉     山口誓子

 第2句、我が家も二人の暮らしになってもう20数年。60歳の定年まではそのような感慨は意識しなかった。膝痛であまり外に出られなかった今年、殊更このような感慨が身に沁みるようになった。法師蝉という季語が全体をしっとりと包んでいて好感が持てる。上五と中七の切れが柔らかである。
 第3句は法師蝉の鳴き声の別の側面。他の蝉よりも耳につくしつこさもある。鳴きやんで静かになる情景はすでに多数。鳴きやんでも自己主張が耳に残ってしまう。頭の中で響き続けている。自己主張の強い人間、あるいは僧の顔を思い出してしまう。


「犬の記憶 終章」 その4

2022年08月21日 20時23分43秒 | 読書

   

 昨日「横須賀」、本日「逗子」を読んだ。横須賀は森山大道が東松照明の影響下で都市風景を撮ろうとした最初の実践の街ということになる。1965年という年である。

「米軍基地前に拡がる繁華な一帯が、ぼくの撮影のテリトリーであった。‥あの基地の街特有のケバケバしい原色の町並み風景と、そこをうろつき屯する人間たちの、どこかいかがわしくうさんくさいありようは、むしろぼくに、細胞がザワザワとざわめくような、ドキドキワクワクとときめくような不思議な感覚をもたらせてくれた。まだ街に進駐軍の兵隊たちがいた昭和二十年代という時代の光景や匂いをしっかり覚えているぼくにとって、目のあたりに見る横須賀の街路には、むしろどこかときめく懐かしさを覚えてしまうのだった。横須賀をスナップするぼくに、東松さんにある政治的な視点や時代への批判性はなくて、もしかりにあったとしても、それは意識下にひそむものが生理的直感のかたちをとって、つと指先に伝わってくる類いのものであったはずだ。ベトナム戦争の戦時下であったから、横須賀というよりもヨコスカは、活気を呈した街の様相のすぐとなりに、それとなく殺気をたたえた気配がいつもただよっていた。ドブ板通りに蝟集する第七艦隊の海兵たちの表情にも、フランクさとワイルドさ、デカダンスとナーバスさが常に表裏一体といった幹事でただよっていて、全体的には極めてデスペレートな印象だった。」(横須賀)

「東松さんの写真への追走からことが始まり、次に狙いを定めた「カメラ毎日」と山岸章二さんとの幸せな邂逅は、その後のぼくの写真を決定的に方向づけてくれた。いわばぼくは自身の鉱脈を、ことまずコツンと掘り当てたことになった。‥まだベトナム戦争の真っ只中で、街中がザラリとひと荒れして、良くも悪くも人間の輪郭がくっきりときわ立ち、哀しくも滑稽だった横須賀の街からだったのだ。」(横須賀)

 引用が長くなったが、この二つの部分に森山大道の都市を見る目、都市の風景に感応する視点がある。私が都市風景や身の回りに感応するのとは大きな違いがある。しかしいつも森山大道の切り撮る都市風景には懐かしさと、そして慣れ親しんでいるという既視感が伴って私の眼に飛び込んでくる。
 こんな風景は「美」ではない、と感じつつ惹かれるのである。ある意味では都市のグロテスクな、場末の、ひょっとしたら一般的な都市景観からは唾棄すべきかもしれない一面を、「それを否定したり、捨ててしまっては生きている都市ではなくなるよ」とばかりに突きつけられ、そしてそれが懐かしく私の目に飛び込んでくる。
 この風景がなくなったら、それは人間の営みのもっとも根っこの部分が消えてしまうのだと納得させられる。都市が都市でなくなる重大な側面を下から見上げるように写し撮っていると感心する。
 今では消えかかっている場末のいかがわしいチラシ、命令口調のアジテーションのポスター、ヤクザに追われるホステスの群れなどなど、否定されるべきとはいいつつ、そこに渦巻く生き抜くために剝き出しになっているたくましいエネルギーが私を飲み込む。
 私がどこかで忘れようとしている何かを感じとることができる。

「中平拓馬の日常の視覚に映ったさまざまな断片が、長焦点レンズで何の作為もけれん味もなく切り撮られてある。‥かつて中平は、ある興味によって写された一枚の写真のそのすぐ横の写されなかった場所に、じつは何かとんでもなく恐ろしいものが転がっているのではないか、というようなことをぼくに語ったことがあった。中平の、現在の日常の司会には、そんな事物ばかりが映り見えているのではないか。中平は、彼を包む日常の中で、相変わらず突(と)ンがった一本の意志そのものとなって、もはやイメージではなく他ならぬ中平拓馬の尖鋭化した言葉そのものを写し歩いているはずだ。‥彼の直接性は現在もなお確固として屹立しつづけているのだ。」(逗子)

 ここでもまた私をたじろがせる言葉がある。「何の作為もない作品」とはどうしても私にはわからないのだが、だが、惹かれるものがある。政治的な理念であれ、構図へのこだわりであれ、モノクロやカラーのグラデーションへのこだわりであれ、芸術作品はそれを提出した者の作為からは逃れられないはずである。それをいとも簡単に無視して作品論が提示される。そしてその後ろにはすぐに「日常の中に‥一本の意志」を認める。
 この不思議な提示のあり方がまた、粗削りに私の脆弱な思考をおおいに揺さぶって慌てさせる。この揺さぶりが面白くて、この書物を読み続けている、といっても過言ではない。


本日も眼を酷使

2022年08月21日 14時04分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 朝起きると眼は何とか持ち直していた。そのまま昨日に続いて無償の頼まれ仕事を開始。2時間ほどで再び眼の焦点が合わなくなり、目薬をさし、昼食休憩などをとりながら一応の本日の予定の9割をこなすことが出来た。肩も凝った。夜にまた若干の続き。
 眼の酷使はよくない、とわかってい入るが、止められない。

 パソコン作業で眼がくたびれたので読書はつらいかもしれないが、一応「犬の記憶 終章を持って喫茶店まで出かけてみる予定。眼を瞑って飲むコーヒー1杯がいいのかもしれない。