「病と死」、「異文化コミュニケーション」、「ステレオタイプ」の各章を私も分担執筆している渡辺潤監修『コミュニケーション・スタディーズ』2010年が今年も増刷されるそうです。
昨年1200冊増刷したにも関わらずに、今年度も増刷が決定。
すでに8刷?9刷?
書籍が売れない時代ですから、専門書としてはまさに異例の発行部数です。
誠に喜ばしいことです。
まだ、読まれていない方はぜひとも一読してみて下さい。
さて、2018年度が終わります。
私は日々の忙しさの急流に流されているようであり、気がつけばはや3月です。
月日の過ぎるのは本当に早いものだと感じる今日この頃です。
学校の年度末は、飛行機で言えば着陸態勢に入っているのですが・・。
なかなかその体制に入れません。
その理由の一つが、生徒指導問題。
詳細は書けませんが、年間を通じてSNS問題で苦しめられています。
該当者(問題生徒)に確認すると「そんなつもりは無かった」と言い訳をいうのです。
投稿者がだれか分かるような苗字と生年月日を混ぜたハンドルネームにている投稿者。
書き込まれる内容は投稿者が所属している狭い世界の住人ならば、
誰もが分かるような内容での罵詈雑言。
その書き込みも誰もが見ることができるようなオープンな書き込み。
他者への侮辱、みんなに呼びかける扇動行動など、パターンは決まっています。
そこでのやり取りは、信ぴょう性にかける情報を鵜のみにしたデマに満ちたものです。
問題行動ではありますが、
「承認欲求」について興味も感じている私。
今回の問題投稿でも「おれってすごい」との表記が所々に見られました。
問題生徒との面談をしてみると、色白でメガネをかけている「か弱そうな生徒」。
このような問題を起こす生徒は自己肯定感や自尊感情がどうも低いようです。
成績は下降気味であり、クラブ活動にも所属していないような生徒。
学校に居場所がないのかもしれません。
親からも教員からも、友人からも凄いと言われない生徒。
どちらかと言えば、級友らもバカにされたり、茶化されたりするような生徒です。
ネット上で、自分自身が自分に向かって「すごい」自分というのは悲しすぎです。
老人施設でのボランティア、子ども園でのお手伝いなど、弱者に対して支援することで「すごい」「ありがたい」と言われることの必要性を感じてしまいます。
親は日々の生活で忙しくて、そのような子どもへの提案はできません。
学校が、学校以外で光場所を提案する機会を設けなければならないのかもしれません。