まずは、中尊寺金色堂(岩手県)に向かいました。
小雪舞う冬の東北道。
橋は凍結していて視界も悪い状況なかでの運転。
おっかなびっくりしながらも何とか現地に到着。
現地は氷点下の寒さ。
しかしながら世界遺産見学目当てか?
多くの観光客が来ていました。
約8ヶ月ぶりの現地訪問。
中尊寺宝物館は以前よりも訪問者に優しくなったように感じました。
なぜなら金色堂の説明紹介動画上映やイヤホンガイドが導入されたからです。
ここによってから本堂を見ればよかったと思ってしまいました。
そこから約1時間半ほど車を走らせ
「南三陸」(宮城県)に向かいました。
8ヶ月前に見た志津川病院、警察署、役場、そして住宅地の基礎部分も。
コンクリート建造物の殆ど全てが解体され
町中にコンクリート瓦礫の山が築かれていました。
町を見渡してもなにも無い平地。
土地が陥没しているために海面や川面が平地に非常に近くに感じられました。
そんな寂しげな平地には骨組みだけが残された防災庁舎や
被災者の想いが切り抜かれた切子細工
が元あった商店跡地に海に向かって立てられていたことが印象に残りました。
五メートル程度の盛り土が今後必要なそうです。
そこは公園や商店は立ち並ぶ場所として再生して行く計画もあるそうですが
復興していくには何年もかかるに違いありません。
宿泊ホテルは「南三陸ホテル観洋」。
この場所も8ヶ月前の研修旅行でお世話になったホテルです。
プライベートで行ったのにこの場では少し仕事モードに切り替えて
私のことを覚えていた?女将さんと副支配人に挨拶をして
昨年実施の旅行のお礼をお伝えしました。
翌日はホテルが実施している語り部ツアーに参加。
女将、副支配人、観光協会からご紹介いただいたNPO語り部、ホテル従業員の語り部・・。
今までに語り部五名の方々からお話を伺っているが
どの方の話も実体験の語りなので心に響きました。
「語り」こそ、今後も必要だと再確認した次第です。
その後、東松島の野蒜(のびる)に向かいました。
ここは震災当時メディアも取り上げられることが多かった地域です。
貨物車が横倒しになった町であり、
避難所の野蒜小体育館(平屋建て)に逃げた為に多くの犠牲者が出た地域でもあります。
校舎の3階に逃げていればという意見もあるようですが・・。
市から規定された避難所体育館に集まるのは当然ですし
当日、あのような大津波がくる事も想定外であった事を考えると簡単には真偽は決められません。
現地は、まだ震災の傷跡が痛々しく残っていました。
所どころに、倒壊寸前の家が点在していました。
墓石もまだ倒れた状態のまま・・。
現場を見るとわかるのですが、
太平洋の海原と定川に挟まれた平地です。
最近、ここは再建計画が決まったそうです。
土地は6割での買い上げ。
今後、広大な敷地にソーラー発電板を設置するそうです。
その後、松島に迎い円通院で顔見知りとなった初老のガイドさんと立ち話。
松島の瑞巌寺へ立ち寄りたかったのですがその時点で既に15時40分。
閉門が15時30分なので見学は残念ながら出来ずに退散。
今まで全く縁の無い東北の町ですが、
震災で結ばれた縁を感じる町でもあります。
何かの折に今後とも訪問をしていくつもりです。
*写真は日経新聞から転載