1月16日の朝日新聞に、「親子で歌いつごう 日本の歌100選」が選定されたという記事があり、歌が紹介されていました。
その中に、「我は海の子」もあるのですが、鹿児島市祇園之洲の海岸にその歌碑があるのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/13/2fc3af1ea46484a34670f504caa586b0.jpg)
1番の歌詞
我は海の子白浪の
さわぐいそべの松原に
煙たなびくとまやこそ
我がなつかしき住家なれ
ご存知の文部省唱歌ですね。
鹿児島市に我は海の子の歌碑?と思って案内板を見ると、次のことが書いてあります。
作詞者の宮原晃一郎は、明治15年鹿児島市加治屋町に薩摩藩士の子として誕生した。
10歳の時父の転勤で北海道に移住したが、小樽新聞社の記者であった明治41年、幼い日毎日のように通った錦江湾の天保山海岸をしのんで作詞した「海の子」が、文部省新体詩懸賞募集に応募して佳作入選した。
明治43年に音楽の教科書に「我は海の子」と題し採用された。
2番の歌詞に
千里寄せくる海の気を
吸ひてわらべとなりにけり
とあることから、私は広大な太平洋に臨む海をイメージしていました。
天保山海岸は波おだやかで、すぐ目の前には桜島があり、「白浪のさわぐいそべ」とか「千里寄せくる海の気」といったイメージはありませんので、少し意外な気がしました。
また、この歌碑をどうして天保山の松林に建てずに、祇園之洲に建てたのでしょうか。
その中に、「我は海の子」もあるのですが、鹿児島市祇園之洲の海岸にその歌碑があるのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/13/2fc3af1ea46484a34670f504caa586b0.jpg)
1番の歌詞
我は海の子白浪の
さわぐいそべの松原に
煙たなびくとまやこそ
我がなつかしき住家なれ
ご存知の文部省唱歌ですね。
鹿児島市に我は海の子の歌碑?と思って案内板を見ると、次のことが書いてあります。
作詞者の宮原晃一郎は、明治15年鹿児島市加治屋町に薩摩藩士の子として誕生した。
10歳の時父の転勤で北海道に移住したが、小樽新聞社の記者であった明治41年、幼い日毎日のように通った錦江湾の天保山海岸をしのんで作詞した「海の子」が、文部省新体詩懸賞募集に応募して佳作入選した。
明治43年に音楽の教科書に「我は海の子」と題し採用された。
2番の歌詞に
千里寄せくる海の気を
吸ひてわらべとなりにけり
とあることから、私は広大な太平洋に臨む海をイメージしていました。
天保山海岸は波おだやかで、すぐ目の前には桜島があり、「白浪のさわぐいそべ」とか「千里寄せくる海の気」といったイメージはありませんので、少し意外な気がしました。
また、この歌碑をどうして天保山の松林に建てずに、祇園之洲に建てたのでしょうか。
私もこの歌碑写真に撮って去年ブログに載せました♪
ここにあるって知らなくて偶然見つけたんですけど
「なんでこんなところにひっそりと・・・?!」
って思いましたよ~。
ここから見える桜島は相変わらず雄大でしたけど♪
錦江湾の海をイメージして作詞したとは意外でした。
種子島の東海岸あたりがぴったりなんですけどね。
ところで、「ザ・解体」面白かったです。
早く家が建つといいですね。