ゴールデンウイークが終わろうとしている。
暦どおりの休日なので、
連休に入ったとたんに連休後半という感じだった。
このブログでも何回か紹介している介護病院にも何日か通った。
そこで新たに感じたことは時間がすごくゆっくりと進んでいるという感覚だ。
部外者の私が感じるのだから、
入院中の患者たちの時間についての感覚はなおさらだと思う。
夕食は6時からなのに・・。
一日のうちでの数少ない刺激、
そして
楽しみを心待ちにしている患者たちが一時間前から徐々に食堂に集まりだす。
そこで交わされる会話も毎日同じような、
いや同じ会話が繰り返されてしまうのも当然のことだろう。
渋谷、恵比寿といった繁華街からもそれ程遠くない場所にある病院であるが、
その周辺は緑でいっぱいだ。
いや、冷静に病室から外を見ると
大規模なゴミ焼却場と病院を隔てているのが公園なのだ。
ゴミ焼却場も大病院も一般に暮らす住民にとっては、
必要ではあるが近くにありすぎると迷惑なのかもしれない。
ゴミ焼却場からのダイオキシンも心配であるし、
深夜問わないで大病院に向かう大音量の救急車のサイレンもまた雑音なのだろう。
そんな都会の中にある自然に囲まれて建つ病院。
それは病院であるので、目で見る風景以外には自然を感じることはできない。
春らしさも、心地よい春の風や日差しを肌で感じることは出来ない。
外出できるくらいなら入院していないのだから・・・。
ずっとその場所にいる。
だからこそ、
時間がゆっくりと止まっているように感じられてしまうのかもしれない。
病院の窓からぼんやり外を眺める私には、
道を急ぎ足で行く人々が別種の生き物のように見えた。
ジョギング用の服を着込んだ若者が走り去っていく。
・・然れども我、神の御恵みにてのみあり・・
・・同じ人生の行進ではあるが、
私はちがうドラマーのちがうリズムにあわせて進んで ー
あるいは転がって - いくのだ。
『ボディ・サイレント』ロバート・F・マーフィーより
このような状況では、隔絶感や孤独感が生じるのも無理の無い話しかもしれない。
*結膜下出血してしまったようです。
白目の半分が真っ赤です。どうしましょう?
暦どおりの休日なので、
連休に入ったとたんに連休後半という感じだった。
このブログでも何回か紹介している介護病院にも何日か通った。
そこで新たに感じたことは時間がすごくゆっくりと進んでいるという感覚だ。
部外者の私が感じるのだから、
入院中の患者たちの時間についての感覚はなおさらだと思う。
夕食は6時からなのに・・。
一日のうちでの数少ない刺激、
そして
楽しみを心待ちにしている患者たちが一時間前から徐々に食堂に集まりだす。
そこで交わされる会話も毎日同じような、
いや同じ会話が繰り返されてしまうのも当然のことだろう。
渋谷、恵比寿といった繁華街からもそれ程遠くない場所にある病院であるが、
その周辺は緑でいっぱいだ。
いや、冷静に病室から外を見ると
大規模なゴミ焼却場と病院を隔てているのが公園なのだ。
ゴミ焼却場も大病院も一般に暮らす住民にとっては、
必要ではあるが近くにありすぎると迷惑なのかもしれない。
ゴミ焼却場からのダイオキシンも心配であるし、
深夜問わないで大病院に向かう大音量の救急車のサイレンもまた雑音なのだろう。
そんな都会の中にある自然に囲まれて建つ病院。
それは病院であるので、目で見る風景以外には自然を感じることはできない。
春らしさも、心地よい春の風や日差しを肌で感じることは出来ない。
外出できるくらいなら入院していないのだから・・・。
ずっとその場所にいる。
だからこそ、
時間がゆっくりと止まっているように感じられてしまうのかもしれない。
病院の窓からぼんやり外を眺める私には、
道を急ぎ足で行く人々が別種の生き物のように見えた。
ジョギング用の服を着込んだ若者が走り去っていく。
・・然れども我、神の御恵みにてのみあり・・
・・同じ人生の行進ではあるが、
私はちがうドラマーのちがうリズムにあわせて進んで ー
あるいは転がって - いくのだ。
『ボディ・サイレント』ロバート・F・マーフィーより
このような状況では、隔絶感や孤独感が生じるのも無理の無い話しかもしれない。
*結膜下出血してしまったようです。
白目の半分が真っ赤です。どうしましょう?