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ミゼットハウス

2008-04-30 23:17:44 | Weblog
 先日まで『学校裏サイト』に関しての書籍を読み漁り、「ネットいじめ」の実態を調べてみた。何らかの理由で紹介された個人のサイトに大量に押しかけるユーザー集団が「ネットイナゴ」と呼ばれることは今まで知らなかった。この一語だけでも勉強になった。
 さて、話題について徹底的に掘りつめていくのが本道であろうが直ぐに他のことに興味を移してしまうのは私の欠点である。
 今、興味を抱いているのはカルチュラル・スタディーズだ。ここ数日、『戦後日本の大衆文化史』鶴見俊輔、『カルチュラル・スタディーズ』ジャウディン・サルダー他、『大衆文化事典』、『戦後日本の大衆文化』などの本を読みあさっている。
 そこで今回、このブログで紹介するのは『戦後日本の大衆文化』で取り上げられていたミゼットハウスである。それは、1959年に大和ハウス工業から発売された組み立て住宅である。その特徴として、1)建築申請が要らない、2)3時間で完成、3)価格11万8千円があげられる。(当時の初任給が一万円程度であるから、それなりの価格である。)
 実は私の実家の庭先にもミゼットハウスが建てられていた。完全な貧しい庶民であった我が家は、一戸建て住宅ではあるが4畳半、8畳、そして3畳の畳を襖で木区切って住んでいた。3畳では食事。4畳半にはタンスが置かれ、テレビを見るのも一家が川の字になって寝るのも8畳間であった。
 そんなプライベートな空間、ましてや子ども部屋等存在しない我が家に、私の小学校入学を期に購入されたのがまさにミゼットハウスであった。
 入口のドアにはこだわりがあり、鍵つき、そしてドアノブ付のドアが設置されていた。そこに入るときには、自分の部屋に入るような感覚であった。
 勉強部屋という名目であり机もそこに送り込まれていたのだが、まったく勉強をした記憶は残っていない。それよりも夜の利用では、暗い中、一旦外に出てからそのミゼットハウスに行かねばならない恐怖こそ最も印象が深い。日中の利用では、友達たちとの遊び場所になっていたことは言うまでもないことである。当時、派手な方向指示器、ウインカー付きのかっいい変速機のついた自転車もそこの室内に大事に保管されたいた。
 自宅の増築に伴い子供部屋も増築。子供部屋は母屋へと吸収されたので必然的にミゼットも解体された。
 実はミゼットハウスという名前をこの本にであうまで知らなかった。単なるプレハブの勉強部屋」であると思っていた。しかし、戦後直ぐに生まれたベビーブーム世代の学齢期の要求に応えるように登場したハウス、老人の寿命が延びることで、そこを利用できなくなった子供たちとの関係は、まさにその時代に学齢期を過ごした私にとっては、当時の光景を思い出しながらあっという間に読めた本でもあった。
 たぶん、学齢期に使用したあのミゼットハウスの感覚は現在の鬼怒川の家に引き継がれている気がする。私にとってはそこは自分の城であり、隠れ家でもあり、そして基地でもある。
コメント
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