サピエンス生存の偶然性と農業の功罪

2022-11-17 12:15:15 | 歴史系
 
 
 
 
 
 

次の毒書会のテーマがレヴィ=ストロース『野生の思考』を用いた人類学なので、ホモ・サピエンスがホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)などとの生存競争の中でどのように存続してきたのか、あるいは定住農耕の光と闇について扱った動画を紹介しておきたい。

 


ホモ・サピエンス、つまり我々が生き残った「偶然性」を知ると、一部の宗教や社会進化論などで見られる人間を特別視するような勘違い・思い上がりを是正する契機にもなるように思える(例えば『野生の思考』の冒頭でも、ソシュール言語学的な視点に基づきつつ、非先進国の言語に未開性を読み込むような視点を戒めている)。またそのような客体化した思考は、例えば自分が死にたくないという感情や大切な人に死んでほしくないという感情があっても、世界にとっては等価=何ら特別な存在ではない、という理解にもつながるだろう(こういった背景・経緯を知ることである種の水平的思考を獲得するという話は、次の記事でも触れる予定)。

 


次に農業(定着農耕)に関する動画については、以下のようなことが言える。すなわち、今日では社会の根幹になっている状況があまりに自明であるためその問題点を意識しにくくなっており、ましてや農業従事者自体は先進国で減っているため、「農業=自然とともに生きる」ようなノスタルジー・幻想が持たれているようにさえ思える。しかし、少し考えてみれば、これまでの歴史で塩害や大規模焼き畑農業の弊害など農業による環境破壊とその影響は多々見られてきたわけで、あくまで自然を我々の都合のよいように大々的に作り変えることが成立するものに過ぎないのである(これは例えば水害を防ぐために大規模工事で流れを変えられた利根川をそのまま「自然」として理解するのがいささかナイーブなのと似ている)。

 

もちろん、そういった性質を持つ農業がこれだけ世界に広がったのには相応の理由がある。つまり、(フリッツ=ハーバー法のある現代とは程遠いにしても)安定的に食料が確保でき、かつ狩猟採集に比べればその量がコントロール可能なので、大集団を形成するにはより効率的だということだ(ちなみに狩猟採集より農業を選ぶのは、ある種「一山当てるより安定した収入を求める」傾向で考えるとわかりやすいかもしれない)。こういった性質を、(イブン・ハルドゥーンではないが)遊牧社会などとの関係性も見やりながら、歴史的・立体的に理解していこうという理解が重要であろう。

 

なお、動画内容に一つ注文をつけるなら、「農業がなぜ貧富の差を産み出すのか?」という点については少し触れておいた方がよかったと思う。これは灌漑農業がわかりやすいが、大雑把に言えばカナートやダムを造るための大規模工事が必要なので、治水や利水には相当な人手がいる。当然、自分の家族+αの食料を確保したらミッション完了の狩猟採集と違い、そこでは集団化はもちろん、そのコントロールが必要となってきて、その集団に指示出ししたり役割分担を決めるような存在が出てくるわけである(例えば学校の学園祭のようなものでさえ、誰もがフラットに同じ役割をするわけではなく、幹事・副幹事としてグループの役割を決めたり指示を出すことを想起したい)。

 

これだけだと非常に抽象的に聞こえるだろうが、いわゆる夏王朝の伝説において、禹や舜が治水事業に功績があり、それによって統治者と認められたこと、古代エジプトにおけるファラオとナイロメーターetc...という具合に、水のコントロールやそれにまつわる工事が権力と結びついていたことを指摘しておきたい。

 

また、日本の村落共同体における用水路の話に典型だが、その水をどちらが利用するかということは争いの種になるため、土地の境界の設定やルール設定の詳細化・厳格化を促す側面もあり、これがいわゆる文明の起こりにつながっていくということである(まあ中世日本の土地区画や権利保持者は荘園制の特徴もあって極めてカオスであり、それが一元化されるのは近世になってからだが)。

 

ということで今回はここまで。では次の記事でお会いしましょう。さよなら、さよなら、さよなら・・・


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