高校を卒業してから30年。
節目を口実に、同窓会を行うという連絡が「こまっちゃん」より入った。
12月30日実施。
年も迫った日時設定は、
生まれ故郷を捨てた我々が参加しやすいような日時設定だ。
幹事の「コマッチャン」には感謝の言葉もない。
「コマッチャン」とは同じ保育園、同じ小学校、同じ中学校、そして同じ高校出身。
本名が小松だけに、彼の高校時代のあだ名は「ブル」。
コマツのブルドーザーからとったものだ。
小学生の頃は、ともに地域のスポーツ少年団に入りソフトボールをしていた。
運動神経の鈍い私は、
ヒットを打ったにも関わらず三塁ベースに直接駆け込むほどの野球音痴。
中学以降は、二人ともなぜか剣道部に入部。
理由は定かではないが
友だちが入部したから自分も入ったのかもしれない。
あるいは赤胴鈴の介というTVマンガの影響で剣道を始めたのかもしれない。
いずれにしても
私の子供時代からのダメさを最も知り尽くしている人物である。
私もいっぷうかわった教師であると言われているが、
彼も私以上にかわった教師であるに違いない。
大学卒業後、「コマッチャン」は銀行員として地元で働いていた。
働きながら、大学の通信教育で学び小学校の教員免許を取得。
小学校の現場で働き始めた頃は、
お札を数える「札勘(さつかん)」の得意な教員としてデビューした話は鮮明だった。
コマッチャン以外にも、
「フテツ」、「ジー」、「ショウネン」等、
あだ名で呼び合っていた当時の仲間と会う日が今から楽しみである。
在学中、そして今に至るまで級友の仲が良いのは
清商時代の担任の先生の影響大だ。
クラスの全員が大学進学。
学卒後に東京に留まった私はクラスメートが
どんな仕事についているのかわからないが、
私が知っているだけで教員となった者が4名も、5名もいるのは
担任の「マチダ」先生の影響かもしれない。
「マチダ」先生は、とにかくユニークだった。
お酒を飲みすぎ、手が震えると持ったチョークを振るわせながら
「おかしいな?」「おかしいな?」とぶつぶつ小言で言いながら
「今日は自習にしよう」と私たちにすまなそうに照れながら言っていた。
顔中、傷だらけで教室に現われ私たちを驚かせた「マチダ先生」。
その理由が飲みすぎて自転車に乗って帰宅途中に顔から転倒。
「ころんじまった」と顔を赤らげていた。
高校1年の時に"chemical"の意味がわからなかった私。
「イハラケミカル、知ってるラー」
と先生に言われたあの時の記憶とその単語はいまだに鮮明だ。
そんな「マチダ」先生は箱根駅伝に出場している。
早稲田大学時代には競走部に所属していたそうだ。
でも彼は早稲田出身であることも
箱根を走ったことも自慢しなかった。
箱根について我々から質問をされても
先で待っている奴がいるから、
「しょうがないじゃん」
「しかたんなく走っていた」と静岡弁で答えていた。
まさに「好い加減」な先生だった。
きっと同窓会では、マチダさんの話でも盛り上がることは間違いない。
節目を口実に、同窓会を行うという連絡が「こまっちゃん」より入った。
12月30日実施。
年も迫った日時設定は、
生まれ故郷を捨てた我々が参加しやすいような日時設定だ。
幹事の「コマッチャン」には感謝の言葉もない。
「コマッチャン」とは同じ保育園、同じ小学校、同じ中学校、そして同じ高校出身。
本名が小松だけに、彼の高校時代のあだ名は「ブル」。
コマツのブルドーザーからとったものだ。
小学生の頃は、ともに地域のスポーツ少年団に入りソフトボールをしていた。
運動神経の鈍い私は、
ヒットを打ったにも関わらず三塁ベースに直接駆け込むほどの野球音痴。
中学以降は、二人ともなぜか剣道部に入部。
理由は定かではないが
友だちが入部したから自分も入ったのかもしれない。
あるいは赤胴鈴の介というTVマンガの影響で剣道を始めたのかもしれない。
いずれにしても
私の子供時代からのダメさを最も知り尽くしている人物である。
私もいっぷうかわった教師であると言われているが、
彼も私以上にかわった教師であるに違いない。
大学卒業後、「コマッチャン」は銀行員として地元で働いていた。
働きながら、大学の通信教育で学び小学校の教員免許を取得。
小学校の現場で働き始めた頃は、
お札を数える「札勘(さつかん)」の得意な教員としてデビューした話は鮮明だった。
コマッチャン以外にも、
「フテツ」、「ジー」、「ショウネン」等、
あだ名で呼び合っていた当時の仲間と会う日が今から楽しみである。
在学中、そして今に至るまで級友の仲が良いのは
清商時代の担任の先生の影響大だ。
クラスの全員が大学進学。
学卒後に東京に留まった私はクラスメートが
どんな仕事についているのかわからないが、
私が知っているだけで教員となった者が4名も、5名もいるのは
担任の「マチダ」先生の影響かもしれない。
「マチダ」先生は、とにかくユニークだった。
お酒を飲みすぎ、手が震えると持ったチョークを振るわせながら
「おかしいな?」「おかしいな?」とぶつぶつ小言で言いながら
「今日は自習にしよう」と私たちにすまなそうに照れながら言っていた。
顔中、傷だらけで教室に現われ私たちを驚かせた「マチダ先生」。
その理由が飲みすぎて自転車に乗って帰宅途中に顔から転倒。
「ころんじまった」と顔を赤らげていた。
高校1年の時に"chemical"の意味がわからなかった私。
「イハラケミカル、知ってるラー」
と先生に言われたあの時の記憶とその単語はいまだに鮮明だ。
そんな「マチダ」先生は箱根駅伝に出場している。
早稲田大学時代には競走部に所属していたそうだ。
でも彼は早稲田出身であることも
箱根を走ったことも自慢しなかった。
箱根について我々から質問をされても
先で待っている奴がいるから、
「しょうがないじゃん」
「しかたんなく走っていた」と静岡弁で答えていた。
まさに「好い加減」な先生だった。
きっと同窓会では、マチダさんの話でも盛り上がることは間違いない。