仕事を通じてお世話になっている斎藤先生が『生かされて生きる』を出版されました。
書籍は東日本大震災時に石巻西高校の校長であった斎藤先生の当時の活動記録や、震災後語り継ぎ等で構成されています。
斎藤先生との出会いは、私の勤務校が東日本大震災被災地訪問旅行を開始した翌年まで遡ります。
J社から震災についての講演の適任者として紹介されたのが斎藤先生でした。
一般的に校長というと、うまく立ち回って出世した先生というイメージがありますが・・。
私にとって斎藤先生は、そのようなイメージは全くありません。
すごく強烈な個性の持ち主です。
本校での初対面時に、開口一番。
「ぼくは、J〇〇などの旅行業者が嫌いだ!」と旅行代理店の営業マンに言い放ちました。
さらに、会議終了後に校内を案内させていただきますと私が提案したところ、「会議が目的なので見学は結構です」とバッサリ断るなど怖い先生というのが私の第一印象でした。
しかし、会を重ねる毎に斎藤先生の印象は変わりました。
先生の実直さや真面目さ、自分の寿命の尽きる日を知っているかのような日々のバイタリティー溢れる過ごし方。
この書には、
・「大川小学校で殉職したひとりの教師は、私の大切な教え子」
・「本校の体育館が遺体の安置所・検視所になる」
・「最大で700人近くの遺体が安置された」
・「食堂に向かう通路の右手が安置所で左手が食堂」
この書には書かれていませんが、震災後に簡単に自らの命を絶つ若者が多いことも聞いたことがあります。
生と死の境界が希薄になるゆえの行為と先生は言っていました。
「自分だけが生き残っていいのだろうか」という感情が、こころを追い詰めていく(サバイバーズ・ギルド)感覚も生き残った人々の心に発生するそうです。
斎藤先生の教育観は以下の通りです。
「生徒を育てるのは生徒である」
「教師を育てるのも生徒である」
「学校をつくるのは生徒である」
教育の力とは、生徒を幸せにする力。
幸せはこころの中にある。
自分が必要とされていると思えたとき、決して一人ではないと感じとき、誰かとつながり共感できたときに、幸福感が込み上げてくる。
校長でありながら、一時避難場所であり遺体安置所の陣頭指揮をとられた先生。
校長退職後は、仙台大教授をされ、現在は東北大特任教授。
しかし、この本の著者紹介にはそれらの大学教員としての肩書の記載はされていません。
それは、斎藤先生の元石巻西高校校長としての「書」であることが主張されているようでもあります。
斎藤先生が指揮をとった石巻西の生徒が震災から立ち直り、皆が団結したことも、うなずけるのです。
ぜひご一読を。