かつてオオクボ氏が私の利用している東急目蒲線について歌っていた。
(♪) ぼくの名前は目蒲線
さみしい電車だ目蒲線
あっても無くてもどうでもいい目蒲線
だけどプライドはあるんだよ
田園調布を走ってる~
けど 田園調布の人はみんな東横線を使う
東急から~見放~され
今時クーラーも付いてな~い
夏は暑くてサウナ~風呂
そのくせ冬は冷~蔵~庫♭あっても無くてもどうでもいい目蒲線♪
そんな歌に歌われた1923年開業の目黒と蒲田を結ぶ目蒲線も2000年には名前を変えて東京目黒線になって進化をしている。
目蒲線時代の2階部分の駅舎は、現在では地下2階になった。またこの6月には、日吉まで延伸される。
私の利用してる駅もショッピングセンターを併設した駅舎に今変わろうとしている。25時まで営業している東急ストアー、マッサージ店、イタリアンレストラン、フィットネスクラブ等多彩だ。
便利になるにつれて、どこにでもあるような店舗が駅前に集中することによってどこの駅にいるのかわからないことがある。駅前の、その場所にしかない店舗が次々に消えてきているというのは、どのまちにも共通事項ではないだろうか?
東急目黒線西小山駅周辺も事情は同じだ。マクドナルド、オリジン弁当、松屋と24時間営業の店は毎年増殖している。
私のようにこの町で生まれ育ったわけではない人間にとっては、この町にあるとても珍しい店舗に目がいく。いろいろな種類の卵だけを販売するまるや(残念ながら数年前に弊店)や味噌だけを販売する店、夕方の数時間しか営業しない不思議な化粧品店、(そこには何故か電報の看板が掛けられたまま)など多彩だ。看板の古さはかつてのある時期の栄華をもしめしている。
その町にしかないという店は、実は探せばどのまちにも点在している。私たちが求めているのは、その町にしかいない店主の個性が光る店舗なのかもしれない。
では、店主の個性が光る店とはどんな店であろう?大量生産できないような品物を販売し、マニュアルでは対応できないような対応を店主がとるようなそんな店のような気がする。
便利になることは良いことではあるが、比例して失うものもあることを痛感してしまう。