2回目は、川内河口大橋と右岸の史跡を訪ねます。
下流左岸から見た川内河口大橋。
橋長631.2mで、鹿児島県で3番目に長い橋です。
左岸の橋下から見たもの。
上流左岸から見たもの。
橋を渡って右岸へ行きました。これは、橋の中央から見た河口。
右岸に、川内火力発電所があります。
写真には写っていませんが、左岸に川内原子力発電所があり、この付近はエネルギー基地となっています。
橋の中央から上流を望む。
橋を渡ると、右側に船間島古墳があります。
この山全体が古墳ではなく、山頂付近にあります。
山頂。
古墳は、直径17m、高さ2mの円墳です。
建物の内部。
石室。
1枚の蓋石で覆われています。
築造年代や、誰の墓なのかはわからないそうです。
河口右岸の京泊地区に、京泊天主堂跡があります。
ここから、山道を180m登ったところです。
山頂の京泊天主堂跡。
1606年、宣教師フランシスコ・デ・モラシスが、甑島からここに移って天主堂を建築し、宣教の基礎を築きました。
1609年、薩摩藩から撤去を命じられ、教会の歴史を閉じました。
十字に、「1606-1609 京泊教会跡 ロザリオの丘」と書かれています。
フランシスコ・ザビエルも、鹿児島から平戸へ向かうとき、ここの港から出航したという伝承があるそうです。
次回は、変わった形の長崎堤防を紹介します。
留守をするので、コメント欄閉じています。
下流左岸から見た川内河口大橋。
橋長631.2mで、鹿児島県で3番目に長い橋です。
左岸の橋下から見たもの。
上流左岸から見たもの。
橋を渡って右岸へ行きました。これは、橋の中央から見た河口。
右岸に、川内火力発電所があります。
写真には写っていませんが、左岸に川内原子力発電所があり、この付近はエネルギー基地となっています。
橋の中央から上流を望む。
橋を渡ると、右側に船間島古墳があります。
この山全体が古墳ではなく、山頂付近にあります。
山頂。
古墳は、直径17m、高さ2mの円墳です。
建物の内部。
石室。
1枚の蓋石で覆われています。
築造年代や、誰の墓なのかはわからないそうです。
河口右岸の京泊地区に、京泊天主堂跡があります。
ここから、山道を180m登ったところです。
山頂の京泊天主堂跡。
1606年、宣教師フランシスコ・デ・モラシスが、甑島からここに移って天主堂を建築し、宣教の基礎を築きました。
1609年、薩摩藩から撤去を命じられ、教会の歴史を閉じました。
十字に、「1606-1609 京泊教会跡 ロザリオの丘」と書かれています。
フランシスコ・ザビエルも、鹿児島から平戸へ向かうとき、ここの港から出航したという伝承があるそうです。
次回は、変わった形の長崎堤防を紹介します。
留守をするので、コメント欄閉じています。