「昔は良かった」という回想を鵜吞みにせず、過去のデータを実際に見ていくと、公害やら犯罪率やら実態が見えてきて、それが「思い出補正」や「現在への不満・不安により『隣の芝生』になっているだけ」ということに気付く(『「昔はよかった」と言うけれど:戦前のマナー・モラルから考える』なども参照)。
このように一度距離を取って物事を見てみることは大事だが、昨今の週刊誌報道の注目のされ方についても、かつての週刊誌の手口がどのようなものであったかを確認しておくことは、「空気」に流されず冷静な眼で評価するという意味でも、価値があると思われる。
ま、そうは言っても、今では本来メインストリームであるべき大手マスメディアのゴミカスぶりがこれでもかと明るみに出てきてるんで、「こっちのクソよりはマシなクソ」って感じで週刊誌が注目されてる構造をどうにかしないと、ここから週刊誌への期待が雲散霧消したところで、今度は「ネットにこそ真実があるんじゃー!」とか『シニア右翼』なんかでも指摘されているような症状が出てくるだけで、なーんも解決しないんですがね(・∀・)
てなわけで、昨日が昔の恋愛ADVを元にしたレトロスペクティブな話だったので、今日は別の観点でそういう内容にしてみました。
以上。
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