仮面ライダー BLACK SUNの感想:複雑性の時代におけるアンチカタルシス

2022-11-13 11:49:49 | レビュー系

こないだ仮面ライダーBLACK SUNを見るぜよと書いたので、とりあえず完走した感想をば。今回は基本ネタバレ回避方針でいきマウス。

 

まず端的に言うと、
1:わかりやすい勧善懲悪では全くない
2:カタルシスもない
3:つまりわかりやすい答えは提示されない
という特徴が挙げられる。よって、何らかの形で「スッキリする」ことを期待して見ると完全に肩透かしを食らうだろう。まあそもそも、この複雑・多様で混迷が深まっている時代に外側から「これぞ答えだ!」と言われてホイホイ納得するなんて、皮肉を込めて言えば「天皇陛下万歳」から一夜にして「アメリカさんありがとう」に変化するようなナイーブすぎるメンタリティやろという話なんで、こういう結論になるのはある意味当然だなと個人的には感じた(この辺は、「現代版ドラえもん」と言える『タコピーの原罪』が、その熾烈な生活背景の描写で成り立っていたことを想起するのも有益だろう)。

 

またすでに賛否両論あることはレビューからも明らかだが、好き嫌いの分かれる作品であることも間違いない。ただ、「作品の出来が単純に悪いのだ」という評価は当たらないだろう。この作品に対して持った自分が持った肯定的感情であれ否定的感情であれ、それをよく吟味することには価値があると思う。

 

例えばその政治性。そもそも仮面ライダーに政治を持ち込むのはお門違いだ、というような意見があるようだが、個人的嗜好ならともかく、仮面ライダーや特撮を巡る様々な歴史からすると不見識というものだろう。なぜなら、ゴジラ・ウルトラマン・ガンダムといったものには極めて色濃く政治が影を落としていたし、仮面ライダーも原作には政治に関連する描写があり、ディケイドのバトルロワイヤル的展開は何が正しいかが不透明になって生き残りを図らなければならない時代性を反映してもいたからだ(ちなみにゴジラやウルトラマンのようなものがあればこそ、後の「うる星やつら ビューティフルドリーマー」における外界から隔絶された「箱庭的日本」・「終わらない日常」の描写が際立つのである)。

 

これを踏まえると、BLACK SUNの「現実そのまま」過ぎる露骨な描写をどう評価するか(1972年の明らかに連合赤軍を思わせる描写や現代の政治家やヘイトスピーチ)という議論は成り立つが、仮面ライダーと政治を結び付けたことでそれを否定するのは公平な見方とは言い難いだろう(まあこの辺はジョージ・ロメロの映画「ゾンビ」がモール=日常的な場所に押し寄せることに意味があるように、日常と全く切り離されたものを描写したところで毒にも薬にもならん、という認識が白石監督に強くあるのだろう)。

 

その他、「魔法少女まどか☆マギガ」で指摘したある種のマッチポンプ構造のような大きな話の他、ヘブンを食べる食べないで怪人の立ち位置にも細かいスタンスの違いがあることを描くなどは興味深いと感じた(後者については、ダロムという状況に流されるだけに見える存在にもきちんと軸があることを暗示しているのは上手いと思った。まあそうやって努力の上最善手を選択しているつもりで、やっぱり状況に流されているだけかもしれない、という悲哀も感じられるのだが)。その他、「真実を暴けば他人が味方してくれるなんて甘い」とか、「特定の誰かを標的にして叩けば問題が解決するなんて発想はお粗末すぎる」といったメッセージも含まれており、見るべきところは色々ある作品と言えるのではないだろうか。

 

ということで今回は以上。


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