Forest3:ザッピングの機能不全・意味不明なバッドエンド

2013-06-14 18:28:21 | ゲームよろず

Forest覚書復活第三弾でありんす。前の覚書が似たような雰囲気・表現方法の作品をダラダラ列挙していたのに対し、ある程度話題を絞り込んで作品の方向性について考えようとしている節が見られる・・・が、結局再プレイが序盤で止まってしまったためそのまま放置プレイになったものと思われるw

さて、「バッドエンドは誰の意思?」の項目は、Forestがザッピングの方式を取りながら、結局最後は二人の人間の関係(この辺はあえてボカしておくが)に収斂し、かつそれ以外の他者の存在があまり意味を持たないようなものとなっていることに繋がる。つまり、主要人物が欠ける=即バッドエンドとなる必然性が感じられないということである。この作品の最大の難点は、結局その形式と最後のまとめが全く有機的に繋がっていないところにある。だから、振り回された手間に対するカタルシスはないし、かと言ってザッピング=バラバラであること自体に表現の目的があるわけでもない(たとえば、『ブギーポップは笑わない』が引き起こすような、「私たちは物事に断片的に関わることしかできない」といったある種の疎外感や孤独感のごときものはない)。そういうわけで、結局やれるのは事後的な深読みゲームだけだったりするわけだ。

もう一つ「数十年後も~」という項目は、覚書の内容自体はともかく、最後の「時間経過のためそのまま画像云々」の部分は考察の方向性として重要だろう。前述のようにザッピングというシステムも単なる表現形式以上のものではないから、一つ一つの話の選定や世界観に踏み込んでも物語の構造を考える上ではやはりあまり意味がないと思われる(まあそういうわけで、前回はあれこれ考察を深めるより様々な二次創作=リドル作りでもした方が実りがあるんじゃね?と書いたわけだがwちなみにこれは、「さよならを教えて」という作品において、その世界で出てくる様々ガジェット自体を追求しても大して何も出てくるわけではないのと似ている)。というわけで、「製作者の都合」的なものをかなり考慮に入れながら突き放して見ていった方が考察の上ではよく、そうでなければ、いっそ意図的にそのような「からごころ」を捨てて自らの精神世界と融合した的な何か(自慰識過剰なるもの)をものすのが良いと思う次第である。

 

[原文]

Forest紹介ペェジ

・バッドエンドは誰の意思?
世界が崩壊してしまったり主要キャラ五人が死ぬことによってバッドエンドになるならわかるが、例えば九月と刈谷の二人が死んだだけでバッドエンドになる場合もある。しかも、なぜバッドエンドになるのか理由がよくわからない。とにかく、強制終了のようなカタチで「コンテニュー」するハメになってしまう。また、アマモリXXXに話が進まず終わってしまうことがあり、これもなぜ進まなくなるのかわからない。こういった中途半端なバッドエンドは、総じて「完全な破局を(プレイヤーに?)見せない何者かの意思が介在して強制終了が行われている」という印象を受ける。おそらく先に挙げた例で言えば、九月と刈谷が死んだ時点で(何者かが望む)物語としての破綻が確定し、ゆえに(森の意思で?)強制終了がなされているのではないか、と推測される。この推測が正しいかはわからないが、とにかくバッドエンドの内容からForestの物語に求められている要素(例えば向かうべきゴール)を逆算することも可能なのではないか、という気がする。


・「数十年後」も森は続いている
刈谷と灰流の再会シーンで、画面右上に森の断片が見える。つまり、そこはまだ森の中であり、「リドル」が続いているということなのだろう。このため、「かけら」を集める行為が「リドル」であり、ゆえに集め終わると時間の巻き戻し(?)が起きたのだろうと推測される(時間軸を曖昧にすることは最初からずっと続いている演出だが、それに加えて「ザ・ゲーム」で黛がゴールへ向かってマップを進むたびに未来が見えるという部分も似たような流れと言えるかもしれない)。にしても、この森は誰の意志によって動いているのだろうか?「かけら」を集める「リドル」が森の意思によるものと推測されるだけに気になるところではある(確かにアリスは出てくるが、彼女は単なる「キャラ」のような気がするし。しかも灰流の「リドル」に協力するそぶりも見られない)。また、このシーンにおいて立ち絵が黒塗りなのは最初のシーンを連想させるものとして気になる。もっとも、時間経過のためそのまま画像を使うわけにもいかないので止む無く、という理由かもしれんが(笑)


・メタフィクションの構図
本作では、いきなりメタフィクションが入り込んでくる所が特殊だと思う。PCゲームでメタフィクションを導入したものとして『臭作』の最後付近(高部絵里シナリオ)が思い出されるが、あれも全キャラをクリアして、世界観やキャラたちをプレイヤーが理解している状態でプレイヤーが引きずりこまれるというような演出だった。ところが、本作ではいきなり「お話」を「思い出す」という単語が出てきて混乱するし、また灰流は風景でしかない。つまり、この時にアリスと会話しているのは灰流でもないし、ましてやプレイヤーでもないのだ(作品について何も知らないプレイヤーが「思い出す」ことなどできるはずがない)。おそらくそれは、作中で「語り手」と曖昧に定義される何者かである。そのあたりで、単に「読者を巻き込む」系の物語とは異なっているような気がする。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 切れ目のないトイレットペーパー | トップ | 魂の叫び »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ゲームよろず」カテゴリの最新記事