先日、成人式が行われました。
私立中学出身者は、地元の公立中学出身者たちが集う成人式後の地域の友人たちとの集いに参加しづらいという声もあるようです。
私が勤務する学校でも成人式に学校を開放して、20歳の卒業生たちが集い簡便なるパーティーを行っています。
そのようなパーティーは振袖姿を友人や元担任にも見せたいという女子の強い希望によるもののようです。
さて、私にはとても不思議に思うことがあります。
それは、「成人」になるということは義務も課されますが権利を手に入れること。
「拘束」からの解放されることだと思います。
にもかかわらず、振袖を着ることによって身体拘束を行っています。
廣澤榮『黒髪と化粧の昭和史』(岩波書店)にはこのような記述があります。
「和服というものが象徴する古めかしい家とか保守性とか、その窮屈さから、洋服のもつ軽やかな開放感、またはモダンで斬新なムードに惹かれたのであろう」
加えて、村上信彦『服装の歴史』には
「キモノというひとつの型をすてるだけでなく、キモノを生みだし維持してきた女の生活の封建性―従順さ、しおらしさ、忍従、あきらめ、弱さの魅力、その他一切の女らしさーの本質をおかすおそれがあるからである。」
上記から考えても成人式の着物着用は、大人としての旅立ちや男女平等を基本とした解放とは真逆に思えてしまうのです。
渡辺潤先生から頂いた(正確には研究室にあった書籍)『黒髪と化粧の昭和史』には、その他にも興味深い記述がありました。
・東京目黒の「ドレスメーカー女学院」(現在の杉野服飾大)は登校時には「きもの」ではなく、お手製の「洋服」着用を義務づけたところ(昭和2年(1927))
数人ずつ組んで円タクで学校へ乗りつける者
洋服姿では恥ずかしくて街を歩けないから車でやってきた生徒がいたそうです。
時代が違う恥ずかしいという意識も違うことが明らかに提示されていました。
さらに1927年9月の毎日新聞の記事に
跡見学園の女学生が断髪していたために退学になったという記載でした。
その理由も「西洋かぶれ」。
生まれてから一度も髪を切ったことがないという女生徒が数年前にいましたが、それとは全く逆です。
時代が違うと判断基準や常識がことなることを再確認したしだいです。