前回紹介した南九州市川辺町高田の高田摩崖仏から、南へ少し行ったところに高田石切場があります。
道路脇に高田石切場の案内板があるので、これを奥へ行きます。
突然、垂直の岩壁が現れました。高田石切場です。
前の写真の右を見たもの。文化文政(1804~1830年)頃から昭和にかけて切り出された石切場です。
洞窟状に切り出されたところもあります。
ここの石は高田石と言い、溶結凝灰岩です。
軟らかくて加工しやすい反面、風雨にさらされると硬くなる性質があり、墓石などに用いられてきました。
前傾して切られたところもあります。どうして、このような複雑な形に切り出されたのでしょうか。
数字が彫られた岩壁もあります。
石塔がありました。
隣の石切場です。
向かって左。
向かって右。屏風のようです。
ここにも、洞窟状に切り出されたところがあります。
まるで 羊羹でも切ったように 自在に切ってありますね。
これなら 磨崖仏も掘りやすそうにみえる・・
でも硬い石ですよね。
>文化文政(1804~1830年)頃から昭和にかけて
どんな道具を使ったんでしょうね。
石塔は・・・・ 殉職した人の為かな?
こんばんは。
本当に、こんなにきれいに切れるものだと感心します。
様々な道具を使ったんでしょうね。
特に、最初の現場は、洞窟状、階段状、斜めと、複雑に掘削しています。
上からまっすぐ掘削してくるほうが楽だと思うのですが…
この石は、石橋に使われる石と同じです。
鹿児島に多い石です。
事故で死亡した人もいたかもしれませんね。
江戸時代終盤のころのものですね。
この頃は体力勝負だったでしょうね。
歴史を感じます~
こんばんは。
2番目の現場が、江戸時代に掘削した現場じゃないかと思います。
それにしても、垂直にきれいに掘削したものだと思います。