10代の生徒にとって式典といったら入学式、始業式、終業式、そして卒業式だろう。
その後に迎えるのが、成人式だろうか。
一般的には20代は結婚式、そして当然のことながら年齢を重ねると葬式への参列回数が増していく。
「式」とは行事や儀式のことである。
祝儀、不祝儀の両方に利用されている語である。
「式」に該当する英語は「セレモニー(ceremony)」。
現代の日本では、カタカナ語としてのセレモニーは不祝儀に限定された意味として利用される場合が多いと思われる。
それはネットでセレモニー検索すれば、それは一目瞭然である。
今回この話題を書いている理由は、
先週、身近にいる生徒が突然なくなったからだ。
私は学校の責任者として亡くなった当日から、
通夜、そして告別式とセレモニー会館に通いつめた。
朝、亡くなったという訃報の連絡を受けたのは私だった。
彼女はバドミントン部と軽音楽部の2つのクラブに所属していた。
欠席もなく毎日登校していた彼女だった。
亡くなる前日まで授業を受けていた彼女。
教卓の前列に座り、授業をしっかりと受けている彼女でもあった。
病気療養中でもなかったので、
連絡を受けた際には本当にビックリしてしまった。
その時には死亡原因が明確でなかったので交通事故であろうか?
または自殺であろうかと様々な憶測をしてしまった。
当日自宅に訪問し、直接、保護者と2時間ほどお話をさせて頂いた。
死亡原因は心臓麻痺(突然死)。
夕食はおでんを食べたそうだ。
9時代のテレビ番組を観ながらあんな人が彼氏だったらイヤだと母親と歓談したそうだ。
その後、入浴。
あまりにも、入浴時間が長いので母親が風呂場に行ってみると浴槽内で彼女は亡くなっていたそうだ。
自宅での死亡であった為に第一発見者の母親は6時間も警察署で取調べをうけたそうだ。
数日後に遊びに行くためにディズニーランドのチケットが枕元に置かれていた。
それは如何に突然の終わりがやってきたことを表わしていた。
人生は本当に突然の終わりがやってくることを改めて感じた出来事でもあった。
無宗教の形式の葬儀に初めて参列させていただいた。
お坊様の読経はなく、故人に対してのメッセージが親、友人、担任から読まれていた。
高校生の死ということもあり、送付されてきた故人宛のメールが代読されてもいた。
メールの代読は、今風だな~と関心したりもした。
初めての無宗教の葬儀もなかなか良いと感じることが多かったのだが、
せっかくのお別れ会での代読者(業者)が読み間違えを何度もしていたのは気にかかった。
さらに、式典中に式進行についての打ち合わせをしている姿も気にかかってもしまった。
気にかかり始めると、葬儀業者として裏方としての身のこなし、所作の全てが気になってしまった。
葬儀業界はまだまだ人材が不足しているのかもしれないが人材教育をしっかりしてほしいとも思ってしまったことも付け加えておきたい。
仕事をしながら葬儀に関してのNPOでも立ち上げようかな~。