高野秀行『イラク水滸伝』:アウトロー、面子社会、コスモロジー

2024-09-19 17:25:47 | 歴史系

 

 

高野秀行と言えば、清水克行との共著『世界の辺境とハードボイルド室町時代』で紹介したように、世間であまり知られていない場所(ソマリアやゴールデントライアングル)を旅してその社会の有様を描写してきた作家である。

 

そして最新の探検(?)場所がイラク・・・というのもさすがだが、そこに「水滸伝」というワードを接続させるセンスが光っている。

 

しかも『イラク水滸伝』タイトル自体は確かにキャッチーなんだけど、その実態を見ていると、イラクにはティグリス・ユーフラテス川流域に湿地帯が広がっており、そこが天然の要害となってアウトローやアウトサイダーのアジール(というか溜まり場)となっているため、そこに梁山泊的な性質を見出すのはなるほど興味深い。これに類するものとして、佐藤次高『イスラム社会のヤクザ』で紹介されるイランのアイヤールなどを思い出す。彼らもアウトロー的存在なのだが、義侠心で権力者と戦ったり人助けをすることもあれば、一般人から政権とは異なる形で搾取を行ったりもする点で善悪どちらとも言い難い存在だった(だから佐藤はあえて「ヤクザ」という表現を用いたと書いている)。ちなみに彼らはサッファール朝という王朝まで建てるのだが、そのメンバーの名前(通り名)がアブー・フスヤーン(裸オヤジ)とかだったりして、学生の当時読みながら爆笑した記憶があるw

 

閑話休題。この対談でイラクの地域社会での物事の進み方を見ていると、改めてその社会がどういうコスモロジー(世界観)で成り立っているかの理解が極めて重要だと思った。イラクの場合は契約ではなく個人的な信頼関係や面子で成り立つ社会ということになるが(これはもちろん地域差があるだろう)、例えばエジプトにおいてのこんな話を思い出した。すなわち、エジプトはハーラ(街区)と呼ばれる複雑な通りの構造をしているのだが、そこで道に迷ってある男に尋ねた時、向かうべき方向を教えてくれたのだが、それが全く見当違いの内容だったという。その時は何とか最終的に目的地にたどり着けたらしいが、一体どうしてそんなことになったかというと、「行くべき場所への道は知らない」「しかし俺に尋ねてくるということは、俺を頼ってくれているということでそれに応えないのは面子が立たない」「だからたとえ誤っていたとしても、その問いに応える必要がある」という話だったらしい(日本人的な感覚で言うと、成功させねばという雰囲気が醸成された時、無理ゲーやと思っててもつい「できます!」と空気を読んで言ってしまうようなものだろうか)。

 

おそらくこの話を聞いて「理解できなくはないけど納得は難しい」感覚になると思うが、別の文化圏で生活すると、しばしばこういうカルチャーギャップに出くわすものである(イスラーム世界については、その他にサウジアラビア出身でアメリカ生活の長かったムスリムと飲み屋で話していた時に聞いた「タワックル」の話がとても興味深かったのだが、これについてはまた別の機会に触れたい)。そしてこういう経験や知識を積み重ねていくと、今生きている社会のそれが所詮はワンオブゼムに過ぎないという感覚と同時に、一方でその成り立ちや背景からそれなりの合理性に基づいていることもしばしばあることに気付かされるのではないだろうか。

 

ちなみにこういう知見を積み重ねていけば、私がよく批判する「江戸時代への回帰」みたいな発想は眉唾ものどころか愚の骨頂だとも気付くだろう。

 

例えば江戸時代の大部分を占めたムラ社会を考えると、そこは一次産業が中心であっただけでなく、人・物・情報の流動性が低い閉鎖的なコミュニティだった。そして閉鎖的なコミュニティだからこそ、村落の人間はある意味「自己の一部」というか「自己の延長」だったのである(これは用水路=利水の問題や、入会地=村民が共同で使うコモンズなども関連しており、要は自己と他者の間を截然と分けることが難しい構造になっていた)。それは冠婚葬祭、特に以前紹介した野辺送りの様子を見ればわかりやすいが(結婚や葬儀は個人ではなく共同体のもの)、おそらく最も驚くのは借金の取り立てだろう。

 

すなわち、近代以降の契約社会で考えれば、借りた金は当然額面通り返すのが当然であるが、江戸時代の村落においては、取り立てに際して住居などの生活必需品は手元に残すようになっていた。それはつまり、共同体の一部として、その生活までは破壊しないという一種の手心が加えられていたとも言っていいだろう。なお、このような特性は明治=近代契約社会への移行で崩壊に向かっていき、それによる格差の拡大が明治初期に起こった秩父事件の背景ともなったのである(念のため言っておくと、明治に入って突如全てが変わった訳ではもちろんない。例えば一揆について言うと、江戸期のそれは農具しか持たず、「あくまで苛政への異議申し立てで武装蜂起ではない」ことを強調するのが一般的だったが、それも江戸末期には暴力性が表面化するなど、すでに変質が見られていた)。

 

要するに、社会というものは様々な背景によってその性質が生み出されている訳で、ただ経済が停滞しただの内向き志向になったのぐらいで昔に戻ることなどない、という点はいくら強調してもし過ぎることはない(例えばプライバシーの欠如であったり、あるいは法を超えたローカル・ルールなどが、むしろ昨今ほど日本社会で厳しく批判・拒絶されている時代はなかったのではないだろうか)。それを正しく理解していれば、「江戸時代への回帰」などと言っているのは、「ノリ」「雰囲気」のみによる歴史的思考の欠落した妄言でしかないと容易に納得できるものと思われる。

 

・・・とまあこういったことを考える契機になる点で、高野秀行の『イラク水滸伝』もその他の著作も大変刺激的で興味深いものである。量的にはなかなかだが(辞書か!というぐらいには分厚いw)、ぜひ手に取ってみてはいかがだろうか?


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