欧米人の「みやげ」に関する考え方は、
旅行の記念グッズとして自分のために購入する非食料品。
対して、日本人の「おみやげ」は異なっています。
それは旅行記念としてご近所や親類縁者へ配るために購入するモノであることに
その違いが見られます。
確かに、国内の空港、鉄道駅、観光地には日本特有の菓子「みやげ」が置かれています。「晋ちゃんまんじゅう」に「スカイツリー関連菓子」等
他人に配るためのお茶菓子になるような食べ物が多いことに気づきます。
間違いなく日持ちのするようなクッキーや、煎餅や、羊羹(ようかん)などなど。
「おみやげ」として他者に分けやすいように小分けされ個別包装がなされた菓子類が「みやげ」の中心商品です。
しかも、それらはどこに行って来たかが分かりやすいように
「○○に行ってきました」と商品名に行き先が含まれるものや、
「東京ばな奈」などと商品に地名が入っているものが人気の商品のようです。
このように「みやげ」についてブログを書いているのも
鈴木勇一郎『みやげと鉄道』講談社を最近読んだからです。
日本と欧米の「みやげ」に関しての違いについては、
日本のガイドブックには、「みやげ」についての情報も提供されているのに
英語の旅行ガイドブック『ロンリープラネット』には「みやげ」情報は殆ど見当たらないことも書かれていました。
さて、本の中には私の田舎の静岡みやげ「安部川餅」についての記述もありました。
かつては東海道安部川の休み処で食す為に出されていた「安部川餅」。
鉄道の進展により「みやげ」として、
それを持ち帰りたいという要望に応える形で
餅が求肥(ぎゅうひ)に変更されたそうです。
つまり時間が経過しても固くならないというわけです。
その他、地方を代表する有名な「みやげ」食品についても書かれていましたので、
いくつかを抜粋してご紹介しましょう。
・「八ツ橋」は日清・日露戦争で慰問品として戦地に送られた。
・「生八ツ橋」の売上げ増は新幹線開業により生ものを持ち帰りやすくなったこと が原因。
・「萩の月」は昭和54年東亜国内航空の仙台—福岡便の機内食に採用されたことが急速な拡充に繋がった。
・ 昭和40年以降に高額だったバナナの価格が急激に下がり、気軽に食べれるようになった。その理由はフィリピンのミンダナオ島で日本市場向けの専用農場が開発されたから。
「みやげ」は鉄道・軍隊・博覧会などの近代国家を支える装置と深い関係がある事が事例を通じて理解できました。