80年代初頭はディスコ全盛の時代だった。
ミュージックとダンスというよりも
大音量の音楽にあわせて、
私は体を蛸の様にクニャクニャと自己流の踊りをしていた。
よく友人に誘われて、新宿のディスコで夜通し踊ってもいた。
また、会計学ゼミの打ち上げでは、指導教官の発案で
社会勉強を兼ねて六本木のディスコに行ったことも記憶している。
当時、時代はサタデイナイトフィーバー。
ディスコで踊ることよりも、
ナンパ目的で新宿のディスコに行っていたのかもしれない。
そのようなことを思い出したのも
宮入恭平・佐藤生実『ライブシーンよ、どこへいく』青弓社
を2度読みしたからかもしれない。
以下にディスコに関した部分を抜きがいてみたい。
「ディスコ新参者をもたらしたディスコ・フィーバーによって肥大化したディスコシーンでは、大衆化がうながされ、必然的にダンスの重要性が希薄になった。」p.67
「ダンス・テクニックによる他者との差異化や、ディスコに特有のステップダンスはみられなくなり、そのかわりに、だれでも簡単に踊ることができるラインダンスが流行した。ダンスフロアに横一列に並んで同じステップを踏む日本独自のダンスは、欧米とは異なり、個性よりも協調を好む日本人の性格になじんだのだ。」
「日本独自のダンスのなかで最も顕著なものは、お立ち台に上がる女たちのダンスだ。・・ダンスフロアのオーディエンスと自分たちとの差異化を図ったのだ。しかし、均一化した身体をうながすという皮肉な結末を招いた差異化は、当時ブームになっていたシャネルやグッチなどの高級ブランドを身に着ける行為にも共通するものだ。差異化が均一化をもたらすという女たちのダンス・・・。」p.68
私には、差異化が均一化をもたらすという言葉が強く印象に残った。
本文の差異化とは直接関係しないが、・・。
高校教諭である私は、授業の準備をする際に教科書指導書を利用している。
指導上のポイントが事細かく書かれていて、
ある程度の授業内容を均一に指導することができる便利な品だ。
指導書に対しての反抗心や、
同じ教科書で同じ学年を担当している他の教師に対しての対抗心もあり、
私は単元ごとにオリジナルプリントを作成して差異化を試みている。
他クラスも同様のプリントを作成して、生徒の理解を容易にする工夫をしている。
結果としてお互いのオリジナルプリントを見比べてみると、
似通った内容から構成されていることに気付く。
時間の無駄だったのか?
それとも差異化に成功したのか日々悩む私である。
生徒のサブバックには自分の物を示す為のアクセサリーを一つだけ付けることが校則で許可されている。
同じバックなので、クラス内の他人のバックを間違って持ち帰ってしまうことが年に何回も発生していることに対する対策なのだ。
差異化をするためのワンポイントのアクセサリーだったはずが、
ディズニーキャラクターや派手な色の流行のリボンが付けられてもいる。
また、女子生徒は友人の証として同じようなアクセサリーを付けることもあるようだ。
差異化を図ったはずが、同一化している事実。
身近に感じる「差異化と同一化」である。
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