ドラゴンボールの魅力:人の死が物語を駆動する

2016-09-28 12:50:13 | 本関係

 

ここ最近、ドラゴンボール(以下DB)の大型復刻版がコンビニで売られているのを立ち読みし、改めてその引き込む力に圧倒されている。タイムリーにジャンプでも読んでいただけでなく、アニメでも見て展開の大枠は覚えているにもかかわらず、だ。実際、雄琴から奈良・和歌山を旅した時には、(温泉で力を使い果たし)途中休憩のため寄ったブックオフで桃白白との初戦闘からラディッツ戦の前まで一気に読んでしまったほどだった。

 

そこで改めてそDBの魅力とは何かを考えてみた時、唯一ではないにしても大きな要素は「人の死を終わりではなく始まりにしたこと」だと思う。もちろん、人の死が復讐などの形で物語の始まりとなるケースはあるが、その場合「死=不在」は決して解消されることがない。また確かに、DB以外でも人を復活させることを目的に物語がスタートするケースがなくはない。しかし(少なくとも私が知る限り)それらは人を生き返らせることが最終目標で、場合によっては最後の最後で復活しないまま物語が終わることさえある(そこでは、むしろその不可能性の自覚をテーマに作品が描かれていると思われる例さえある)。

 

ではDBの新しさ何かと言えば、人の復活が適度にシステム化されていることである。とはいえそれは、RPGのザオリクやアレイズ的なものであったり、あるいは先日取り上げた「ダンジョン飯」のように魔法でパッと生き返るようなインスタントなものとも違う。つまりは、DBを集めないと人を生き返らせることは叶わないのだ。しかも、周知のようにDBは永遠の命からギャルのパンティまで幅広い願い(笑)に応えられるため、それを求めるのは主人公たちだけではない。必然的に、それを求める集団との戦いが生じるわけである。人の死が終わりではなく、人を復活させようとする動きへ比較的容易に結びつきうること。しかもその過程でDBの探索や戦いといったドラマが生まれること。物語の当初こそ、人の復活は神龍への願い(選択肢)の一つでしかなかったが、(記憶が正しければ)ピッコロ大魔王の辺りからDBは専ら人の復活のみに使われるようになっていく。

 

この段階において、DBのシステムがもたらす効果は二つあるように思われる。一つは、「一度であればメインキャラでも殺せる」ということ。もう一つは「復活までにはある程度の差延が生じる」ということである。先に後者について言うと、典型的なのはナッパ・ベジータ戦前に悟空があの世で修行し現世では身に着けられない力を得たこと(で地球外から来た存在にも対抗可能な力を得る)、そしてその間Z戦士たちがピンチに陥っていたことである。(余談だが、サイヤ人が地球を強襲する段階になるとZ戦士に対抗しうるDB集めのライバルは基本的にいなくなっている。しかし、地球のDBが使えなくなったことでナメック星編になると、フリーザ一味・ベジータという自分たちより強い存在とDBの奪い合いをせねばならなくなった。その結果として「強いキャラクター=必ず勝つ」という図式が成立しない、敵をいかに出し抜いていくか、最強の味方の不在をいかに補うかという要素が加わったことがナメック星編に緊張感を与えている。これはレッドリボン軍やピッコロ大魔王のあたりへの原点回帰的なすばらしい演出であると言えるだろう)。

 

そして前者だが、実はこれがDBの物語を大いに広げることに寄与したのは間違いない。というのも、特に連載ものにおいて、メインキャラクターを殺すのは極めて難しいからだ。死ななければ死なないで物語に緊張感が生まれないし、死んだら死んだで物語を制限したり読者離れを生んだりする(前者に関連するものとして、トム=クルーズについてではあるが、映画版「All you need is kill」に関する宇多丸評が興味深い。後者に関しては「銀河英雄伝説」のヤン=ウェンリーの死が典型例の一つだろう)。どこで、どのように殺すのか?そもそも殺さないのか?これはおそらく作者を大いに悩ますところであろうが、あえて物騒な言い方をするなら、DBというシステムにおいてはメインキャラであっても比較的容易に殺すことができる。しかも、RPGの復活魔法とは違ってそう簡単には生き返れない(=しばらくは不在が続く)以上は、読者に適度な衝撃も与えることができるのである。この典型例がタンバリンによるクリリン死亡だろう。天下一武道会で天津飯との熱い決勝戦が終わりカタルシスを得た後、メインキャラが今際の言葉すらなく死ぬ。しかも犯人が誰かはその場ではわからない。この不気味さを醸し出す演出は今度の敵が持つ異質さを演出するのに寄与しているが、そのような所を意識しなくても、熱いバトルは繰り広げるが決して敵を殺すことはない天下一武道会の直後に、悟空に最も近いと言っても過言ではないキャラがあっさり殺される展開は、読者を引き込むのに十二分な演出だったと言えるだろう。 (次回に続く)


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