なぜ「連帯」に魅力も効果も感じられないのか:内ゲバ、「無敵の人」、テロール

2022-11-14 17:20:00 | 生活
昨日は、「仮面ライダーBLACK SUN」の感想と、人間関係につきまとう煩わさを厭うなら、遅かれ早かれ技術の進展に伴い「bot>人間」という発想が多数派になっていくだろう、という二つの記事を書いた。


その二つを橋渡しするなら、BLACK SUNの訴える力に限界を感じる部分として、結局人間関係から切り離された「無敵の人」(ローンウルフ)によるテロールが社会を実質的に動かしてしまっている、という現実がある(安倍晋三暗殺と旧統一教会問題はその典型例である)。


それはおそらく、周囲の「空気」を読んでなかなか出る杭となれない日本人が、周囲と切り離されたことにより歯止めを失い、ルサンチマンを増幅させて過激な行動に出ることで世間の「空気」を変える役割を果たしてしまう、という構造になるからだろう。


これが白日の元にさらされている状況で連帯を訴えても、「いやその先にあるのは作中イヤというほど描かれている内ゲバでしょ?」となるわけで、運動や闘争を最適解にしてないのは明白だが、やはりナイーブな印象を拭うことができないのである。


まあ経済衰退の中で自己責任論が猖獗を極める(言い換えれば「自己責任」という言葉で問題を放置するような)社会においては、これからますます多くの「無敵の人」が出てくるだろうから、せいぜいそのハレーションが少しでもまともな方向に行くことを祈りながら震えて眠れ、ということになるだろう。


それがそういう社会を作り出した「自己責任」というものである。

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