ある記事を書こうとしてたら、思いのほか時間がかかりそうだったのでインスタントなやつに切り替えますた(゚∀゚)アヒャ「フラグメント」という名前をつけてはいるが、前の記事が2012年のものであるのに対し、こちらはおそ松さんネタなので2016年末の覚書であり、全く連続性はない。確か作った時はこの機会に残飯処理しちまおうという魂胆だったと思うが、まあ今は第二期も始まるっつーことでぶっこんでみました。
一応軽く補足しておくと、<おそ松さん>はその展開が破天荒に見えながらよく計算されたものであることを書いたメモ。<なんだすか>は要するに接客業の立場からすれば風俗嬢が相手の喜ぶことを言うのは戦略的に当然であって、それをリテラルに受け取るのも批判するのも救いがたいほど愚鈍だという話。とはいえこれも、「her」的なAIが発達してきて男女とも生殖行動以外で生身の人間を必要としなくなった時、ほとんど無意味になりますがね。まあ趣味の一パターンとして、生身の女性による性風俗はそう簡単には絶滅しないだろうが、AIが競争相手になると、セックスワークで金を稼ぐことはますます難しくなるだろうなあ(今でさえ、たとえばAV産業へ参入するのは相当大変で、標準的なレベルでは弾かれるか、ほとんど生活の足しにならない程度の小銭を稼いで終わりである。まあ今のように人手不足が賃金上昇にまでつながっていくのか?という状況であれば他の仕事へ就けばいいわけだが、そのような状態は一体いつまで続くんかねえ)。ちなみに<妄想松日和>は「おそ子かわいい!」以上w
<おそ松さん>
第一話のF6をそのままやると女子を引っ掛けようと言う単にあざとい演出に見えるが、「最新のトレンドをパクりまくる」というテイストにすることで乗せられまいとするスノッブたちも入りやすいように工夫されている。
六つ子ではなくトト子で嫉妬の話を出したのはおもしろい。というのも、この六つ子は常に妬みの中で生きているのであって、本来は六つ子と嫉妬のテーマが描かれるべきであるはず。ただそうすると、現実に主に男子のルサンチマンをゴリゴリ抉ることになるので避けられたのだろうか?ただ、問題は「あなたは本当にそうなりたいのか?」ということと、社会的承認の不足であるはずなのだが。
「正しい」終わり方が24話。「何者」的。その人が何者であるかを決めるのは自分ではなく他人である。というのも、もし仮に自分が無人島にいるならば、それで「私は~である」と言ってみたところで何の意味もないからだ(=他者との関係性の中で成立する、ということ)。とはいえ、そこで暗示される就職試験の非合理性であるとか、留学やボランティアがただの「看板」のようにしかなっていない様は、日本においてアイデンティティが結局のところ「会社」といった所属組織であるとしかみなわされないという貧しさとも通底しているように思われる(まあだから終身雇用制が終わって会社共同体の崩壊が進むと地域共同体の崩壊とも相まって浮遊した個人を生み出し、アノミー状態の中で短絡的ナショナリズムに取り込まれていくのだろうが)。
24話はTrue End、25話はGood End。新しいキャラを付与されていない、言い換えれば「前と全く変わらない」長兄おそ松だけが家に残り続けるという役割分担もさすがわかってる[筆者注:この「前と全く変わらない」というのは、作中において変わろうとしないというのはもちろんだが、前の放送の時と良くも悪くも代わり映えしない、ある種のアンカー役のような立ち位置にいることも含めての特徴を言いたかったものと記憶している]。
最終話のありえなさ。もちろんおそ松さんはスラップスティックであり馬鹿げたことが次々と起こっても別段不思議ではないのだが、全キャラ登場の辺りは明らかにそのありえなさを際立たせる効果も狙ってのものだと思われる(正確に言うと、24話が本来の終焉だと思う人にとっては、それが「終わらない日常」を求める者たちへの撒き餌だと容易に看破され、一方25話的なるものが見たい人にとっては今まで別れてきた人たちのreunionすら叶って幸福度絶頂になる、という一挙両得を狙った内容であるように思われる)。
子どもとしても見れる。大人としても見れる。両方を見ることもできる。人によって異なる。そしてどっちにも見れる点が、人気の秘密。
<なんだすか>
はいどーもパンパースです。今頃千葉の棚田にいるのかはたまた雨で引きこもっているのか不明ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?さて、私は最近この「ジェーン・スー 相談は踊る」をずっと聞いているのだが、掲載した回のデリヘルで働いた時に
てゆうか「大雑把が服を着て歩いている」とさえ言われるような俺ですら接客に際してはそういう「擬似特別扱い」はする(=簡単に思いつく)わけで、ましてやある程度の心遣いができる人であればなおさらである。逆に言うと、自分に置き換えて考えてみれば簡単にその戦略性というか振る舞いの必然性は理解できる。しかしなぜか、それを簡単に忘却してしまうんだよなあ。
<妄想松日和>
最近の動画再生が全て「十四松まとめ」で埋め尽くされているカラヤン伯ですがみなさまいかがお過ごしでしょうか?
じょし松さん
おそ子が可愛すぎる。頑張って仕切ろうとしている。
そこを褒めてあげると照れる。それを見てげぼえとなる(妄想松)
おそ松とトド松の合コン練習シーン
ちょっと替れオラ!
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