先週降った雪が嘘のように今日は雲ひとつない晴天だ。
身内の葬儀から一ヶ月が過ぎ、いよいよ今週末には納骨だ。
葬儀の裏方としての仕事もこれで一段落。
やれやれだ。
私自身、少々疲れ気味なのも、
セレモニーを通じて少しでも心に残ることを企画・提案したからかもしれない。
その中の一つが下に示した会葬御礼文だ。
ありきたりの定型文でなく、オリジナル。
会葬者一人一人とお話は出来ないが、その方々に向けた心からのお礼文。
結果として下記の文章の賛否は分かれてしまった。
↑今まで見たことのない斬新な会葬お礼文
↑故人の人柄が伝わってくる
↓筆者の自己満足陥っている
↓文章が尻切れだ
新たなことを試みると何事においてもご批判を受けてしまうことを再確認したしだいである。
マイナスのコメントをお聞きすると少々疲れてしまうというのもホンネである・・。
私が書いた文章ではないが、下にその会葬御礼文をご紹介して本日のまとめとしたい。
―――――――――――――――――――――――――――――
桜の花がとても好きでした。
建て替える前の旧家の角に、
故人の両親が植えた桜の木がありました。
太く大きくなり、毎年、三月末にはいっぱいの花びらを咲き誇らせ、
区の保存樹にも指定して頂いた桜です。
この桜を母はこよなく愛しておりました。
桜はパッと咲き、あっという間に散る潔さが身上ですが、
母は穏やかで争いごとを好まず、常に控えめであったと覚えております。
大正十二年の関東大震災の五ヶ月前に生まれ、
先の大戦の砲火をもくぐり抜け、
この地、○○・▽▽の地に移り住んで、八十有余年、
地元の皆様、近隣の皆様、
そして晩年は△クラブの職員の皆様にも支えられ、
天寿を全うできたと感謝申し上げます。
母から学んだことは三つあります。
先ず、利己よりも他者への思いやりが最も大切であると言うことです。
二つめは、心の広さを持つためには知力に勝るものはないと言うこと、
生涯勉強すること、研究することです。
最後は、正しさを追い続けること、真面目であること、誠実であること、
その為に、最後尾を行こうが、先頭を歩もうが、
たとえ一人になっても挫けない勇気を持てるように努力することです。
三つのことを直接言われたり、諭されたりしたことは全くありません。
どちらかといえば、その逆の地味でか細い人生だったのかもしれません。
母○○は、平成二十三年一月六日、数え△△歳にて
静かな眠りにつきました。
生前 賜りました皆々様のご厚情に深く感謝申し上げます。
本日のお会葬誠に有り難う御座いました。
略儀ながら書状にて厚く御礼申し上げます。