見田宗介の「まなざしの地獄」を先日読んだ。
2008年11月初版印刷だが、
実際には、
1973年の雑誌『展望』に掲載されたものだ。
それが一冊の本として世の中に再販された。
現代とはだいぶ社会状況も異なっている。
しかしながら、
私にとっては二箇所ほど印象に残った箇所があるので書き留めておきたい。
まず、1967年の中卒者のうち、過半数の52%までが三年以内に転職。
その内の半分近くは、一年以内に転職していたというデータだ。
そのデータから1~2年前のニュースを思い出してしまった。
それは、最近の大学生の半数は就職しても3年以内で転職している、
というニュースだ。
当時はいかにも、最近の若者の状況であるかのように報道された。
そして最近の若者の忍耐力が無くなったかのようにも報道されていた。
しかし、この本にあるように約40年前も
転職が当たりまえのように行なわれていたことも
併記してニュース解説してくれていたら、
その状況を読み取る読者や視聴者の感じ方も変わるのではないか?
正規労働者が辞める風潮を作り出すような
何らかの意図を持って報道していたかもしれないとの疑いも持ってしまった。
次に、
近代市民社会の論理は、まずしい村々や家族を解体し、
これらの共同体をして、みずからの死者を選ばせる。
「悪いのはあの親たちだ。」
「悪いのはあの息子たちだ。」
「悪いのはあおの近隣の人たちだ。」
以上の表現だ。
死者として選ばれるのは、自分以外のだれかだ。
現在でも責任転嫁することは当たり前のように行なわれている。
特に会社等においても問題にされることも無く当たり前のように
行なわれているのではないだろうか?
教育現場を例にとれば、
教師集団からみた場合には
悪者は生徒であったり、
保護者であったりすることで教師集団が保身することは十分に考えうることである。
さらに政治家の場合も同様にわかりやすい。
昨日G7の記者会見で、ろれつ回らず辞任した中川大臣も同様だ。
風薬や睡眠薬といった薬品に責任転嫁しての辞任だったが、
最も適切な表現は外国メディアの表現「サケプロブレム」である。
* 待つこと
一般大衆、庶民は待つことが多いのではないかと強く感じている。
個人的には待つことには耐えられない人間であるが・・。
保育園に子供を入園させたくても、待機児童が多くて待たねばならない。
庶民の食べ物、特に人気のラーメン店には長い待ちの列が出来ている。
だから、私は人気のラーメンを食したことがない。
大学が少なくて、受験した世代の人々は浪人して入学許可を待たねばならなかった。
老人になって介護申請をすると認定されるまで一ヶ月半以上は待つという。
反してお金持ちは待つ必要がない。
殆ど全てのことがお金で解決できるからである。
日本における高級と大衆の違いは、
「待つことの有無」とも言えるかもしれない。
2008年11月初版印刷だが、
実際には、
1973年の雑誌『展望』に掲載されたものだ。
それが一冊の本として世の中に再販された。
現代とはだいぶ社会状況も異なっている。
しかしながら、
私にとっては二箇所ほど印象に残った箇所があるので書き留めておきたい。
まず、1967年の中卒者のうち、過半数の52%までが三年以内に転職。
その内の半分近くは、一年以内に転職していたというデータだ。
そのデータから1~2年前のニュースを思い出してしまった。
それは、最近の大学生の半数は就職しても3年以内で転職している、
というニュースだ。
当時はいかにも、最近の若者の状況であるかのように報道された。
そして最近の若者の忍耐力が無くなったかのようにも報道されていた。
しかし、この本にあるように約40年前も
転職が当たりまえのように行なわれていたことも
併記してニュース解説してくれていたら、
その状況を読み取る読者や視聴者の感じ方も変わるのではないか?
正規労働者が辞める風潮を作り出すような
何らかの意図を持って報道していたかもしれないとの疑いも持ってしまった。
次に、
近代市民社会の論理は、まずしい村々や家族を解体し、
これらの共同体をして、みずからの死者を選ばせる。
「悪いのはあの親たちだ。」
「悪いのはあの息子たちだ。」
「悪いのはあおの近隣の人たちだ。」
以上の表現だ。
死者として選ばれるのは、自分以外のだれかだ。
現在でも責任転嫁することは当たり前のように行なわれている。
特に会社等においても問題にされることも無く当たり前のように
行なわれているのではないだろうか?
教育現場を例にとれば、
教師集団からみた場合には
悪者は生徒であったり、
保護者であったりすることで教師集団が保身することは十分に考えうることである。
さらに政治家の場合も同様にわかりやすい。
昨日G7の記者会見で、ろれつ回らず辞任した中川大臣も同様だ。
風薬や睡眠薬といった薬品に責任転嫁しての辞任だったが、
最も適切な表現は外国メディアの表現「サケプロブレム」である。
* 待つこと
一般大衆、庶民は待つことが多いのではないかと強く感じている。
個人的には待つことには耐えられない人間であるが・・。
保育園に子供を入園させたくても、待機児童が多くて待たねばならない。
庶民の食べ物、特に人気のラーメン店には長い待ちの列が出来ている。
だから、私は人気のラーメンを食したことがない。
大学が少なくて、受験した世代の人々は浪人して入学許可を待たねばならなかった。
老人になって介護申請をすると認定されるまで一ヶ月半以上は待つという。
反してお金持ちは待つ必要がない。
殆ど全てのことがお金で解決できるからである。
日本における高級と大衆の違いは、
「待つことの有無」とも言えるかもしれない。