フラグメント103:「萌え」、境界線、日本社会的思考

2010-10-25 19:23:54 | フラグメント
またですかあ?そうなんよ。どーも最近は覚書ばかり大量にできる一方まとめる作業が億劫になってきてねえ。こんなんでお茶を濁させていただきますよとwただ今回のは、一度まとめた記事に+αをするものが多いので、その部分に関しては説明を加えておく。


まず<ネタ>についてだが、これは本来かつて書いたイーガンの「キューティー」の感想なども絡めて「萌え」の欺瞞といった話の一部分をなす覚書である(その中で「キューティー」への自分の感想はベタな埋没、あるいは独善性の一例としての役割を果たす予定)。今は「よつばと!」の描き方なども含めて書こうと思っているが、方向性は「『調和』と『地雷』」や「『共感』の問題点」、「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」と共通していて、「拒絶や陰湿さといった不快なものを取り除いて承認や微笑ましさだけを残す」という方向性やニーズは理解できるけど、再帰的思考ができないためベタへとなだれ込まざるを得ない環境においては、それもまたノイズ耐性を下げる危険大という見方が必要だという話である(まあそれ意識的に書いたのが「妄想代理人」のマロミとその受容のされ方だったりするんだけど)。まあ本来的には「『現実の厳しさ』なんてわかった上で書いてんだし娯楽なんだから固い事言うなよ」ってところなんだが、もはや「わかっている」という言辞に全く信頼を置かなくなっている俺はそこも突っ込みますよと。だってさあ、ノスタルジーブームとか言うけどあれどこまで距離を保ててるのか疑問に思いません?繰り返しになるけど、まあ別にサプリメントならいーんすよ。ただ、自浄作用が働かないのでそれがすぐに麻薬になっちゃうって話なのよねえ・・・・・


次の<小田原~>は(特に二次元に関して)男女の垣根が低くなっていることを論じた「境界線」の覚書だが、見てもらえばわかる通り完成版とかなりテイストが違う。元々は「何でその場できちんとふたなりのショタの違いを説明しなかったのか」という極めてどーでもいい話をねちねちと始め、女装して女と見分けがつかない(くらい美しい)男を好きになるのは「ゲイ」かと詰問してみたり、いやそれは「かわいい」という反応のカテゴリーを設けてないから極端すぎだよと反論してみたり・・・といったことを対話形式の中でやるファンタジックな内容だったわけであります(であまりにもパラノイア的なんで「やめた~」わけですわ)wなお、きちんと返さなかった理由の本質は覚書に書いてある通りで、基本的に人と会話している時はこのブログで書いてあるような話はしない。なぜかと言うと、「知識のひけらかしをしている」と思われるか、あるいは「小難しい話を押しつけがましく振ってくる」と感じられるかのどちらかの反応しか返ってこないからだし、またそういう反応をするのが当たり前だと俺自身も思うからだ。だから、小田原の車中で振られた話題にメンドクサそうに対応したのは、本質的には「どうせ聞く準備(レディネス)なんかできてねーんだろうから一々そういう話振ってくるんじゃねーよ」ということなわけ。ただまあここまで書いといてひじょーに言い訳くさいが(笑)、それをストレートに相手に言うのは極めて大人げないので、また何とかネタのレベルに話を維持しつつ質問に応えるという話し方の構築をする程の情熱が湧かなかったので、テキトーに流すことになった、とそういうことだ。


え~っと最後の<日本社会的思考~>は・・・これはリンクを貼った三つの記事を見ればだいたいわかると思うので省略。一応最後の「裏読みをネタではやるが、真剣に考え抜く事ができない」のあたりは「偶然性、再帰的思考、快ー不快」などでも触れているが、まあ印象論で言えば外来の文化がどんどん入ってくる環境ではそういう思考様式の方が合理的(必然的)なものではあるよなあと思う次第。ただ、よく言われるようにどっかをただ「お手本」にしてりゃあいい時代はとっくに終わっているので、そのままじゃあどーにもならんのも確かだろう。


<ネタ>  「子供は天使じゃない
不快な部分のカット。それで子供ほしいってさあ…でも真実を知ることが。自分が気に入らないキャラを徹底的に拷問して殺すという二次創作。もやしもん。破壊力減。元元単行本メインだったから?理論偏重というか勢いがない。誤配の可能性がない。それあればこそ祭に価値も説得力もあったが…天国と地獄とトランスオクシアナ、ミレニアムともやしもん、記事の数と凶行…読めるからつまらん、君望反転とひぐらし対話、ふたなりとショタと至極のビブリオ。笑い、ドラクエ帰省ネタ、傑作、フラグメント系、等々力2.元町、履歴書、キャプ翼、ゾイド、旅行ネタ多め?書評。


<小田原結城が好きこの愛受け止め>  
メンドクセーネタを振るなよな(苦笑)まあね…と沈黙。そこで流れる。相手に議論を受け入れるだけの素地、いやそれ以前に意思がなければ、そもそも話す意味がない。なんかまくしたてられたと思うだけで、相手にも自分にも有益ではない(そんなに自分の話がしたければ、テープレコーダーへどうぞw)。ブログという媒体は向いている(読者の意識次第、時間のズレ可能)。縁無き衆生は度しがたし、というのは自分本意な発言だが、ドイツ人がイタリア人にドイツ語不可を責める資格なし。逆もまた然り。目の前のお前一人を「説得」できたとして、一体どれほどの効果があるというのか。


<日本社会的思考…他者理解脆弱>  「矮小化に苛立ちて」、「マーワラーアンナフル」、「トランスオクシアナ
ネタにしなければダメだと理解する程度には社交的なだけだ。Kと相談…R、U。U、M→130.180.140.190.渡りながら…内省は手段であって目的ではない→宗教と思索の「告解」。それを成立させる前提・枠組みは何か→滅びの希求の解体→雫の曲…痕より印象に残る理由は?周囲についてはパフォーマティブ、それを離れるとコンスタティブ。その極端な乖離。なるたる→日常の不満に落とし込まれる(日本の小説は自意識に偏りすぎ)。枠組みについて裏読みをネタではやるが、真剣に考え抜くことができない。戦略的思考の欠落。つまり具体的なものしか分析できない?
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