種子島、増田の戸畑地区に人工衛星追跡管制所があります。
この付近は一面が平坦面ですが、飛行場の跡なのです。
その片隅に、レンガ造りのレトロな煙突が建っています。
飛行場は、太平洋戦争中の1942年8月に着工され、2本の滑走路のうち1本が
完成したそうです。
空襲や終戦後の撤去により、施設の大部分は破壊されましたが、唯一この煙突
だけが残っています。
用途は兵士の食事を作った台所の跡か、風呂場の跡ではないかということです。
60年以上、台風でも倒れずによく残っているものです。
歴史を感じさせる煙突です。
この付近は一面が平坦面ですが、飛行場の跡なのです。
その片隅に、レンガ造りのレトロな煙突が建っています。
飛行場は、太平洋戦争中の1942年8月に着工され、2本の滑走路のうち1本が
完成したそうです。
空襲や終戦後の撤去により、施設の大部分は破壊されましたが、唯一この煙突
だけが残っています。
用途は兵士の食事を作った台所の跡か、風呂場の跡ではないかということです。
60年以上、台風でも倒れずによく残っているものです。
歴史を感じさせる煙突です。